雑記

__blurry_のおぼえがき

8/28


できたこと

 今日は何もなし。土曜日は安息日

雑感

今日

 昨日は夜遅くまで起きていたので起きるのも遅かった。布団でだらだらして昼食を食べに父親と出かけ、そのまま友達の家へ。

 友達の家では大乱闘に明け暮れていた。アイテムあり・勝率に合わせたハンデ(%付与)の三人乱闘という、要するにどんちゃん騒ぎだったのだけれど、これはアイテムをどれくらい拾えたかが勝率に直結するので、操作もおぼつかないような人が連勝して70%のハンデを課されたりする。重いハンデを見てこんなの勝てるわけないと言っていたが、事実として勝っているからこそのハンデである。その人が逃げ回っている間に、私と平日に戦っているもう一人が潰し合っているからというのが真相だろうけれど。

 途中でマリオカートを挟んだ。マリオカートスマブラと違って楽しいパーティーゲームなので、私は終始叫び続けていた。パーティーゲームで叫ぶより楽しいことはなく、修練を積んだ対戦ゲームで勝つより気持ちよく嬉しいことはない。

 フレン・E・ルスタリオさんの3D配信を見た。挙動の一つ一つが大きく、何らかのパフォーマンスに慣れているのか、単に動きが大きく楽しい人なのか、はたまたその両方か、何にせよ良かった。常識のなさには笑ってしまうが、一方では常識の有無なんて箸の持ち方くらいの意味しかないであろうとも思う。

 カメラワークの悪さは終始目についた。「股下東京都庁」と初配信で自称していた通りに脚の長さが特徴なのだから、脚の動きがよく見えるようなカメラワークにすればいいと思うのだが……。本人の意向なのか単に悪いだけなのか、どちらにせよ常に勘所を外していてとても残念だった。本当に悲しい。

良いツイート

 「DJ/トラックメーカーの真価はどれだけマイナーな曲を知っている/使っているかだ」という価値観に染まって育ったので、知らなくてかつ最高の曲の数が多いほどパーティーの値打ちが高いと感じる。

聴いたもの

The Rolling Stones - Beggars Banquet

 チャーリー・ワッツが亡くなったので父親と昔ながらの話(「昔はBeatles派とストーンズ派がいた」等々)をしながら聴いた。

 これを聴けば分かるが、ローリング・ストーンズは典型的なロックバンドでは決してない。この楽曲でエレクトリックな楽器はベースしか使われていないし、アコギがあるからカントリーやブルースかと言えば、シタールの音が常に楽曲の底で響き、ピアノのバッキングはキースとミックの粗っぽいボーカルと対照的に壮大なスケールで打ち鳴らされている。ブルースやカントリーの土臭さをベースに持ちつつ、それだけに留まらない異形の音楽を作るところが出来たのがこのバンドの偉大なところだと思う。

 これも久しぶりに聴いた。ニッキー・ホプキンズのピアノがかっこよすぎる。

P丸様。 - とっても大好きっ!

 P丸様。のアルバム収録曲MV。アルバムは買っていないので初めて聞いたのだが、何もよくなかった。楽曲は「神聖かまってちゃん」の作曲担当の人らしいのだが、「os-宇宙人」「ロックンロールは鳴り止まないっ」の方向性と考えれば、この人選が致命的に合わないのも納得が行く。P丸様。の特徴はその強烈な虚構性、何を歌っても「キャラソン」のように聞かせてしまう歌唱であり、今回の楽曲のような生々しいエモーションに根ざしたバックトラックとはどうやっても合わないと思う。

猫又おかゆ - ねむるまち(cover)

 猫又おかゆさんの新作カバー。この人がこういった方向性の、あからさまに"エモい"曲を歌うとは思わなかったのでやや面食らったのだが、蓋を開けてみればすさまじい歌唱力で楽曲を呑み込んでいてかなり良かった。

 持ち前のハスキーな低音はもちろんのこと、メロディをただなぞるだけでなく、音程をやや低めに歌うことで、バックトラックとの間に心地良い不協和を生んでいるところが楽曲解釈として完璧だった。ブレスの差し込み方もすごい。バックトラックに乗るどころか、さらにジャジーなグルーヴを添えており、結果として楽曲に生々しい深夜の質感が立ち上がっている。猫又おかゆさんの歌唱は盤石の基礎から生まれるグルーヴ感に魅力があって、ローファイで低音要素の少ない「ねむるまち」ではその歌唱力を活かしづらいだろうと思っていたのだが、そんなことは全然なかった。

 しかし楽曲が短い。食い足りないという気持ちはある。

 猫又おかゆさんの歌唱の凄さについてはこれを聴くのがよい。ねっとりとグルーヴしつつも吐息を混ぜて甘く聴かせるという離れ業をやってのけている。シンセのかっちりしたリズムに対してやや遅れ気味で歌っているのだろうか。どこでこんな歌唱を身に着けたのだろう?

 余談:猫又おかゆさんがリスナーに対してあざとくふるまうのが以前はよく分からなかったのだが、最近は「そうやって愛されたいという、そのふるまいも含めて愛そう」と前向きな気持ちになっている。人の好ましい面だけを愛するのではなくて、振る舞いの違和感までもひっくるめて「猫又おかゆさん」として愛したい。

読んだもの

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