雑記

__blurry_のおぼえがき

9/22

できたこと

  • ラジオ体操
  • ランニング

雑感

習慣と意思

 昨日は就寝が11時を過ぎたので起きる時間をいつもの5時半から6時まで30分ずらしたのだが、起きたら普通に寝不足で体調が悪かったうえ業務中に普通に寝てしまった。睡眠量を保ちつつ早起きするには早寝するしかない。そのためには意思を強く持つしかない……のだが、だらだら日記を書いていたらすぐに遅くなってしまう。意思を強く持つしかない。

魔使マオ3D

 魔使マオさんの3D配信を見た……激烈に良かった。魔使さんの親密な人間関係が伝わる夜見さんとのやり取り、「これがやりたいんだ」という強い意思を感じる企画のそれぞれ、アンジュさんやフレン・E・ルスタリオさんの愛を感じるコミカルな客演(magnetを歌い終えた後に「ここに残る!」と駄々をこねるアンジュさんに「分かったって」と苦笑いしつつ優しく返す声音……!)。
 そして何よりライブ。「完全放棄宣言」「シル・ヴ・プレジデント」「じょいふる」というポップでありつつ要所要所でしっかりと歌唱力を要求する楽曲を、その歌唱力だけでなく、「魔使マオ」というパーソナリティによってばっちりと乗りこなしていた。歌っているときに艶のある素敵な声が出るのが本当に好きなのだけれど、日頃配信で話している声とこの歌声、どっちが素なのだろう。配信外ではこういう声だということもあるかもしれない。

良いツイート

 DeMilitarizedZone、Digital Mystikz、そしてどむぞうくん

聴いたもの

 「青空のラプソディ」以外何も聴いた覚えがない。サビ前のベースラインを聴いて涙ぐんでいた。とりあえず思いついたものを一言ずつ。

music.youtube.com

 電音部新曲。ネオンライトの人と考えると味が薄いし、ネオンライトを度外視すると味が薄い。

 をとはさんのチャイナアドバイス。かわいい。

 URのクラシックがデジタルリリース。早くフロアで聴きたい。

読んだもの

re-11colors.hatenablog.com

un-deux-droit.hatenablog.com

s-f.hatenablog.com

 他人は他人というとそれまでだが、他人がどうこうというより、自分自身が乗り換えのできない、個別かつ具体の人生に"取り組まなければならない"、生はそういう命令形としてここにあるということだなと思う。こういうことが自明のものとして内面化されたその日に悟りに一歩近づけるのだろう。悟りの道は遠い。

9/21

できたこと

  • 早起き
  • ランニング

雑感

 久々に出社した。出社は最悪。
 ただでさえ仕事中は眠いのが、職場にいて人前で船を漕いでしまったので、見られていないか気が気でなかった。しかし、見られていたところで眠いものは仕方がない。仕事中にうつらうつらしている新人以上の何かになることはできない。
 出社しないとできない作業があったのだが、今日一日程度で終わる分量ではなかったうえ、本来詰まるべきところでない過程でつまづいた。しかもそれが先輩にも上司にも解決できない意味不明な現象だったので、とりあえず後日へ見送り、何も達成が無いまま後味悪く本日は終業となった。こうやって解決の糸口が見えない箇所で躓き、スケジュールの都合で解決が遠い後日へ先送りされる状況が一番おもしろくない。その分在宅(することがないのでだらだらしているだけで給与が発生する状況)が長引いたので、悪くないと言えば悪くないのだが……しかし来年の新人の入社の日は刻々と近づいており、せめて先輩らしい顔ができるくらいの何かは身に着けたい……。

 出社日なのでコンテンツを摂取することもままならず、家に帰ってきてランニングだけこなした。「とりあえず何か一つ達成した」とスタンプを一個くらい押せるような習慣があるのはメンタルに良い。

楽しみなアナウンス

thevinylfactory.com

良いツイート

聴いたもの

東雲和音 (CV:天音みほ) - トアルトワ (feat. TAKU INOUE)

 以前にも一度言及したのだが、今日また聴いていてびっくりしたのでまた書く。この曲は相当にミニマルな構成をしている。
 TAKU INOUEの曲の特徴は記名性の高い音の洪水であると思うのだが、この曲に使われている音にはほとんどTAKU INOUE的な音色がないし、音数はかなり絞られていて、いつもの音を期待すると「あれ?」と肩透かしを食う。
 この楽曲でTAKU INOUE性を担っているのはボーカルただ一人であり、バックトラックはそのメロディラインを引き立たせるために後ろに引いている。この楽曲はそういう"引き算"の美学で成り立っている。楽曲制作に半年かかったという本人のコメントがあったが、一番時間がかかったのは、完成した楽曲から音を抜いていくプロセスではないだろうか。

Pejzaż - Wyspa LP

 ポーランド人ビートメーカーのインストヒップホップ。今時珍しいほど素直にサンプルを組み合わせた90'sスタイルのビート集で、朗らかかつ楽しいムードに満ちている。

以下一言ずつ。

 生暖かいシンセと切れ切れのボーカルサンプルがVillalobosを思わせるミニマルハウス。

 星街すいせいさんの新カバー。この声でこれ歌えばまあかっこいいだろうな……という感じ。かっこいいのだが、あまりにかっこよさが自明すぎるというか、それはそう、みたいな感じでなんとなく乗り切れない。

ヴァニタスの手記」なるアニメEDのRoyal-Tリミックス。そんなことある?

読んだもの

globe.asahi.com

www.moguravr.com

9/20

できたこと

  • ランニング

雑感

怠惰

 今日も一日眠くて寝たり本を読んだりしていたら終わった。私の四連休はこれで終わったらしい。本当に?
 思ったこととしては、実家にいるということはすなわち生活空間に他者がいるということを意味し、何を考えているか分からない生物が同じ空間にいるとそれだけで行動の全てが鈍る。今日は母親の機嫌がの良し悪しを布団で窺っていたら起きるのが一時間遅れた。やはり実家を出なければならない。

月の錯視

 ランニングに出かけると月が巨大だった。日頃の月の直径と比べて1.5倍は優にあるし、色も熟したようなオレンジ色だった。あまりに存在感の強い月なのでずっと見ていたのだが、建物の陰になってしまったり、進行方向と別方向にあって疲労で見ている余裕をなくしたりして15分ほど走った時、信号で立ち止まっているときにふと思い出してそちらを見てみると、そこにある月はいつも通りの大きさに縮んでしまっていた。時間によって月の大きさが変わるなど聞いたことはないが、そういうこともありそうだと思いつつ、それでも晴れた空にきれいな月を見上げつつ帰った。

 しかし、後から調べてみたところ、月の大きさが時間によって変わるなどということは実際には起こっていない。それにも関わらず多くの人が「月の大きさが違う!」と錯覚しており、古来より「月の錯視」という名で呼ばれているらしい。原因は未だ解明されていなくて、ある特別な条件が重なった時にそう見える……という仮説が立っているに留まっている。それならそれでいいと思う。たぶん次に「月でかいな」と思った時にはこの錯視のことなんて忘れているだろう。知らなくても、覚えていなくてもいいことなんてたくさんある。

psych.or.jp

趣味としての陰謀論

 この頃の母親は本当に楽しそうにしている。日夜iPhoneiPad陰謀論コミュニティと繋がり、YouTube陰謀論の動画を見、個人ブログの陰謀論を漁り、陰謀論の書籍を読み、そこで仕入れた知識を私と父に披露する。この世の欺瞞に憤り、食品に混入した農薬を気持ち悪がり、茶番であるCOVID-19に踊らされている私と父をバカにすることに余念がなく、テレビを見ればすべて嘘だと繰り返す。

「楽しそうならそれでいい」とか「趣味であることにかけて私が音楽を聴くのと大差はない」とかいう言説に流れるつもりはない。母親が本当に楽しんでいるのは知識を通じてコミュニティと繋がることであり、その繋がりを根拠に家族を見下すことである。事実、話を聞いて私や父が社会通念的な反応を返すと、待っていたとばかりに「バッカだねえ~~~~」と笑い出し、何か質問するとすぐにしどろもどろになる。話をするとき、明確に私たちに対して害意があることが本当に疲れる。

 一生こんなことを続けていくつもりなのだろうか?そうである限りにおいて、私は一人暮らししている家に母親を入れることはないだろう。

良いツイート

聴いたもの

Native Soul - Teenage Dreams

 Awesome Tapes From AfricaからのAmapianoリリース最新作。Teno AfrikaよりもUKやハウスミュージックに寄ったのか、スムースで洗練され、一方ではAmapianoの土着・呪術的テイストは後退したように感じる。それはそれとして緊迫感がかっこいいのでリリースが楽しみ。

The Kondi Band - We Famous

 Bandcamp Dailyで紹介されていた作品。シエラレオネ在住の親指ピアノプレイヤーSorie Kondiと、シエラレオネにルーツを持つUS在住プロデューサーDJ Chief BoimaのコラボユニットThe Kondi Bandのアルバム。現代USらしく太いベースを持つ現代型のエレクトロニック・アフロポップの上に、親指ピアノの甘く神秘的なフレーズが踊っていて、この組み合わせだけでもう楽しい。

Nurse With Wound - Soliloquy For Lilith

 Meditation(実験音楽をメインに取り扱う京都のレコードショップ)をぼんやり見ていて見つけた作品。ミュジーク・コンクレートやノイズ・コラージュの大御所Nurse With Woundのドローンアルバム。
 中身は金属質なうねりが続く20分ほどの不穏なドローン×8トラックで、娘に捧げられた作品らしいが、これを聴いていて心が休まるということは一切ない。試しにこれを聴きながら寝てみたが、金属質なので耳に刺さるし、和音としても全然快くないので「これを聴いていたから眠くなった」という因果関係は一切感じられなかった。少なくとも私にとって"Stephan Mathieu・Eliane Radigueの次"にはなり得ない音。やはり過去の方向に新規性を探すことが間違っている。

 以下一言だけ。

 Omodakaのライブ。パフォーマンスも映像も音もいつも通り最高。

読んだもの

arimuri.hatenablog.com

9/19

できたこと

  • ラジオ体操
  • ランニング

雑感

ゾーン

 体調がようやく回復したと言えるところまで回復したのでランニングに出た。はじめのうちはどうにも身体が重く、しんどいという気持ちで一杯だったのだが、ある瞬間からふっと頭の中が空っぽになり、身体は軽く、意識せずともぐんぐん進んでゆき、身体が軽い、もう何も怖くない……という巴マミさんが一度経験したであろう没我の境地に入っていた。これが"ゾーン"、あるいはランナーズ・ハイ、それとも悟りと呼ばれる境地なのか……と感動しているうち、気がついたら日課のコースを走り終えていたのだが、家に着いても身体が「このまま止まりたくない」と訴えているのを感じ、しばらく自宅の周りをぐるぐる回った。三周もするとその高揚感は疲労と交代して去っていった。
 この境地に至ったということは多少なりとも体力がついたということだろう。もはや這う這うの体で倒れ込むように家に帰ってきていたかつての私ではない。継続は力なり。

読書

 山のように鞄に本を詰め込んで喫茶店で読書に耽る日だった。感想は以下。

笹井宏之『えーえんとくちから』

 この人の短歌のさらっとした感じはあまり好きではなく、ぱらぱらと適当に読み返していたのだが、『わたがしであったことなど知る由もなく海岸に流れ着く棒』の一首が深く心に刺さった。今となっては侘しい姿をさらしているものに対しても注がれる優しい目線がある、そういう愛に弱い。

ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』

 『本物の門番』を読んだ。かつては豊かな暮らしをしていたが、インド・パキスタン分離独立の際に家族と離れ離れになってしまったと毎日毎日誰彼構わず喋り続けている老婆がインドのアパートの軒先で暮らしているうち、住人からもマスコットとして認められ始めるのだが、その暮らしも慣れてきて市場へ出かけるようにもなったある日、気がついたら泥棒の手引きをしたことになっており、軒先から追い出される……という何とも救いのない話。後味は悪く、読み取れる教訓はなく、ただ侘しさがある。面白い話でも何でもないが、こういう物語がある世界でよかったと思った。

『2010年代海外SF傑作選』

 郝景芳『乾坤と亜力』、アナリー・ニューイッツ『ロボットとカラスがイースセントルイスを救った話』の二つを読んだ。どちらもとてもかわいい話。かわいいロボットが登場すると嬉しい。

ヴァージニア・ウルフ『波』

 今日の目玉。「意識の流れ」で書かれているのはいいのだが、登場人物に対して共感を抱けないし文章が合わないので読んでいても大して面白くない。どこかで面白くなると信じてとりあえず読み続ける、という感じ。明日も読む。

良いツイート

聴いたもの

Nisennenmondai - A (Live At Clouds Hill)

 TLで聴いている人がいて興味を惹かれたのだが、凄まじいパフォーマンスだった。私が連想するのはDFAのディスコパンク、その中でも特に無機質でインダストリアルなFactory Floorなのだが、このバンドはパフォーマンスが全て手で演奏されており、そこに"肉体性"としか言いようのない音の存在感がある。そういう点ではDFAの源流、ポストパンクのA Certain Ratioにも近しいものは感じられるかもしれない。

 何にせよこのバンドにはポップネスや甘さというものが一切なく、ただその場にいるオーディエンスをストイックに踊らせようとする気迫が漲っている。Bandcampにもあったのでそちらからチェックしていきたい。

The Cover Mix: Conducta

soundcloud.com

 Conductaの新作ミックス。UKGだけでなくハウスやテクノなど四つ打ちが加わることで、普段のミックスよりもクラシック性が感じられてとても楽しい。それでいて決めどころはばっちりUKGなところはさすがConducta。

CV Vision - Tropical

 "Mathias Modica Presents Kraut Jazz Futurism Vol.2"を聴いていて、ここに出てくるアーティストをもう少し深堀りするかと決め、その一人目。ベルリン在住で、サイケデリックロック・ニューウェーブ・中東ファンクなどの要素が混ざったいなたいヒッピーサウンド(?)が特徴。このアルバムは曲が短いこともあって、初期のWindowsで動くポリゴンがちゃちなゲームのような音がする。変な音ではあるが、スタイルとしては説得力があってかっこいい。

MABUTA - Welcome To This World

 南アフリカスピリチュアルジャズバンドMABUTAのアルバム。普段「アフリカ」と聞いて想像する土着サウンドからはかけ離れた、敬虔でスペーシーなサウンドが特徴。スピリチュアルジャズと言われるサウンドは、Pharoah Sandersの文脈以外でも、ゴスペル的なものとして存在はしていたのだが(下の動画参照)、MABUTAの新規性は、アフロフューチャリズム由来のコズミックな要素をジャズにもたせたところにある。『南アの』スピリチュアルジャズ、という形容がつくのはそのため。走りながら6曲目"As We Drift By"を聴いていたらゾーンに入った。あとは1曲目と3曲目、6曲目が好き。

 以下一言ずつ。

 チューリップ組の脳漿炸裂ガール。早瀬走さんの歌が上手くて嬉しい。というか今聴いてもかっこいいな……。

 UMISEAのオリジナル曲。かめりあ曲ということで期待をかけていたのだが、蓋を開けたら全然良くなかった。音はまだ良いにしても歌詞がひどくて聴くのが厳しい。

 花譜さんがグルーヴィーな曲を歌っていると嬉しい。めちゃめちゃいい加減な「ばいば~い」が愛しい。可不の電子音らしさと人間味の塩梅が楽曲に合っているところも好き。

読んだもの

www.bbc.com

jp.ra.co

9/18

できたこと

  • 物件の内覧
  • 読書

雑感

体調と思索

 体調が回復しない。一つには寝不足もあるだろうが、常に胃のあたりが気持ち悪い上、味覚がまだぼんやりしていて、飲み物の美味しさの芯のような部分が感得できない。そういうわけでQoLは相当に下がっており、連休二日目も微妙な感じで終わってしまった。
 常になんとなく気分が悪いので、頭も上手く働いていない感じがする。不快感を「不快だなあ」と思うことにリソースが持っていかれているというか。だからこの頃の日記は今一つというか、ぼんやりした雰囲気がある。原因の一つには寝不足もあるだろうし、睡眠時間をしっかりとって早く回復したい。

選択

 気に入った物件の内覧に行った。これまで写真では分からなかった具体的寸法や、その空間のリアリティなどが把握できてよかった……のだが、そこで自分が暮らすという実感が湧かない。
 考えれば20年近く同じような間取りの家に住んでいるわけで、ちょっと何回か別の物件を観に行って「私はこれからここに住むのだな……」と意識が切り替わるはずもない。私が暮らす場所は実家のこの部屋である。それなのにただ何となくいい物件らしい、収納もたくさんあるし部屋も広いし……と営業の人と、一緒についてきた親とその部屋の良さについて話して、「調べてもそれ以上いい部屋が出てこない」という消極的理由でその部屋に決めてしまった。これから私は実家を出て一人暮らしを始めるらしい。そうなのか?本当にあの部屋に一人で?
 自分の不安とは「もっと理想的な部屋が見つかるかもしれない」のような、自分の選択が最善であるかどうかの不安であり、ついでに言えば金銭的な不安である。春まで待てばもっと良い物件が見つかるかもしれない。引っ越す前にお金が貯まるまでもう少し待ちたい。この前まで早く引っ越したいとばかり思っていたはずなのに、いざ選択をコミットする段になると足踏みばかりしている。
 しかし、この物件とていつまでもホールドしておけるわけではない。待てば待つだけ他の部屋を探している人に取られてしまう可能性は高まる。それに、これ以上待っていては雪が降り始める。動くなら今しかない。今しか……ない…………きっと。

今日の乱闘

 PKファイヤーを連打してくるネスに負けたり、回線落ちが不当に切断扱いされてオンラインに参加できなくなったりと散々だった。飛び道具持ちキャラと終点でやるのがめちゃめちゃに苦手で、ジャンプしたところを簡単に撃ち落とされている。何もいいことがなく、課題だけが積もった日だった。早く引っ越していい回線で乱闘がしたい。あれ?

読書

  • 井筒俊彦『意識と本質』の続き。普遍的「本質」の有無には三つのパターンが存在し、その一つ目、「存在するが、それは存在の表面にあるものではなく、我々の側の意識を変革するある種の修行によってようやく感得できるようになる」という立場の主張について。自分の全存在を賭けてまで「本質」に挑んだ宋儒とマラルメはすごい。私としてはその予定はない。
  • ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』より『病気の通訳』。インドで観光客向けの運転手をやっている男性が、アメリカで生まれ育ったインド人一家を案内するうちにその妻に惹かれていくが、コミュニケーションに失敗して結局忘れ去られる話。私が読んだのはそういう話ではないが……。職業における"誇り"や"妻"という存在の孤独、不義、"部外者"の必要性とその裏に潜むもの、そういったものを独特の形で描き出している作品。きっと私が読んだ以上にたくさんのことが書かれている。
  • 『2010年代SF傑作選』よりピーター・トライアス『火炎病』。「だからなんだ」以上の感想がない。"So what?"に回収されない面白さもSFの楽しみなのかもしれないが、私は現実に切実に接続した作品が読みたいのだし……という気持ちになる。

良いツイート

コラらしいが、どうやったらそんな改変をしようと思うのだろう……

聴いたもの

KenLou - What A Sensation

 Masters At Work別名義の作品。90sのハウスクラシックで、乱打されるラテンパーカッションの中にディスコからサンプリングしてきたであろう"What A Sensation"のメロディがぶつ切りに挿入される。サンプラーを用いたであろうその声ネタの使い方こそ、Masters At Workが達成したハウスとヒップホップの融合であるという解釈もできる。個人的にはサンプルもバッキングのサンプルもなく、ただハウスビートにパーカッションが乱打されるだけのM2が好き。本当にただそれだけなのだが、むしろオリジナルバージョンの方はシンセを入れたせいで古びて聞こえる。

青葉市子 - マホロボシヤ

 青葉市子の傑作。楽曲の強度もさることながら、録音が凄まじく、アコースティックギターが「音響」の性質を強く持つ楽器であることを強く意識させられる。John Faheyがそうであるように、あるいはジム・オルークやデヴィッド・グラブスがGastr Del Solで志向したように、ここでのアコギの音響は清浄なる異界から鳴っている。たまに聴くことで魂が浄化されるような、そんなアルバム。

大友良英 - solo live in Kyoto 1992

 大友良英なる即興演奏家のライブアルバム。NYP。Bandcampのトップページで見つけた。中身はノイズで、M1~5は(おそらく)ターンテーブルとギターを用いた演奏パフォーマンス、残りは(おそらく)CDプレイヤーを用いたパフォーマンスとなっている。
 前者はブレイクビーツにノイズを乗せたような比較的オーソドックスなノイズで、破壊的なロックとして、ビートの入っていない曲はアグレッシブなギターノイズとしてかっこいい。しかし面白いのは後者で、ジャズのループにノイズを重ねているのだが、ループと言っても同じフレーズを一定でない間隔で繰り返しているため、まるで変拍子の即興を聴いているようなスリリングさがパフォーマンスにみなぎっている。ヘッドホンで聴いたのだが、スピーカーで聴いたらもっと楽しいであろうアルバム。

 以下一言ずつ。

 スカートの在宅アンプラグドライブ。原曲を知らないものばかりなのでまずはそちらを聴こうと思った。

 yosumi新曲。HAMAはMarpril『ブレーカーシティ』を書いた人で、その時点で期待値が高かったのだが、今回もyosumiのダークな世界観に寄せつつ、HAMAらしいドロップ前後も聴きごたえのあるトラックとメロディで良かった。エハラミオリの歌詞は好きになれず、それだけは残念だが……。

 Dos Monosの新曲。あんまりピンとこない。

 余談:ノイズ音楽に触れてその良さが分かるようになってからというもの、これまで楽しめていた音楽に却ってのめり込めなくなった感じがある。新しい音楽に触れた時はいつもそうなるのだが、ノイズばっかり聴いているわけにもいかない。早いところバランスを取り戻したい。

読んだもの

note.com

9/17

できたこと

何もなし。有給日は有給を取っただけで充分。

雑感

総崩れ

 起きたら九時半を過ぎていた。昨日寝たのが午前二時を過ぎていたので、起きたところでひたすらに眠く、午前がほぼ丸つぶれとなった。
 体調はまだ回復しない。味覚はまだちょっとベール越しの感じがするし、体温の調整がおかしくなっていて変に汗をかいたり暑くなったりする。四連休は不調の始まりとなった。
 眠いまま本屋に出かけ、中山可穂『白い薔薇の淵まで』を買った。とりあえず興味のあったあとがきから読み始めたところ、角川文庫から出ている作品を除いて自分(中山可穂)の作品は全て絶版になっていると何とも正直に書いてあり、確かに中山可穂の作品はこれ以外知らないし本屋で見かけたこともないな……と思った。帯に同性愛小説であることを書いていないのは時代の変化だろうか。
 そのあと喫茶店に移って井筒俊彦『意識と本質』を読み進めた。もう寝不足で眠かったので途中うつらうつらしていたし、諦めて突っ伏して寝たりしていたのだが、それでも、この本は読み進めるほどに凄まじい著作であることが分かってくる。井筒俊彦の凄いところは、とにかく内容は複雑なのだが、それにも関わらず、読めば確実に理解できる。伝達したい内容に対して言葉の選択に全く過不足がない。私が気に入ったのは以下の箇所。

リルケにとって、ものをその普遍的「本質」、すなわちマーヒーヤをとおして見ること、つまりコトバの普通の意味分節の網目をとおして「本質」定立的に認知することは、ただちにそのものの本源的個体性を最大公約数的平均価値のなかに解消してしまうことを意味した。我々がXを「花」と認めるとき、Xはその一回限りの独自性を奪われて、公共化され、画一化される。Xが花であるという形で意識されるとき、XはもはやXという個物ではなくて、どこにでもある無数の花の一つになってしまう。人間の日常的存在世界とは、マーヒーヤの生み出すそのような平均価値の巨大な体系機構にほかならない。この普遍的「本質」の画一化的機構のなかで、あらゆる存在者はそれ自体であることをやめて、共同性の仮面をつける。あらゆるものがここではものではなくて「仮象」(Bild)である。

 これを読んだ時、真っ先に黒田夏子先生の作品を連想した。
 黒田夏子先生の作品に固有名詞、場合によっては一般名詞すら登場しないことについて、語り手固有の記憶や情緒と結びついているものを、わざわざ外側にある名前で呼びならわすことは、語り手にとっての個物の個物性を削ぐだけでなく、語り手の世界にない余計な情緒や連想を読み手にもたらすためであろう、という解釈を取っていたのだが、この記述に出会ったとき、まさにこれだ、と思った。
 私でなくとも、「名付け」という行為やラベリングについて一度ならず考えたことのある人には面白いのではないかと思う。おすすめの書物。

 余談:なぜ井筒俊彦かというとcommmon roomで高頻度で登場するからである。身も蓋もない言い方をすれば、頭の良さそうな人が頻繁に引いているから興味を持ったわけであるが、私だってTwitterでは執拗に作品の話をし続けるという方法で黒田夏子先生を布教しているわけで、考えようによっては出力と入力の仕方が揃っているとも言える。

room.commmon.jp

良いツイート

聴いたもの

RA.797 DJ Pitch

jp.ra.co

 知らない人のDJミックス。
 とにかく「DJが上手い」の一言に尽きる。ジャンル横断的な選曲、緩急メリハリのつけ方、テンションが緩んだと思わせておいて次の展開が確実に用意されている周到さと、DJミックスの楽しいところが凝縮したようなミックス。

読んだもの

 今日は特になし。

9/16

できたこと

  • 会社に休みの連絡

雑感

今日

ずる休み

 はじめて虚偽申告で仕事を休んだ。
 朝起きたら熱はすっかり下がっていたのだが、身体の倦怠感がひどく、身体を起こすことすら相当に億劫という状態だった。しかしだるいので休みますというのも説得力がなく、「熱が下がらないので」と嘘をついて仕事を休んだ。これで3日連続の休みとなるが、そこに加えて今週の頭に有給を取得したので明日から月曜まで4連休が始まり、思わぬ形で7連休の獲得と相成った。

 とはいえ実際に体調は最悪で、椅子に座っているだけでしんどく、車酔いのようなめまいが続いている。こんな状態で仕事をするというのは到底無理であり、休みを取ったことには正当性があるのだが、それでも虚偽の申告をしたというのは自分にとっては一つの大きな達成である。何の?

 椅子に座っている以外何もできなかったので、Gawr Guraさんの歌枠を観た後、鈴木大拙『禅』を読んだ。"シューニヤター"と"タタター"の概念が登場したところから議論が一気に複雑になり、正直全部が理解できたわけではないのだが、禅の一端を垣間見るくらいはできたのではないかと思う。とりあえずは、あちらとこちらという二元論をやめる。個別具体のないところに知性を働かせて意味のない問いに走るのをやめる。まずはそこから。

 次はヴァージニア・ウルフ『波』と井筒俊彦『意識と本質』をちょっとずつ読み進める予定。それからkindleに不可視のまま多数積まれている百合漫画を。

祝祭

 保健所から陰性の連絡がきた。9月の頭に外出した覚えなどないのでまあ陰性だろうと確信していたのだが、それでも「行動の制限はない」とお墨付きが出るのはありがたく、連絡をもらって10分後にはスーパーに出かけ、それから1時間後には父親と車に乗ってショッピングモールに出、ついでにコストコにも寄った。

 COVIDでなくとも普通に病み上がりなので車中では冷や汗が出ていたし、軽食をつまんでいてもめまいがあったのだが、祝祭の気分だったので何も感じていないことにした。

 家に帰ってきてから反動のように吐き気などが始まって死ぬかと思った。今も常に車酔いのような不快感が頭のあたりにずっとある。後悔はあるが、いまさら後の祭りである。

オーケストラル・ヒット

 オーケストラル・ヒットという名前を知った途端、あれもこれもオーケストラル・ヒットか!となったのだが、これを見たせいで考えていたことが全部吹っ飛んでしまった。

良いツイート

聴いたもの

Information Overload Unit - System Planning Korporation

 初期ノイズ・インダストリアルに強い影響を与えたオーストラリアのグループのファースト。これはインダストリアルミュージックとでも言うべき騒音性が強く、その点でインダストリアルロックとは明確に色合いが異なる。
 とはいえただめちゃくちゃにノイズをまき散らしているわけではなく、その無機質さの表現としてここではダブが採用されている。無機質な高周波ノイズと、エコーやリバーブを用いた冷たい音響空間の表現の組み合わせがこの作品の聴きどころ。どうしても作品が古いためノイズの音も親しみやすい程度の激しさで、メルツバウから入った身としてはとても親しみやすいなと思った。

湊あくあ - シンデレラ(cover)

 自他ともに認めるコミュ障がシンデレラを歌うのはそのまんま過ぎて笑ってしまう。
 曲中の「ハロー残念なあたし」というフレーズは自分の不出来さに失望するフレーズだろうが、自分が不出来であること、不出来な人生をそれでも生きていかなければならないという宿命に向き合う機会としては良いのではないかと思う。少なくとも私はそう読んでいるし、これを歌う人が一瞬でもこの解釈を引っかけてくれればいいなと思っている。楽曲にエンパワメントの祈りを託してしまうのは悪い癖だろうか。

King Krule - You Heat Me Up, You Cool Me Down

 名前はよく聞くが知らないバンドことKing Kruleの最新作(調べたところソロアーティストだった)。コロナ禍で中断したツアーのベストテイク集らしい。なんとなくダウナーなインディーロックで、なるほどUK出身……という納得がある。この人はもう少し詳しく聴いてみたい。

 他にもいろいろ聴いたのだが、どれも自分の琴線に引っかからなかったため今日はここまで。

読んだもの

rollingstonejapan.com

omocoro.jp

news.yahoo.co.jp