雑記

__blurry_のおぼえがき

9/18

できたこと

  • 物件の内覧
  • 読書

雑感

体調と思索

 体調が回復しない。一つには寝不足もあるだろうが、常に胃のあたりが気持ち悪い上、味覚がまだぼんやりしていて、飲み物の美味しさの芯のような部分が感得できない。そういうわけでQoLは相当に下がっており、連休二日目も微妙な感じで終わってしまった。
 常になんとなく気分が悪いので、頭も上手く働いていない感じがする。不快感を「不快だなあ」と思うことにリソースが持っていかれているというか。だからこの頃の日記は今一つというか、ぼんやりした雰囲気がある。原因の一つには寝不足もあるだろうし、睡眠時間をしっかりとって早く回復したい。

選択

 気に入った物件の内覧に行った。これまで写真では分からなかった具体的寸法や、その空間のリアリティなどが把握できてよかった……のだが、そこで自分が暮らすという実感が湧かない。
 考えれば20年近く同じような間取りの家に住んでいるわけで、ちょっと何回か別の物件を観に行って「私はこれからここに住むのだな……」と意識が切り替わるはずもない。私が暮らす場所は実家のこの部屋である。それなのにただ何となくいい物件らしい、収納もたくさんあるし部屋も広いし……と営業の人と、一緒についてきた親とその部屋の良さについて話して、「調べてもそれ以上いい部屋が出てこない」という消極的理由でその部屋に決めてしまった。これから私は実家を出て一人暮らしを始めるらしい。そうなのか?本当にあの部屋に一人で?
 自分の不安とは「もっと理想的な部屋が見つかるかもしれない」のような、自分の選択が最善であるかどうかの不安であり、ついでに言えば金銭的な不安である。春まで待てばもっと良い物件が見つかるかもしれない。引っ越す前にお金が貯まるまでもう少し待ちたい。この前まで早く引っ越したいとばかり思っていたはずなのに、いざ選択をコミットする段になると足踏みばかりしている。
 しかし、この物件とていつまでもホールドしておけるわけではない。待てば待つだけ他の部屋を探している人に取られてしまう可能性は高まる。それに、これ以上待っていては雪が降り始める。動くなら今しかない。今しか……ない…………きっと。

今日の乱闘

 PKファイヤーを連打してくるネスに負けたり、回線落ちが不当に切断扱いされてオンラインに参加できなくなったりと散々だった。飛び道具持ちキャラと終点でやるのがめちゃめちゃに苦手で、ジャンプしたところを簡単に撃ち落とされている。何もいいことがなく、課題だけが積もった日だった。早く引っ越していい回線で乱闘がしたい。あれ?

読書

  • 井筒俊彦『意識と本質』の続き。普遍的「本質」の有無には三つのパターンが存在し、その一つ目、「存在するが、それは存在の表面にあるものではなく、我々の側の意識を変革するある種の修行によってようやく感得できるようになる」という立場の主張について。自分の全存在を賭けてまで「本質」に挑んだ宋儒とマラルメはすごい。私としてはその予定はない。
  • ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』より『病気の通訳』。インドで観光客向けの運転手をやっている男性が、アメリカで生まれ育ったインド人一家を案内するうちにその妻に惹かれていくが、コミュニケーションに失敗して結局忘れ去られる話。私が読んだのはそういう話ではないが……。職業における"誇り"や"妻"という存在の孤独、不義、"部外者"の必要性とその裏に潜むもの、そういったものを独特の形で描き出している作品。きっと私が読んだ以上にたくさんのことが書かれている。
  • 『2010年代SF傑作選』よりピーター・トライアス『火炎病』。「だからなんだ」以上の感想がない。"So what?"に回収されない面白さもSFの楽しみなのかもしれないが、私は現実に切実に接続した作品が読みたいのだし……という気持ちになる。

良いツイート

コラらしいが、どうやったらそんな改変をしようと思うのだろう……

聴いたもの

KenLou - What A Sensation

 Masters At Work別名義の作品。90sのハウスクラシックで、乱打されるラテンパーカッションの中にディスコからサンプリングしてきたであろう"What A Sensation"のメロディがぶつ切りに挿入される。サンプラーを用いたであろうその声ネタの使い方こそ、Masters At Workが達成したハウスとヒップホップの融合であるという解釈もできる。個人的にはサンプルもバッキングのサンプルもなく、ただハウスビートにパーカッションが乱打されるだけのM2が好き。本当にただそれだけなのだが、むしろオリジナルバージョンの方はシンセを入れたせいで古びて聞こえる。

青葉市子 - マホロボシヤ

 青葉市子の傑作。楽曲の強度もさることながら、録音が凄まじく、アコースティックギターが「音響」の性質を強く持つ楽器であることを強く意識させられる。John Faheyがそうであるように、あるいはジム・オルークやデヴィッド・グラブスがGastr Del Solで志向したように、ここでのアコギの音響は清浄なる異界から鳴っている。たまに聴くことで魂が浄化されるような、そんなアルバム。

大友良英 - solo live in Kyoto 1992

 大友良英なる即興演奏家のライブアルバム。NYP。Bandcampのトップページで見つけた。中身はノイズで、M1~5は(おそらく)ターンテーブルとギターを用いた演奏パフォーマンス、残りは(おそらく)CDプレイヤーを用いたパフォーマンスとなっている。
 前者はブレイクビーツにノイズを乗せたような比較的オーソドックスなノイズで、破壊的なロックとして、ビートの入っていない曲はアグレッシブなギターノイズとしてかっこいい。しかし面白いのは後者で、ジャズのループにノイズを重ねているのだが、ループと言っても同じフレーズを一定でない間隔で繰り返しているため、まるで変拍子の即興を聴いているようなスリリングさがパフォーマンスにみなぎっている。ヘッドホンで聴いたのだが、スピーカーで聴いたらもっと楽しいであろうアルバム。

 以下一言ずつ。

 スカートの在宅アンプラグドライブ。原曲を知らないものばかりなのでまずはそちらを聴こうと思った。

 yosumi新曲。HAMAはMarpril『ブレーカーシティ』を書いた人で、その時点で期待値が高かったのだが、今回もyosumiのダークな世界観に寄せつつ、HAMAらしいドロップ前後も聴きごたえのあるトラックとメロディで良かった。エハラミオリの歌詞は好きになれず、それだけは残念だが……。

 Dos Monosの新曲。あんまりピンとこない。

 余談:ノイズ音楽に触れてその良さが分かるようになってからというもの、これまで楽しめていた音楽に却ってのめり込めなくなった感じがある。新しい音楽に触れた時はいつもそうなるのだが、ノイズばっかり聴いているわけにもいかない。早いところバランスを取り戻したい。

読んだもの

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