できたこと
- 洗濯
雑感
朝日記
起きたはいいが暑いし昨日のクラブで疲れているので日記でも書く。
昨日は給料が下りて最初の金曜日だったので中華を食べに行った。店員さんに顔を覚えられ、味付けを私好みに辛くしてくれたり、お茶をサービスしてくれたりとあれこれやってくれて嬉しい。この前食べた火鍋がおいしかったのでまた誰か連れていきたい。
鮮やかさ
水星の魔女の「結婚」という単語を巡るあれこれを見た。一度出したならそのままにしておけばいいのになんで電子版で急に引っ込めるという判断がまかり通ったのか不思議でならない。
そのあたりの話を見ていて、ではなぜ私は同性婚が法的に認められてほしいのだろうとふと考えたのだが、それはやはり知人のためだなと答えが出た。私は(属性をアイデンティティにするのは気が乗らないが)おそらくアロマンティックなので、別に婚姻の自由が自分にあろうがなかろうが結婚に関わることはまずなく、従って同性婚の問題は"自分ごと"ではない。「海外では同性婚が法的に認められている」という主張もよく耳にするが、それでは主張が弱いというか、西洋/グローバルトレンドに合わせるべきだという自我の希薄な考え方は自分には合わない。私はただ知人たちがしたいことをできる世界であってほしく、それが理不尽に阻まれているなら解消されるべきだと思う。もっと"大義"のために活動をしている人は本当にすごいと思うが、私はこれが精一杯である。
話を一旦水星の魔女に戻して、最終話付近で「指輪を付けているからスレミオは結婚した」という盛り上がり方をしている時に、この作品はこれ以上観ないだろうなと思った。ちょっとアクセサリーの種類と暗示の仕方が変わっただけで、やっていることがリコリス・リコイル最終話と同じである。ノワール(ないし月村了衛が90~00年代に手がけた脚本)から進んだ感じがしない。言葉にしないこと、婉曲に視聴者に伝えることの普遍的な美しさについて否定はしないが、2020年代というこの限局された時代に限っては、私は一旦この美学を明確に否定したい。今の私は直截的なもの、視聴者を怯ませるようなビビッドなものを求めている。慎ましさばかり押し出される状況には本当に飽きてしまった。
追記:「左耳ピアスはレズビアンの記号」という話はもう時代遅れの感があるが、左耳にピアスをつけた"分かりやすい"レズビアンが明瞭に描かれることはついになく、表現として時代遅れになったのでもなく、内実を欠いたメタとして、ただそう発言する人だけが"時代遅れ"とされる空気だけが残ったことに対する違和感がずっとある。今左耳ピアスのレズビアンをやったって全然いい。記号を記号として一旦やり切ること、評価のたたき台を作ることには価値がある。
DIGICYHPER
http://www.plastictheater.com/schedule/2302.html
札幌の老舗クラブPlastic Theaterで面白そうなパーティーが開催されていたので行った。コロナに感染してから二か月弱、ようやくのナイトライフ復帰となる。目当てはハナカミリユウとtovgoの二人、というかそれ以外のメンツをほとんど確認せずに行ったのだが、lilbesh ramkoにBHS SvveにPARKGOLFと現行インターネットシーンの面白い人が集まっている回でとても楽しかった。
特に良かったのはハナカミリユウとPARKGOLF。前者はとにかく選曲のキレが頭一つ抜けており、クラブシーンの硬派な音とインターネットシーンの激しい音の核心的な部分を的確に繋いでいくプレイが自分好みだった。callasoiled "悪癖"という大名曲がかかったのも嬉しい。
後者はマシンライブ。現行シーンのクリシェに頼らず、バブルガム・ベースを根底に持つ強烈な高音域のメロディを鳴らしながらも、シンゲリを彷彿とさせるような原始的で高速なビートを鳴らしていたのが本当にかっこよかった。
ひとまかせ
最近はレコードショップの入荷情報をよく見ている。エクスペリメンタル/民族系ならArt Into LifeとかMeditationsがメインで時々ReconquistaとかShe Ye Yeあたり、クラブ系はnaminoharaとNewtoneあたり。というのは、一人で聴いていると一人で聴いているなりの狭いものばかり手に取ってしまう気がしたから……というか実際にそうなっているから。
去年くらいまでだったら自分で掘り進めて自分で良し悪しをジャッジするのが最上だと言っていただろうが、その時にはあまりフィットしなくても、一旦レコメンドを信頼して買ってみて、ゆっくりと向き合うことで面白さに気がついたという経験がだんだんと増えている。そうであれば、自分でしっかりと掘るのは当然のこととして、他人のレコメンドにとりあえず乗っかってみるというのも全然ありだと思うし、実際そのことで聴ける音楽の幅は広がっている。しばらくはそういう感じでやってみようと思う。
以下の作品なんかはまさにその例でとても面白かった。
聴いたもの
歌みたから。
赤見かるび - 味楽る!ミミカ ナンバーワン(Slax Remix)(cover)
NHKテレビジョンで放映されていた『味楽る!ミミカ』という番組のOPを、イタリアのslaxというトラックメーカーが"Mimika Euphorica"というタイトルでリミックスしたものを、VTuber赤見かるびさんがカバーしたもの。選曲もリミキサーもコアすぎて全然分からないが、赤見かるびさんの電波ソング的な独特な声質と、ロシア民謡的なフレーズを主軸に据えたトランスがマッチしていてとても好き。このところ毎日聴いている。
カモーネ カモネ
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) July 27, 2023
カモーネ カモネ
カグラナナ - 初恋日記(cover)
百鬼あやめさんや飴宮なずなのキャラクターデザインで有名なイラストレーターななかぐらさんのV名義での歌ってみた動画。スイートで耽美的なトラックの上に、天音かなたさんにも近いやや嗄れたような声による歌唱が乗ってかなり好きな感じになっている。Aメロの低域を出すために声帯を無理に使っているところが特に良い。
むト - デーモンロード(cover)
MAISONdesや須田景凪の楽曲へのフィーチャリングで知られるむト(名前の由来は「無色透明」のよう)のデーモンロード。可憐ながらも人を寄せ付けない芯の強さを感じさせる歌唱でとても良い。
この音源は特にミックスが面白い。こういったリバーブ控えめのロウなミックスでは(特にデーモンロードのような音が強烈な楽曲では)ボーカルがトラックに埋もれてつまらなくなることが多いのだが、この音源では両者が自然にフィットしている。理想的な仕事だなと思った。
ミックスを担当したt.oさんの仕事を観ていたら神白ニアさんの"Boi"があった。先日見つけて良いなと思った音源で、点と点が繋がった感じがある。
これはやや怪しいもの。
いよわ - 超ボカニコ2023
いよわの超ボカニコ(ニコニコ超会議のボカロオンリー音楽ステージ)のライブの様子がおそらく無断でアップロードされていた。いよわのコアにあるジャズ・クラシック・ドラムンベース・ジャングルの要素が前に出たプレイで、的確に楽曲にコードを当てていくのがかっこよかった。DECO*27 - ジレンマをボカロシーンとジャングルの交点としてプレイするところが好き。
途中のMCでバベルの投稿が宣言され、「今から流す新曲、歌ってくれてるのは……重音テトさんです」と言った瞬間にリスナーから大歓声が上がるところはこちらまで目頭が熱くなった。クリプトンのボーカロイドシリーズだけではない、広義のボーカロイドを心から愛する人たちの場という感じがした。
以下買ったCDを数枚ほど。
吉増剛造 - 石狩シーツ
https://diskunion.net/jazz/ct/detail/DS181114-001
試聴音源なし。Scott Fraserなるアーティストのアンビエントサウンドの上で、詩人吉増剛造が詩の朗読を行う音源。
この頃は音響詩やポエトリーリーディングに関心が向いているのだが、その中でも破格の一枚だと思った。
とにかく吉増剛造という人間の声の力が凄まじい。イメージの飛躍が強くて詩の意味は追えなくとも、ひとたびこの詩人の口から発せられると、一言たりとも聞き逃せなくなる上に、この人の中では全ての言葉が明確に結びついているのだとしか思えなくなる。言葉一つでここまで空間を支配してしまうことができるのだな……。
Mono Fontana - Ciruelo
Luis Alberto Spinettaの後期バンドで中核を担ったというマルチプレイヤーMono Fontanaのファースト。アルゼンチン音響派の名盤との触れ込みにつられて購入。
Mono Fontanaを聴き始めたのはセカンドの"Cribas"からで、水のように心地よく流れるアンビエント的音楽性の印象が強かったのだが、再生した途端怒涛のようなサウンドが流れ出してひっくり返ってしまった。ジャズとアルゼンチンフォルクローレを基調としながらも、フィールドレコーディングやクラシックのオーケストレーションも取り込んだ独特の語法で奏でられるサウンドで、かなり集中して聴いていてもそこで何が起きているのかがほとんど把握できない。
個々の音色の解像度に極端な開きがあることが、全体としての把握を難しくする一因かもしれない。民族音楽らしいパーカッションや笛、ドラム、あるいはウッドベースといった音はかなりリッチな鳴りをしているのだが、一方でキーボードやシンセストリングス、シンセサックスの音色は80年代の機材でも使っているようなぺらっぺらの音をしている。これらの音がどう整理されているのか分からない組み合わせで、しかも目まぐるしく主役を交代しながら奏でられるため、アンサンブルの把握が難しくなっている(もしくは把握させないような構造になっている)。
何にせよ、押し寄せてくる圧倒的な音世界をただひたすらに浴びるという体験は本当に久しぶりで新鮮だった。今後長く付き合いながら少しずつこの作品を紐解いていけたらと思う。
ゆらゆら帝国 - Sweet Spot
ゆらゆら帝国の10枚目のアルバム。このバンドを知ったのはLCD SoundsystemのJames Murphyが主宰するディスコパンクレーベルDFAから「空洞です」がリリースされていたのを見つけたのがきっかけだった。ミュータントのような奇妙なギター・ベースの音像と異様な切れ味のドラムのアンサンブルと、それにしては妙にふてぶてしいメロディラインが面白いと思いつつ、そこから興味関心が続かずそれきりになっていたのだが、この前なんとなく中古CD屋に寄ったら数枚置いてあったのでまとめて買った。
60年代以降のサイケデリックロックの全ての中から、年代問わず好きな要素を好きなように組み合わせて作り上げたような、物凄い強度のサイケアルバム。「空洞です」(とバンド名)から想像していたゆらゆら帝国のサウンドは、変なところに切れ味のあるサイケデリックポップくらいのものだったのだが、「Sweet Spot」を聴いたことで、この坂本慎太郎という人物は私が考えている数百倍くらいサイケが好きなのだなと認識が改まった。音だけの印象だが、坂本慎太郎は本当に"全部"聴くくらいの勢いでサイケが好きなのではないだろうか。そうでもなければこの引き出しの異常な広さと一曲ごとに詰め込まれたアイデアの数には説明がつかない。
特に好きな曲は3曲目「ロボットでした」、5曲目「タコ物語」、6曲目「はて人間は?」あたり。
以下Bandcampでの買い物。
Blake Mills - Jelly Road
Pino Palladinoとの共作"Notes With Attachments"で知られるアメリカのギタリストBlake Millsの最新作。カントリーを基調にしつつ、巧みな楽器の配置によるアレンジの豊かさが楽しめる一枚。
現代においてギターの音色やプレイというものはあらかた出尽くしているという印象があり、後は音楽性の組み合わせ方だったり、様式の中でどのように100点を取るかというディテールの詰め方だったりがリスニングのフォーカスになっているのだが、ここでのBlake Millsのギタープレイは滋味に溢れ、かつとてもフレッシュで、まだギターも全然やれるなと思った。どの曲も良いのだが、ハイライトはやはり4曲目"Skeleton Is Walking"。
Local Visions & 長瀬有花 - OACL
だつりょく系シンガー長瀬有花と、Vaporwave以降のポップミュージックを模索するレーベルLocal Visions所属アーティストの共作アルバム。
https://t.co/8GBT6qfAcI
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) July 15, 2023
長瀬有花さんとLocal Visionsのアルバム、浮遊感のある歌声が輪郭のしっかりしたビートに乗ることである種のノスタルジックなビジョンを立ち上がらせていて、長瀬さんのリリースの中で一番好き。クオリティからしてもこの人の代表作になっていく作品だなと思った。
ここで言い尽くしているのでこれ以上付け加えることはない。私はこの人の「脱力」というコンセプトには特段惹かれないのだが、今回に限って言えば、世界観に対して肩肘を張らない、ただそれぞれの曲の描き出す世界観の中で気ままに漂っているだけのような自在さが、こちらには見向きもしない、手を伸ばしても届かない記憶の中だけの少女像のような形に結実したような感覚があり、それが好きだなと思った。こういうコンセプトから外れたところで偶然に生まれる味わいがとても好き。
Various Artists - Coco María presents Club Coco ¡AHORA! The Latin sound of now
タイトルに全部書いてあるのだが、現代南米シーンのクラブ系サウンドのコンピレーション。リリース元は今最も信頼できるリイシューレーベルことLes Disques Bongo Joe。南米とは言っても今世界的な広がりを見せるレゲトンの楽曲は少なく、もっと癖の強いトロピカルなサウンドがここには集められている。
このコンピレーションが提示するのはラテン音楽のディテールの豊かさである。たとえば「レゲトン」のイメージというのはリズムパターンであって、どのような楽器がどのように配置されるかという細部については捨象されることが多い(DJ Pythonのディープレゲトンによりこのジャンルの知名度が広がったというのも一因としてある)。しかし、ここに収録された楽曲は定型のビートを持つわけではなく、古典的なラテン音楽の楽器構成やムード、アレンジの密度をキープしながら現代的な音にアップデートすることに主眼を置いているように感じた。ラテンと言えばレゲトンかトラップ、という形のある種オリエンタルな受容がなされている現代において、ラテン圏の音楽の歴史の長さと音楽的蓄積の豊かさを伝える試みとしてのこのコンピレーションはとても価値があるように思う。
やはりどの曲も素晴らしいのだが、ハイライトは6曲目"Juan Hundred - Always Ready To Smoke"。異常につんのめったリズムに合わせて頭を振らずにはいられない。
Various Artists - 'Yebo! Rare Mzansi Party Beats from Apartheid's Dying Years' compiled by John Armstrong
80年代南アフリカのシンセディスコ"Mzansi"のコンピレーション。TR-707という機材を使っているらしく、いかにも80年代的なチープな質感が感じられる。
リズムマシンもそれ以外のインストも全て音色としてはチープなのだが、甘いハーモニーのコーラスと、アフロポップ的なコード感が組み合わさることで、唯一無二の魅力が生まれている。西洋的な洗練を通らないローカルシーン特有の直情的なコード感と、薄い低域による浮遊感にはどこかボカロ曲に似た味わいがある。