できたこと
- 料理
- 皿洗い
- 炊飯
- クラブに行く
雑感
寛容と偏狭
「○○(任意のジャンル)が好き」という言葉を見るたびに「感覚どころか言語でまで自分の枠を規定することはないんじゃないか」、つまるところは「そんなこと言わないで全部聴いたらいいじゃん」と思う。まさか本当にそれしか聴けないということはあり得ないだろうし、単にその人がその音楽にアイデンティファイしているという表明に過ぎないのであろうとは思う。しかし、世にこれほど優れた音楽が溢れている中で自分の聴取の枠を狭めるような言葉の運用を見ると、なんとなく残念だなと思う。
……とはいえ、こと物語については、私も男性が絡んでくる恋愛に全く関心がない。性別不定というのが一番良く、次に百合が来る。BLは思考の表層まで上がってくることがない。男女の恋愛については抵抗すらあって、人からよほど勧められない限り読まないだろう。私にとって音楽が寛容の対象であり、恋愛については偏狭であるように、誰しも対象によって寛容だったり偏狭だったりして、その様々な張り方を互いに受け入れ合っているものなのだろうと今更ながらに思った。私だけが横車を押せるわけもない。
鏡
なんか音楽好きの間でちょっとした小火が起こっているのを見た。インターネット上では定番のアルバムの画像を9×9のタイル状に並べた画像を添付し、「これくらいだったら軽音サークル入る大学生は全員聴いてる気がする」といった主旨のことを音楽好きのアカウントがツイートしたのが発端で、誇張表現に選民思想にジャケットのタイル張りと役が重なって、それはまあ反感を呼ぶだろうなという感想になった。自分としてはただ若いのだなと思った。
その画像を見た時、正直に言えば「これくらいみんな聴いてるだろう」とは思ったものの、その「みんな」が誰かと考えれば日がなサブスクかBandcampに張り付いてる人間たちのことであって、私の身近な人にそんな人間は少ない。なので自分の考える「みんな」というのは、結論としては自分の自意識ないしは"格上"へのコンプレックスがあぶり出されたものということになる。そう思うと一気に恥ずかしくなってきた。
P.S. とはいえ、あのリストに載っている作品ばかりを好きだという人と音楽の話はできないだろうなと思う。理由は以下。
- あれらは優れた作品こそあれ、もっと深いところに潜るためのフックであって、そこで立ち止まっているというのは何を考えているのか分からなすぎる
- 全て話題作ではあるものの、話題になった作品というだけであって、個人的には買う気にならず、半年も経てば忘れて聴かなくなるものばかりだった
- ダンスの感性・視野が欠落している
しばらく前に「レコード屋の匂いがしない」という言葉を見かけ、その時はよく分からないまま流したものの、今になって意味が分かった。購入による選別や偏りがなさすぎる感じがする。そういう意味ではスタンプラリーに近いのかもしれない。集めることで一定の熱量のメーターになるといったような。