雑記

__blurry_のおぼえがき

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できたこと

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雑感

今日

 家に来る友達二人のためにスープカレーを作った。明日が旅行なので今日中に食べてしまわなければならず、結局自分で三杯くらい食べることになった。人が来ると料理も楽しい。ついでに料理のアイデアについてもいろいろ話を聞くことができる。次はしゃぶしゃぶをやろうと思う。

自分のおむつを自分で替える

 自分よりずっと年下なのに、何かしらの作品を鑑賞した時に「すごい!」「かっこいい!」「上がる!」のような素直なリアクションを取れなくなって何かしら分析的なことを言わなければ気が済まなくなっている人を時々見かける。批評家を目指しているのかもしれないが、その年齢で「私は滅多なことでは感動しません」のような"冷静"で"分析的"なスタンスを取るのはどう考えても早いと思う。解像度が足りていないし、身体性や感情が欠落した文章はその人の個体性が見えなくて面白くないから。

 別に言いたいなら好きに言えばいいが、無理にそういう文体で固めているならそれはやめた方がいいのではなかろうか。付け焼き刃の知識で冷静さを気取った文章を書いているのが一番見ていて厳しい。はしかみたいなもので、誰しも一度くらいは罹り、やがて落ち着いてゆくものかもしれないが……。

Over thinking, over analyzing, separates the body from the mind (Tool "Lateralus")

P.S.1:「○○はもっと評価されるべき」というツイートを時々見かけるが、どうにも他力本願で、おむつを変えてほしい赤子がむずがるのと本質的に大差ないと思う。そんなぼんやりしたことを言っていないで、自分で評価が上がるように何かしらのアクションを起こしたらいい。

P.S.2:昔はただ批評家然とした人たちの言うことを全て真に受けて「自分が聴くべきもの」を定めていたが、自分の中で音楽の解像度が上がってくるにつれて批評家一人ひとりの個体差が見えてきたり、自分が当然のように知っているものをその人たちが知らない、といった状況に行き当たったりすることが増えてきた。他人を権威化するものではないし、もし権威に見えているならそれは大方勉強が足りないだけだとつくづく実感した。自分にとっての権威は結句自分でなくてはならない。他人が欲しい情報をくれないとむずがるのもやめにして、自分で好きなものを探し、自分のおむつは自分で取り替えるべき段階なのだろう。

 明日は朝が早いので今日はここまで。