雑記

__blurry_のおぼえがき

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できたこと

  • 早起き
  • 初詣
  • 初売り?
  • トースターの設営

雑感

初詣

 年始の恒例行事として初売りに合わせて初詣に行った。普段は父親と一緒に朝6時半に家を出て、7時過ぎには初詣を完了していたのだが、そこから初売りが始まる10時までモスバーガーに居座って時間を潰すのがお互いにしんどくなったため、今回は8時半に待ち合わせと相成った。
 時間通りに待ち合わせ場所について北海道神宮に行ったところ、時間的にまだ早いのと、大方の人は元日に行ったのもあってか人はまばらだった。前日に午前2時まで起きていたので寝不足で、あくびをしながら境内をぼんやり歩いていたら前方から除雪車ガリガリとやかましくこちらに向かってきて、正月の穏やかな気分が一気に破れた。それはまあもちろん歩道は整備してほしいが、初詣というか神宮へのお参りは静謐なものであってほしい。タイミングがやや悪かった。
 今年も手水には柵が設けられていたが、水自体は流れ続けていた。湧き水だから止めようがないということだろう。手水の代わりに手水所に花を活ける「花手水」という文化が生じたという話があったので、もしかしてやってたりしないかと思ったのだが、北海道神宮にはなかった。残念。

https://livejapan.com/ja/in-tokyo/in-pref-tokyo/in-tsukiji/article-a0005015/

新型コロナウィルス感染拡大防止策の一環として、多くの寺社では不特定多数の人たちが使う手水を中止するように。そこでこれをきっかけに、使わなくなった手水舎や手水鉢に花を飾るという動きが、全国の寺社に広まっていったといいます。

 初詣を終えた後は帰り道に屋台を見て回った。屋台と言えば軒の文字が右から左に書かれているのを見るのが面白かったのだが、今年はほとんど見かけなかった。ネタにされていることに気づき始めたのだろうか。

初売り?

 ここ数年アパレルの福袋を買っていたのだが、ついに「買ってもどうせ着ない」という気持ちが勝利してしまったため、今年は福袋の類は何も買わず、さっさとタワーレコードに向かった。去年から店舗を移しての営業となったため勝手が分からず、10時前にパルコに行ったのだが、「初売りの方はこちらに並んでください」と階段上に続く行列に誘導された。どこまで登っても最後尾が見えてこなくて何なんだと思っていたら6階の踊り場まで行列が続いていて、店員さんに聞いたところ開店の際には1階まで降りての入場になると言われたので、理屈は分かるが馬鹿みたいだなと思った。なぜならタワーレコードに初売りセールはないし、テナントが入っているのは7階だからである。下手に人流の自由度を高めると乱れると危ないからという理屈は分かりつつ、そこのシャッターを開けてくれれば早いものを……という気持ちは否めなかった。
 タワーレコードは明らかに狭くなっていた。以前はワンフロア丸ごとあったものが4分の1以下に縮小しているのだから当たり前だが、電子音楽やクラシックなど、セールスに結びつきにくいジャンルの音楽がごっそりと削り取られて定番くらいしか残っていないのを見るとさすがに残念な気持ちになった。営業を続けているだけありがたいと思わなければならないが……。
 買ったのは以下。

 Bandcampで買えるものは放っておき、サブスクで良さそうなものも除外して、タワレコでわざわざ買う価値があり、物体で持っておきたいもの……と選んでいくとこうなった。羊文学については今後仲良くなれそうなのと、これはCDを持っておくべき音楽だなと思ったのが理由である。

 それから父親が見たいものがあるというのでヨドバシカメラに行った。そこで「餅を焼くのにトースターを買ったらいいんじゃないか」と提案されたのだが、いいね~と話を合わせていたらいつの間にか買ってしまっていた。事実欲しかったし、ポイントカードに4000ポイント溜まっていたし、1万円するものを選んだはずなのに、レジに通したらなぜか7000円ちょっとに値下がりしていたので問題は全然ないのだが……。店員に聞き直し、後から品番を確認しても間違いということはなさそうだったので、何だか知らないが思いがけずお得なお買い物となった。

 それから香水が欲しいという話をして香水屋さん(?)に行った。香りへの解像度が低いのと経験が少ないせいで、店員さんから受け取ったテストシート(?)を数枚嗅いだところで嗅覚が麻痺して何が何だかわからなくなった。シートで嗅ぐのとスティックから嗅ぐのとリキッドを直で嗅ぐので全然香りが違うように感じたのだが、どれを信じればいいのか……。ちゃんとしたセットを買おうと思うと2万円の出費になるとのことだったので、購入は次回以降への持ち越しとした。
「フェイバリットドレス」と「ジョイウィズユー」の2種類が柑橘系で良かったので、この2つをメインに検討する予定。それはそれとして私は部屋に甘ったるくてだるい香りを充満させ、意味もなく性的っぽい雰囲気にしてみたい思いもあるので悩ましい。

 追記:甘い香りって性的な意味で付けるので合ってるよね?とふと不安になりTwitterで「甘い香り エロ」で検索した。何をくだらないことをやっているのかと思った。

食事会

 FRUEの再放送を見ていたところ父親から家族3人での食事会に急遽誘われたので行った。母親主催とのことで、年越しの一件について私に謝罪するよう父親につつかれたのだろうとは見当がつくし、事実そうだった。待ち合わせ場所に着いて早々に謝罪を受けたものの、自分の何が悪くて今後どう改善するのかについては要領を得なかったので、たぶん繰り返すだろうと思う。会いに行く前に「親なんて子供みたいなもの」と年上の友人にしみじみと言われたが、きっとそうなのだろう。30代になる頃には子供をあやすように親を扱えるようになりたい。
 メニューは美味しかった。アメリカ流儀っぽいコース料理で、丁寧に調理された野菜に食べ応えがあった。これくらいしっかりと調理されていればブロッコリーもおいしい。

フロア主義

 私は音楽の聴取においてフロアより良い場所はないと思っているが、他人にとってはそうではない、という当たり前のことを時々感じる。もちろんそれぞれに主張はあるだろうが、何を言っていようが私は「フロア最高!」から一歩も動かないだろうと思う。ここについてはこれ以上他人と折衝を図らない。私は辛いものが好きであなたは甘いものが好きというレベルの個人的な話であるから。
 フロア最高というとすぐに「集団的熱狂」とか「内輪ノリ」みたいな単語を持ち出す人がいるのだが、フロアで音楽以外のことを考えている時点で正直なところ話にならない。音楽を聴きに来たならフロアに人が何人いて他人がどう盛り上がっていようが知ったことではない。私とDJ以外無人だろうが私は踊るし、知らない人間が知らない盛り上がり方をしていようがこちらには何の関係もない。踊れる曲が来たら踊ればいいし、そうでなければ下がればいい。私にとって「フロアが好き」というのはそれ以上でも以下でもない。
 フロアにもフロアの多様性がある。そういうことを考えずにざっくりと「ダンスミュージックが掛かる内輪ノリの場所」みたいな態度で来られるのは納得がいかない。このところずっと引っ掛かっていたので言葉にしたかった。

muimix.hatenablog.com

 さておき、こちらの記事で私のツイートについての言及があり、ずっと引っ掛かっていたので以下に応答する。

「クラブで音楽聴けば批評家の言ってることなんてどうでもいいってことがわかるだろう」(自分の意訳です。元ツイは削除済み)(以下ではこのツイを①と呼びます)というような主旨のツイートがまた為されました。

 これは私の言ったことで間違いがないが、おそらく全員から誤読されている。
 私が言いたいのは「自分の身体が動くものだけを信じろ」ということである。私は現場に行けば"コアな音楽"への解像度が上がるとか言っているのではない。ヒットナンバーでしか身体が動かないならそれで一向に構わない。それは結果論であるから。私はただ、テキストスペースで権威を持つ他者が何を言っているかではなく、実際に音が鳴っている場所に身を置いて、自分の身体がそこで鳴っている音に反応したかどうかという即物性を重んじるべきだという話をしている。

 当時私がどう答えたのか覚えていないが、私の主張が前述のものである以上はこれも誤っている。身体が動くものだけを信じろと言っているのだから価値観の偏りなどは問題にはならない。ただ音を聴いて身体に訊けばよい。

 話が脱線するが、一方で私は「それだけでは理解できない音楽、見えない景色もある」というのも経験的に知っている。何度もヘッドホンで繰り返し聴くことで分かってきた音楽だって当然あるし、私は"当然のこととして"知識は身についているほどいいと思うが、そこについては正直私がわざわざ発信する意義を感じない。聴く人間は勝手に聴いて知識を獲得しているだろう。Pitchforkの提示する○○年代ベストアルバムとか、ローリングストーンズのオールタイムベストとか。今だったらジャンル・シーンごとのSpotifyプレイリストとか。私は『2chリスナーが選ぶ○○年代ベストアルバム』だったが……。さておき、そういう人間は自然と自分の価値観を身に付けていくものと私は信じている。フロアについての話は、そういうことをしない人に向けての話である。
 というか、何につけても知識はあればあるほど良いなどというのは、分別のある大人なら当たり前に分かっていることだと信じたい。その上で、わざわざ勉強するほどでもないがライトに好きな音楽を聴いているという層は普通に存在して、そういう層が批評家にコンプレックスを抱いていると、元を辿ればそういう話である。

 話を戻す。「身体が動くかどうか」というのは食事くらい即物的なもので、その経験についてはほとんど否定のしようがない。その経験を重ねる中で好きな音楽なり何なりが定まっていくことは自然に考えられるだろう。私はそれで全然いいと思う。それでも他人が好きな音楽をこき下ろしてくるのであればまたフロアに行けばいい。身体が動けばそこで話は終わりである。ごちゃごちゃ言われたところで踊れることには変わりがない。私はそれ以上のことを言うつもりはない。

追記:そしてこれはそもそも私の相互に向けた話でもある。時々どうも自信なさげにしているのを見かけるけれど、私がどんな音楽を良いと言いどんな音楽を無視していようとも、それぞれがフロア/ライブハウスに行って、身体に響いた時にその興奮を身体で表していてほしい。あなたの人生においてはその身体の動き心の動きだけが正しい。