できたこと
- ウォーキング
雑感
ヘッドホン
先日イベントに出かけた際に年若いミュージシャンと会ったのだが、その人が普通に街中への外出で首にヘッドホンをかけてきているのを見て、同類だと思った。
ヘッドホンをかけているということは当然街中で歩きながら音楽を聴いているということで、家にいる間はもちろん外に出ても音を聴いていないと気が済まない、そのためにファッションが多少損なわれようが構わないという没頭ぶりは自分のそれと全く同じものだし、そういった傾倒の態度が自分より若い人々の間にも存在するということが嬉しくなった。
バランスもカジュアルさも幅広さも流行も、本当のところでは自分には関係がないと思っている。やらないと気が済まないことを気が済むまでやっていたい。
音楽の奇跡を信じる
歌みたの中でも普通に歌が上手い人は何にも面白くない、プロがやる既存のポップソングの様式をインディーでなぞることに何か音楽的な面白さが見出せるとは思えない、と人に話すと、「栞は何か音楽の軌跡みたいなものを信じていて、それを求めているからだろうけど、大多数の人はそうではないから」と言われた。
音楽の奇跡を信じるというのはおそらく、どんな音楽シーンであっても、そのシーン以外では絶対に起こり得ない化学反応が起きてユニークなサウンドが生まれ得るという考え方のことを指している。良い言葉だなと思う。
そういう意味では"歌うま"のVは奇跡のポテンシャルというか、反応性が低いなと思う。"まるでプロ"であるということは、その歌唱がプロに近いということ、言い換えれば"プロの音"という様式に回収され、他のプロとの比較になってすぐに埋もれてしまう音になるということで、自分の中では何も面白くない。今はもっと変なものが聴きたい。
倫理と限度
以下のツイートが盛り上がっている。
もし生き残らせたい「推しミュージシャン」が居たら、コスト回収率の高いCDを一応買ってあげて、歌詞カードやセルフライナーなど作品の全体像を把握したうえでサブスクでも聴きまくってあげると次作やアナログを出せる可能性が高まるんだけど、5年10年経つうちにもっとマシな方法が確立されるといいな https://t.co/vgppJigJJc
— 七尾旅人 (@tavito_net) September 18, 2022
サブスクというシステムを考えた人は地獄に堕ちてほしいと思っている。
— 川本真琴 (@19740119) September 19, 2022
ストリーミングサービスについてはこれ以上言いたいこともないが、どうも七尾旅人はデジタルリリースについても良く思っていないように見え、そこがとても気になった。
この文を読む限りでは歌詞カードやセルフライナーにも意図を込めているのだからそこまで含めて楽しんでほしいということだろうが、そもそもどうしてデジタルリリースに歌詞カードもセルフライナーもジャケット画像も付いてこないのだろう。買った曲の歌詞は知りたいし、自作の解題があるなら読みたいに決まっている。デジタルリリースなんて言ってしまえばZipファイルなのだから、そこに画像なりpdfなりを突っ込むことがそんなにも難しいこととは思えないのだが……。これはレコード会社か配信プラットフォームの方の問題だろうが、自身がレーベルに所属している以上あまり大きな声で文句も言えないということだろうか。
アーティストがCDを買ってほしいと言ったとして、私はたぶん買わないだろうな……と思う。私がCDを買うのはそれが一番安い時か、推しのVがリリースした時、中古屋に行った時以外にはない。安く中古で出ているなら中古で買えばいい。アーティストの意図やダウンロードとCDの利益率などと言われても、物理メディアのために余分にお金を積むくらいならそのお金は他のアーティストの作品一枚分のために使いたい。私は搾取に加担したくないからストリーミングサービスから距離を置いているが、その先まで強制される筋合いはない。加えて言えば、Bandcampでフル試聴ができない作品については普通にYouTube Musicで試聴しているし、その上でだいたいの作品は買っていない。そういう作品はだいたいがOTOTOYかmoraに置いてあるのだが、アルバム一枚3000円はそもそもの価格設定がおかしい。そんなところまで付き合ってはいられない。
ちなみにBandcampでは普通にジャケット画像がついているし、アーティストによってはpdfファイルなりテキストファイルなりをつけていたりする。RELEASE YOUR MUSIC ON BANDCAMP。
追記:以下のツイートはその通りだなと思った。
良さが解らない(解りにくい)もの、難しいもの、ややこしいもの…を「良い」と思えるまで聴く。観る。読む。という行為。これを懸命に10代の頃にやってたからこそ今の自分があるのは確か。飯を抜き生活費を削って買った1枚のCDやレコードとの"勝負"。そういう感覚は今は無いかもしれないですね
— デリリウム (@thehellofit) September 21, 2022
収益云々に関する話は一先ず置いておきますが…例の川本真琴のツイートへの反論(?)として「気軽に色んな音楽が聴けるようになったからサブスクは良い」みたいなこと言ってる人が結構な数いたんですけど、僕は「気軽に音楽聴ける」のが無条件に素晴らしいこととは思いません
— デリリウム (@thehellofit) September 21, 2022
身を切って購入するという行為によって買わなかった作品との間に線を引き、買ったものだけに集中して分かるまで何回でも聴く、そういう形でしか感性が育たない人もいるだろうと思う。私がそうだったように。
最近は音楽の話題が多い。ローカルの話があまりにローカルすぎてインターネットに書けないか、リアルタイム性が高すぎてその場で忘れているかのどちらか。
チェンソーマン
OP・ED陣が発表された。
【書き下ろし】TVアニメ『チェンソーマン』OPテーマは米津玄師の新曲「KICK BACK」https://t.co/c3mqRzVrha
— ライブドアニュース (@livedoornews) September 19, 2022
米津は「とにかく原作が好きだったので光栄です」とコメント。モーニング娘。の2002年のヒット曲「そうだ!We’re ALIVE」をサンプリングしていることも明らかになった。 pic.twitter.com/L86IWQiKM2
『#チェンソーマン』挿入歌: #マキシマムザホルモン
— チェンソーマン【公式】 (@CHAINSAWMAN_PR) September 19, 2022
EDは楽曲も映像も毎週異なった映像に!
エンディング・テーマ:#ano,#Eve,#Aimer,#Kanaria,#女王蜂,#syudou,#ずっと真夜中でいいのに。#TKfrom凛として時雨,#TOOBOE,#Vaundy,#PEOPLE1,#マキシマムザホルモン https://t.co/flR4loK9mo #chainsawman pic.twitter.com/bNFCMkuYcH
「ただのSpotifyじゃん」というのが最終的な感想になる。がっかり感が強いのは牛尾憲輔が劇伴を担当しているからで、サウンドの深度が全然合っていない。リズと青い鳥のEDが北宇治カルテット "トゥッティ!"になるのに近い。
チェンソーマンの魅力は絶妙なB級感から背筋まで凍り付くような緊張感までの振れ幅にあると思っていて、牛尾憲輔のインダストリアルなサウンドは後者に寄せたものと思うのだが、このアーティスト陣はほとんどがキラキラしたメジャー陣で作風を全然裏切っており、唯一マキシマムザホルモンだけが正解している。これはこれで珍しい。
そういうわけで自分に見えている範囲では不評が多い。検索をかけると好意的に捉える層もいるし、実際のところはプロダクトを見てみないと何とも言えないのだが、少なくとも藤本タツキはアーティストの選択権を持っていなかったか、作中でよくやるような読者への目配せはしなかったなと思い、どちらにしても面白くないなと感じた。
聴いたもの
Takanashi Kiara - DO U
ホロライブENの小鳥遊キアラさんの新曲。作曲は以前のオリジナル曲 "SPARK"や、にじさんじEN所属のFinana Ryugu "TSUNAMI"を手がけたKIRA。音色の選び方・楽曲構造・楽曲強度までしっかりと本流のK-POPで、キアラさんもそのマナーを丁寧になぞった歌唱で応えている。
ここで面白いのは、いくら歌唱法をなぞっていても、やはりキアラさんの歌声は強烈なポップネスを帯びたアニメ声であること。特に高音域においてそれが顕著となるのだが、"K-POPサウンド"をリファレンスとして聴くと、やはりその声だけが楽曲の中で強烈な存在感/違和感を放ち、いわばディストーションが掛かっているように感じられる。既存のマナーを忠実になぞればなぞるほど、声質という差分が際立ち、結果として本流とはまるで異なるサウンドに変質し、強い批評性を帯びる。Vの歌、あるいは歌い手の歌の可能性とはそういったところにあると思う。
以下はしばらく前に読んで感銘を受けた記事。
感銘を受けたといっても6割くらいしか共感はしていないのだが(この人は歌唱スキルと個性でマトリクスを作っているが、私は楽曲と歌唱の間のケミストリーを重視していてフォーカスの仕方が異なっている)、シンプルにディグの深度が深い。この記事を読んでからディグのモチベーションが相当高まった。
以下最近見つけた歌い手。
韓国の歌い手Syepiasさんとゲーム開発者sunfloさんのサンドリヨン。sunfloさんの方は明らかに声が虚弱で録音も微妙なのだが、syepiasさんの歌唱があまりに圧倒的かつ"王子様"然としており、サンドリヨンという楽曲が要請する"王子と姫"のロールに完璧にマッチしていて聴きごたえがある。
Syepiasさんは凄まじく歌が上手く、本家とは違ったクリーンな方向で踊の正解を叩き出している。
同じく韓国の歌い手이라(いら)さん。ハスキーでアンニュイな歌声と全体的にスラーがかかったような弛緩して甘い歌唱が寄り酔いという楽曲にマッチしている。1000再生を切っているというのが惜しい。
飴宮なずなさんの歌枠の切り抜き。スキルがあるわけではないのだが、日頃のテンションを差し引いて真剣に歌うと歌唱がほとんどドリームポップになる。強いリバーブによってボーカルの音像がぼやけており、バックトラックがチープであることもドリーミーな質感に拍車をかけているのだが、それにしてもこうしてただ歌うだけで"音楽"になってしまうというのは凄まじいものがある。
picnic - creaky little branch
オーストラリアの新興アンビエントレーベルDaisartからリリースされたpicnicの新譜。いつも通り砂利が混ざっているようなざらざらしたアンビエントサウンドに、融解したようなピアノのフレーズの断片が時折流れてくる。かなり気持ちのいいサウンド。
ピアノ男 - FAKESAX
リョウコ2000としても知られるピアノ男の新作。名前の通り"嘘サックス"、つまりシンセ音源のサックスの音色をフィーチャーしたアルバムなのだが、「生楽器のサックスの代替」としてのサックスのシンセを、そうではなく「FAKESAX」という固有のサウンドとして捉え直してその可能性を探るというアプローチがとても面白い。レゲトンやジュークなど現行ダンスミュージックのパワフルなビートを素材に、FAKESAXを現実のサックスの文脈から離れてフリーキーに鳴らす実験が行われている。キーとなるのはグリッチ化で、これは完全にサックスからミュージシャンシップを切り離さないと出てこないアプローチだなと思う。特に好きな曲は2,3,5,6曲目。シンプルに踊れる。