できたこと
- 残業
- 早起き
雑感
メタ
ダ・ヴィンチ・恐山の頻出ツイート100選が燃えて取り下げられた。本人には全く悪気がなかったというが、それはどういうことなんだろう……と考えていて、岡崎体育を思い出した。
岡崎体育は既存の音楽・MVのフォーマット自体をネタにした音楽で知られるミュージシャンで、本人としてはやはり面白いと思っているのだと思う。
個人的には(昔は面白がっていたにせよ)「うざ……」と感じる。「感情のピクセル」なんかはリリース当初に聴いてシンプルに嫌だなと思った。
で、恐山が「面白いと思って」あのnoteを公開したのなら全然面白くない、という結論が出た。あれは要するに既存のネタを並べ直しただけの、他人のユーモアと感受性へのただ乗りだし、そもそも既存のネタを並べるというネタ自体が岡崎体育なりの先人によってすでに耕し尽くされている。もっと悪意的に、Twitterユーザーの単調さを揶揄する目的で供されたのであれば食らうものもあったかもしれないが、あくまで「おもしろ」の一環として供されたのであれば、そこには新規性も批評性も見出すことはできないし、その(自分のものも含まれている)べたべたの手垢を見て単に嫌な思いをするに留まる。
バイデンが井戸に毒を投げ込んだとツイートして燃えた人のことが懐かしい。既出のハイコンテクストユーモアで滑ると予後が悪い。
余談:頻出ツイート100選に対して「禁止カードだろこれ」と言及している人がいて、"頻出ツイート"だと思った。
明確な悪意をもって「Twitterのオタクの変な語法100選」を公開してTwitterの言葉遣いを矯正するやつ誰かにやってほしい(?)
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) June 23, 2022
52ヘルツ100デシベルのクジラ
日記を読んでいるときに「同じ話題に皆が反応し、それを繰り返しているうちに思想が先鋭化するのは怖い」といったようなことが書いてあって、それは本当にその通りだなと思った。
個人的に嫌なことを加えると、言及先が揃うことに加えて、感想文の出力パターンが似通い始めたり、同じことを別の言葉で言い換えるゲームが始まったりすること。フォローし合うくらいには感性が近いのだからある程度自然なのだとしても、みんなある程度はてんでばらばらの趣味嗜好を持っていて、日頃は全然違うことに言及していて欲しいと思う。Twitterコミュニティにはそういう緩さを求めている。
自分の場合で言うと、私もさすがに音楽の好みが相互の人と全然重なっていないことは重々承知しているが、それはそれとして聴けばみんな好きになるだろうという確信があるから、踊れるトラックやメジャーっぽい音そっちのけで日々ノイズなりドローンなりのエクスペリメンタル音源ツイートを延々連ねている。私がやっていることは当然気ままなツイートであるが、内心を探れば威嚇でありつつ誘いでもあるだろう。
通じない話を、通じないとしても話すし、何なら騒がしくする。要するにどこにも属さず、でもなんとなくは属していたい。今はそういう感じでいる。
語録
松田:笑 そのさ、どこまで本気で言ってるかの焦点をぼかすような喋り方やめようよ。病状が進行するよ。
何でもかんでもある種の"構文"に入れ込まないと発語できない類の人がいる。別に例のアレとかの話に限らず、話題の漫画の最新話が更新されたあとの数時間でバズってる感想ツイートとか、なんでも。いわゆるジャーゴンというやつだろうか。
とにかく、意見なり感想なり感情なりがあるという時に外部の硬直した構文を引っ張ってくるというのが気に入らない。ただフラットに書けばいいものをと思う。何様のつもりだと言われても仕方がないが、嫌なものは嫌なのだから何様だろうがやはり言いたい。普通に書いて普通に話してそんな口調になると言うならもう文句も言わないけれど、変な構文の震源地にゃるらですら、スペースを聞いている限りは普通に喋るというのは覚えておいてほしい。
『犬王』
観たのにすっかり忘れていた。なぜかというと音楽の思想がまるきり合わないから。
曲がりなりにも能楽をやるのであれば音楽も能楽のエッセンスを持ちつつ、外部の文脈の力を借りてポップに聴かせるというのが筋だろうと思うのだが、この映画ではまるきり60年代ブルースロックやQUEENというEstablishedな音楽にその力を依存していて、この映画でなくてもこの音楽は"鳴る"だろう、と白けてしまった。それがずっとこそばゆくて話の筋を追うどころではなく、作中にある無音パートはこそばゆさがやっと消えたという安堵に費やされていて、意図されていた緊張が全く伝わってこなかった。コンセプトも声優も脚本も良いのに音楽のコンセプトがまるで受け付けない。この湯浅政明という人とは趣味が合わないだろうなと思った。
周央サンゴ3D
とても良かった。お披露目配信のテンプレート(スクショタイム、ゲストを呼んだ企画、スパチャで画面上に増えるオブジェクト……)をなぞりつつ、全てが一つのミュージカルの流れに自然な形で組み込まれていて、この人の企画力の高さを感じた。
歌についても、マツケンサンバⅡはダンサーとコーラス含めてすべて自分素材でやるという奇行でこそあれ、MVの再現度の高さと松平健の歌唱の完璧なトレースには奇行を奇行に終わらせない強度がある。初音ミクの暴走を生で歌うどころか原曲にないシャウトを繰り出すエモとユーモア、独自性とパロディ、おふざけと本気をシームレスに自在に行き来する様はまさに傑物で、見終えた後は本当にすごい人だなと思った。
聴いたもの
harmoe - It's A Small World
岩田陽葵と小泉萌香による声優ユニット𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖のファーストアルバム。全体をエレクトロニックサウンドで固めたポップソングが並ぶのだが、曲のクオリティより先に「大場ななさんと露崎まひるさんがデュエットしている……」という感情が先に立つ。楽曲を提供しているのはyuigot、KOTONOHOUSE、Tomgggなどマルチネ周辺の面々なのだが、このアルバムの本命は田中秀和が提供した「ククタナ」である。
トライバルなパーカッションとマリンバの刻みにアラビア音階がほのかに香るメロディが乗り、ビートはダンスホール、中間にあるドロップはUKベース……と複数のコンテクストをポップとしてまとめ上げているだけでも意味が分からないが、その上でharmoeの二人の甘さを帯びた特徴的な歌声が際立つように、あくまで主役が二人になるようにサウンドの全体を控えめかつ西洋的に洗練させるという離れ業をやってのけている。2022年の収穫の一つ。
Various Artists - Now Thing 2
「ククタナ」を聴いてダンスホールが聴きたくなったのでコンピレーションを手に取った。ダンスホールには明るくないので名前も文脈も全然分からないのだが、今聴いても明らかに異形と言えたりインダストリアルやポストパンクとも接続したような聴き心地が異様な曲が3割以上あって、この柔軟性が現代のMixpakやEquiknoxx、Livity Soundなどのサウンドに繋がっているのだなと思った。
Various Artists - Denham Audio & Friends Vol. 2
UKG・ブレイクスの名所Cheeky Music Groupの新譜。Denham Audioなる人物が周辺プロデューサー数人と組んで作ったトラック群。テーマはレイヴらしく、一曲目からハッピーハードコア、二曲目はブレイクスに強烈なエレクトロ、三曲目はアシッド……とあからさまにこちらに暴れることを要求してくる激しいトラックが並ぶ。最高。
Chrisman - Makila
アフリカのエクスペリメンタルレーベルとして知名度を上げるウガンダのNyege Nyege Tapes傘下、東アフリカとコンゴのクラブミュージックを探求するレーベルHakuna Kulalaの新譜。Gqomのような硬くダークな質感を持ちつつ、それだけに留まらずシンゲリ(タンザニアの高速ダンスミュージック)の速度やクドゥロ(アンゴラのスカスカなダンスミュージック)、ベースミュージックやトラップ・グライムのサウンドも飲み込んで完全に独自のアフリカンエレクトロニックサウンドを鳴らす傑作。アフリカの現在の音が鳴っている。
Stevie Wonder - Superstitionネタのミニマルテックハウス。ボーカルのカットアップに加え、原曲のキメのフレーズは丁寧にコードを追って再現しているところが良い。
Queen - Another One Bits The Dustのベースラインをサンプルしてラップのサンプルを乗せたハウス。他に言うことはなく、その簡潔さに快楽性が宿る。
Henrik SchwarzとFreestyle Man aka Sasseなるドイツのプロデューサーが組んでMule Musiqから出したシングル。ジャジーながら軽快にバウンスし、適度なエモーショナルさも忘れない、Henrik Schwarzの強みが全部出たようなトラック。これくらいで踊るのが一番気持ちいい。
最近はいろいろ聴いていろいろ買っているのだが、ブログに書くのが全然追いつかない。日記を継続して書くということができていないので、当たり前といえば当たり前なのだけれど……。