できたこと
- ランニング
- 荷造りと搬入
- 窓の寸法を測る
- 部屋の寸法を測る
雑感
ALL NIGHT LONG
久しぶりにクラブに行った。DJはアシッドを中心にプレイするGONNO。
とにかくクラブという空間がいい。知らない人しかいなくて、空間は広く、人の顔も見えないほど暗く、フロアを取り囲む巨大なスピーカーからはダンスミュージックだけが延々と流れ続ける。できることと言えば踊ることだけ。その尖り方を求めてクラブに通っているという気がする。
単一の機能しか持たない空間は、それゆえに人を一つのことに没頭させる。クラブでも映画館でも図書館でも自習スペースでもジムでも、あるいはラブホテルでも。なんでもいい。今の自分は多機能であることをむしろ集中を削ぐ厄介なものと感じているのだが、クラブにはそういったdistractionを惹起するような要素がなく、とても澄んでいて居心地がよかった。
……のだが、肝心のプレイがあんまり合わなかった。GONNOのプレイといえば、ハウスもテクノもディスコも、あるいは新鮮なリスニング感覚を持つ音源も全部使って、一つの流れに纏め上げていくことに定評があるのだが、今日はひたすらにゴリゴリのテクノばかりをかけ倒していた。久しぶりのパーティでそういう気分だったのかもしれないが、個人的には彩りを欠いていて全然乗っていけなかった。前はこういう曲をかけてフロアを狂わせていたのだけれど。
そういうわけで踊りながらもずっと眠くてぼんやりしていたし、実際途中でラウンジで丸まって眠っていたのだが(そういうことをしても危険な目に遭わないのがこのクラブのいいところ)、途中一時間ほどハウスに流れた時間があり、そこで一気に目が覚めた。「今日は踊ることに専念しよう」と決めていたのでほとんどShazamは使っていない。ただひたすらに一人で踊った。
……とはいえ、やっぱりどうしてもこれは知りたいという曲もいくつかあって、5曲だけ調べた。以下に並べる。
四曲目の郷愁を誘うリリカルなピアノが良い。残りの曲は家で聴いても全然心が動かされない。あの感動はどこに行ったんだ?
今日
昼まで寝てから活動開始。家のCDと本を新居に搬入し、様々な寸法を測った。以前搬入に使った段ボールを折りたたんで回収し、また組み立てて実家のラックと本棚の中身を詰める。父親の部屋に放置されていた自分のCDを回収する。明日は自家用車の中身も回収する。自分の痕跡を少しずつ消し去っていく。
これを見た。
Mdou Moctarがみのミュージックに取り上げられるだけの知名度を持っていることにびっくりした。コメント欄を見るとたくさんの人が言及していて、意外に根強い支持があるのだな……と思ったが、Matadorから出してるようなアーティストが無名と考える方がおかしい。Bandcampで知ったアーティストはマイナーと考えてしまいがち。
ちなみにMdou Moctarがアルバムをリリースしている西アフリカのレーベルSahel SoundsはBandcamp Friday限定で全カタログをNYPにしている。同じくデザートロックで評価の高いLes Filles de Illighadadなども投げ銭で落とせる。覚えておくと役立つこともあるかもしれない。
良いツイート
女の子を好きな女の子あるある pic.twitter.com/ERfcnxxqlZ
— 川内@ティアN21a (@kawauchi05) 2021年11月5日
最後の1コマに強い恍惚が宿っている。
クレヨンで描いています pic.twitter.com/HZb99QWzSE
— 杉野ギーノス (@giinos_) 2021年11月5日
父が置いてってくれたウェルシアの紙袋を異常に警戒する猫 pic.twitter.com/2MwDWlC63e
— ベンガルのライラさん (@kon_lyla) 2021年11月5日
【今日の1枚】錯覚誘う絶妙リターンhttps://t.co/qsZ9d5VxpL
— AFPBB News (@afpbbcom) 2021年11月6日
男子テニス、エルステ・バンク・オープン、シングルス決勝で、フランシス・ティアフォー(米国)と対戦し、リターンを打つアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)。オーストリア・ウィーンで。
"錯覚誘う絶妙リターン"のキャプションが余計に"錯覚"を誘う。
なぐさめアーカイブ pic.twitter.com/BmuKLF9UOz
— 時田 (@tokitadesu) 2021年11月5日
覚えさせた言葉が「オウム語」になる、という遠未来に必ず訪れる死別の話から「晩ご飯」という現在の話に引き戻すところがいい。
— けん (@nomorehole2) 2021年11月6日
さあ頑張ろう でもトゥモロー 地下牢
— ジョイマンの高木晋哉 (@joymanjoyman) 2021年11月5日
— よ~ (@yshs_4003) 2021年11月4日
猫と暮らし始めた同僚が「可愛い存在が居ることに癒やされるんだと思ってたけど、あなたは可愛いという愛情を存分にぶつけていい存在が居る事に救われている」と言っていて愛されるのもいいけど思いっきり何かを愛するのも人には必要なんだなとなんか泣けてしまった。
— トワ 庭子 (@niwako_towa) 2021年11月4日
野菜を食べる男ラップが完成しました。
— なかやまきんに君 (@kinnikun0917) 2021年11月4日
野菜を食べる男
イェイ
野菜を食べる男
イェイ
まさにこれは野菜を食べる男
イェイイェイ
パワー
なかやまきんに君 pic.twitter.com/9YkCW1AvKf
楽しみなアナウンス
たいへん長らくお待たせしました。大森望編『ベストSF2021』(竹書房文庫)、11/22発売予定。収録全11編は、以下の通りです(収録順)。
— 大森望 (@nzm) 2021年11月5日
円城塔「この小説の誕生」
柴田勝家「クランツマンの秘仏」
柞刈湯葉「人間たちの話」
牧野修「馬鹿な奴から死んでいく」
…https://t.co/We7Yrbd2Sz
聴いたもの
Kanye West - My Beautiful Dark Twisted Fantasy
家から掘り出されたのだが聴いた記憶がほとんどなかった作品。ピッチで10点、2010年代を代表するアルバム……ということでここ数日はこの作品に取り組んでいた。私はカニエ(Ye?)の熱心なファンでもなければヒップホップの動向も追っていないので、以下はぼんやりとした印象論となる。
一言で言えば、「反ヒップホップ的な音楽性を指向したヒップホップ」に尽きる。
ヒップホップの音楽的な美学とは何であるかと考えると、まずは「ビートのタイトな/抑制的な構築美」であるように思う。90年代イーストコースト、ATCQ、J Dilla、Nujabesなどのヒップホップレジェンドのビートに共通するのは、サンプルでも打ち込みでも生演奏でも、とにかく少ない音数でカッチリと固められ、一つのオリジナルな美学の元に構築されていることであると思う。タイトであることはコアなヒップホップの必須条件だった。
しかしこのアルバムはそうではない。壮大なストリングスが随所に登場する。"POWER"や"Hell Of A Life"には70年代ロックのフックがほとんど不自然な形でねじ込まれている。"Blame Game"におけるAphex Twinの引用はあざといとしか言いようがない。"Runaway"後半部はストリングスにギターソロまで登場する。90年代にオルタナが台頭して以降、ロックの世界においてすらギターソロは数を減らしたものを。
そうやって聴いていくと、このアルバムは全然ヒップホップ的要素を持っていない。過剰で、壮大で、引用のマナーはめちゃくちゃである。しかし、それこそがカニエの狙いなのではないかと思う。
カニエが意図したのは、「一つの構築美に回収されない」ことではないだろうか。タイトさ、コアさこそがヒップホップであるという教義を強く意識しつつ、そこに回収されないものを指向すること。ヒップホップマナーの美をAとするならば、意識の中でAとĀの美学を同時に走らせること。そのような形でヒップホップと非ヒップホップを楽曲の中に並立させ、ヒップホップの拡張可能性を提示すること。それがこのアルバムの意図ではないかと感じた。ゆえにこれはヒップホップではなく、同時に強烈にヒップホップである。
はじめに聴いたとき、正直なところなんて壮大で鬱陶しいアルバムなんだろうと感じていたのだが、それはクールでタイトなヒップホップの対偶としての在りようであると気がついてからは、そのやかましさこそがクールに感じられる。ただうるさいのではない。ヒップホップという音楽を知悉しているからこそ可能な知的操作の結果、こういう音になったということが強く伝わってくる。"Who Will Survive In America"なんかは本当に天才的だと思う。
そこに気がついたのは、Injury Reserveの今年の作品を先に聴いていたからだと思う。
Injury Reserveはヒップホップのことを枠組みというか、素材としか思っていない。そのマナーに則って制作をするのでなく、そのマナーをどうねじって面白い形を作るかという、一段上からのアプローチが取られている。それを2010年代にこのクオリティで達成していたカニエはすごいとしか言いようがない。