できたこと
- 早起き
- ラジオ体操
- ランニング
- クリーニング
- 返品
雑感
受け攻め
ここには受け攻めを固定したがる人に私がうっすら抱いている共感を千字以上かけて書き連ねていたが、途中でどうでもよくなって全部消してしまった。結局のところ「愛されたい」とか「今のまま変わらないまま愛され/愛し続けたい」とか以上のものではないのだから。
考えてみれば、私の専門は双方の感情の量が全く釣り合っていない、あらゆる意味で”成就”していない関係性であって、そこでは受け攻めという概念が一切成立していない。不稔性の関係性。
そういうものを愛好してしまうのも、やはり私の生きてきた人生が反映されてのことだろうか……と考えてしまうが、別の人生を思い浮かべたところで、aにもbにも私はついに無縁だろう。
aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから,aにもbにもついにむえんだった.その,まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてんじょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせり,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりなおせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どちらでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある.(黒田夏子『abさんご』[日だまり])
http://www.bungaku.net/wasebun/pdf/yomikurabeabsango.pdf
今の私にはabさんごがある。選択肢を選ばずとも生きられてしまう、いつか全てが夢になり過去になると信じるためのよすががある。
ダンスの作法
これを読んだ。okadadaさんのチャッターアイランドは毎回面白い。先に書いておくが、前半部をほぼ丸ごと引用するので、せっかくならリンク先で全部読むことを推奨する。
okadada 愛っていうのをみんな勘違いしてますよと。まず“愛される”というのは客体の問題やと捉えられてるけど、これがまずひとつの間違いで。あとは“フォーリングラブ”ということ自体も間違ってると。これは愛を外部の問題にしてるんだっていう。
okadada 愛ってのは能動的な愛する能力の問題で、その能力っていうのは鍛えられる、っていう主張なんですよ。で、どうやって鍛えるかっていうと、覚悟しろっていう。
okadada そんなようなことが書いてあるんですよ。踏み込んでいけと。最終的には熱血漢的なね。まぁフロムはそもそも熱血漢的なとこあるけど。相手によって趣味を変える、みたいなことは手慰みでしかない、みたいな。フロムの言い分ですけどね。愛っていうのは、なにかひとつのものになるっていう状態では絶対ないと。独立したふたつのものが結びつくっていう連結と分離の問題で、それは実は大変なことなんですよという。独立してるからこそ揉める。
愛を"独立したふたつのものが結びつくっていう連結と分離の問題"と捉えたところで感動した。私は自我が薄いので、愛されるということを自我が消えること、消されてしまうこととして捉えてしまうが、愛とはそんなに易しいものではないらしい。たえず生傷を負いながら、それでも相手と少しでも繋がり続けていようと不断の戦いを続けること……それは否定する余地なく"尊い"ものだなと思った。
ここまでは前置きで、個人的に興味深かったのはこの続きである。
okadada そうそう。そうやし、それは依存の問題になったりする。それがフロムの思う西洋的な愛の本質というか。神学的な愛とは違うぞっていう。それを読んで“せやな”とずっと思ってるんで。クラブにおける“あいまいさ”っていうことをオレがずっと言ってるのはそれですよね。“みんなでいっしょに手を振ろう”っていうのが常態化すると一体化になるわけじゃないですか。でも、それが偶発的に起こるなら、それはオレにとって連結なんじゃないかなって。だからオレは手を振ったり、おなじ動きをするっていうことに関してのよろこびはめっちゃわかるんですけど、なんというか、レジャー化していくわけっすよね。ワダさんの回でモッシュの考え方の話をしたじゃないっすか。まさにあのときシャケちゃんが言ってた“モッシュをしたいって衝動があるからやる”って考え方があるやん。それがオレが考えるクラブとかライブとか音楽的な場所のよさなんすけど。
shakke モッシュが目的化しちゃうと、っていうね。
okadada そうそう。目的化したモッシュはコメディーにしかならないっすよ、オレにとって。でも、それは普通のことやから。それに対して“そんなの本当のモッシュじゃない!”って怒るのはハードなスタイルやなって思うけど。オレはそこまでハードな人間じゃないから。でも、そのかわりそれはめっちゃコメディーやでっていう。
shakke コメディーだってわかったうえで楽しむんだったらいいけどね。
インターネット音楽がかかるクラブイベントにおいて、EDMやFuture系の音楽、ある種のベースミュージックがかかるとドロップ前で客がキック(あるいはスネア)に合わせて手を叩く。……のだが、「ここに来る人間はみんな手を叩きに来ているのか?」「スネアとキックで盛り上げてドロップでベース、という曲展開を何度も聴かされるとだんだんコントに聞こえてくるな……」という気持ちがどうしてもちらつき、その頻度が閾値を超えると瞬く間に冷めきって全てがばかばかしく感じてしまう。okadadaさんの言う「コメディー」である。そして一旦そう見えてしまうと、もうそこにいるのがいたたまれなくなる。
私は偶発的な連結をフロアに求める性質であり、そういう意味では「ハード」なのだと思う。それは私が硬派な四つ打ちしかかからないフロアで育ったせいでもあるだろう。シンプルなビートに合わせてでたらめに身体を動かしていて、周りも各人各様に好き勝手に踊っている空間。独立した各人が「踊る」という一点でのみ繋がっていて、作法はてんでばらばら、そういう様にこそ私は「連結」を感じる。
とはいえ、テンションが持続している限りにおいては、はEDMの作法で踊るのが楽しいのは事実である。一体感と連結の使い分けは大事。
okadada Steve Aokiとかがめっちゃいいのは、もうコメディー性に振り切っていくじゃないですか。だから見てても全然イヤじゃない。“LMFAOっていいよね”って一貫して言ってるのも……
shakke バカバカしさを前提にしてるからね。
okadada そうなんですよ。はじめっからバカバカしさを前提にしてる。人生においてパーティーと金がいちばん好きっていう状態はバカバカしい、だからいいんやっていうね。
買ったもの
- 『日本SFの臨界点 中井紀夫 山の上の交響楽』
- 『私の百合はお仕事です! 8』
良いツイート
アルピー平子の本、面白すぎる pic.twitter.com/6Xt3GbF5wU
— ベテラン中学生 (@_vetechu) 2021年7月8日
— 大沖活動 (@daioki_katsudou) 2021年6月30日
夏草や スモークウィード エブリデイ
— 暮れなずむふたばたち (@32ndfutaba) 2021年7月9日
Twitterのノリがまったくわからなくなってしまい、文脈を無視して唐突に、最近オンライン英会話でしゃべった人たちを紹介します。 pic.twitter.com/Wr5pFDnWbC
— 樋口恭介『未来は予測するものではなく創造するものである』(7/9刊行) (@rrr_kgknk) 2021年7月9日
【本日7月9日深夜24時から配信】ヘヴィメタルが鳴り響く中で最高の編み技を披露、そのパフォーマンスを競うフィンランド発の世界大会<ヘヴィメタル編み物世界選手権>。完全オンラインで開催される2021年の決勝戦がYouTube配信決定。日本からは2組参戦 https://t.co/vBTSouoagu
— amass (@amass_jp) 2021年7月8日
ツイッターで一番見てたいのは、発信を前提に整えられたコンテンツ的な文言(実はこれが苦手)じゃないので、この空間向いてないんですよね。デザインされる前の、他人の素の言葉、頭の中で、そこから人生の風趣、悲哀を勝手に汲み取る瞬間が好きなんすよ。
— 吉祥天女 (@telepath_yukari) 2021年7月8日
聴いたもの
STR4TA - Aspects
Glies Petersonの新プロジェクト。70’sブリットファンクと80'sフュージョンへの愛をそのまま形にしたようなプロジェクトで、とにかく風通しがよく気持ちがいい。ブリットファンクの特徴は、当時のディスコミュージックを洗練させた、良くも悪くも線が細い音である。対してフュージョンは逆に、ロックの野暮ったさというか芋っぽさというか、垢ぬけ切らないところにノスタルジックな魅力があるのだが、このアルバムはその両面、洗練と野暮を同時に実現するというアクロバットをやってのけていて、その塩梅の上手さが聴きどころといえる。