雑記

__blurry_のおぼえがき

7/3

できたこと

  • 掃除
  • 洗濯
  • ランニング
  • 勉強
  • 読書
  • 買い物

雑感

最近の良かったこと

 箇条書きで。

  • DJ機材を買った:賞与が出たので買ってしまった。手持ちの曲を遊びで繋いでいるだけだが、楽曲を"流れ"の中で聴くことでその曲の好悪が浮き彫りになる感じがある。クラブミュージックのリスニング感覚が一歩進んだ。
  • ドライヤーを買った:これまでずっと自然乾燥でどうにかするしかなかったのだが、ようやく買えた。髪を乾かせるというのはすごい。
  • モンステラを植え替えた:少し葉に触れたくらいで倒れてしまうくらい大きく育ってしまったので植え替え。部屋における緑の存在感が膨らむのが嬉しい。
  • ぞうを増やした:ディック・ブルーナのぬいぐるみが増えた。正面からの表情が細長いのが好き。
  • 机を買った:普段のPCデスクはコードがごちゃごちゃしていてとても集中できないので、いい具合の折りたたみ式デスクを買った。静かな机が部屋にあるというのは豊かなこと。

binary

 配信に3人以上が出てくるととたんに興味をなくしてしまう。これはポリアモリーについても同じことで、とにかく3人以上の関係性や会話に興味が持てないらしい。自分がそもそも3人以上で会話するのがとても苦手だし、現実でも3人以上のやり取りが始まると全部どうでもよくなってしまうし、加えて言えばクラブに行っても誰とも話さずフロアでDJと一対一の気分で踊っているので、もうそういう性質なのだと思う。そういうわけで配信者のライブを見ていると必ず常に集中が途切れるパートがある。3以上の数が数えられる人はすごい。私は一対一でやっていく。

ライブ性

 前述の話とは全然繋がっていないが、音楽のライブというものに関心が持てない。特に録音物がすでにあるものをそのままやるようなライブについては。
 私はクラブカルチャーの人間なので、録音物の方が音響的にもパフォーマンス的にも全然優れていると思うし、実際録音物でできていることがライブでできていないと興ざめする。NOT WONKはこのパターンで、アルバムと楽曲の魅力の大半を担っていたミックスの良さが全て失われ、一時間のパフォーマンスの間ずっとしらけていた。
 当然配信者のライブも同じことで、ずっと「バックトラックの質が悪いな……」とか「音響悪いな……」とか「歌みた聴いてた方が満足度高いな……」とか思う。
 ライブが観たいバンドというとやはり"ライブバンド"と呼ばれるようなやつになる。Ogre You Assholeとか。アルバムに入れるには長すぎるとか冗長すぎるとか、そういう部分にこそ真価が出る音楽というものはある。その端的な例が12インチミックスなりExtended Mixなりダブバージョンなりというものなのだと思う。

ドライブ感

「配信者が不幸な境遇から抜け出したとたんに興味をなくす」という罪悪感を感じている人をよく見る。個人的には一向に構わないと思う。
 「他者の不幸しか面白がれない」という言葉が並んでいることが多いが、それならそれでいいと思う。そういう自分に嫌気が差せばそういう配信は早晩見なくなるし、それをやめたいのならチャンネル登録を切ってSNSのフォローを切るだろう。
 程度問題ではあるが、人間は倫理の器としてはかなり小さい。人間が人間である以上、それぞれがそれぞれのレベルにおいてどれかの倫理に反してしまうことは仕方がない。

 追記:これは別に反倫理的行いを積極的に肯定するものではない。それぞれが他者への加害に充分に配慮した上で、自分の信条と欲望に向き合い、それらが"理想的な自分"に照らして望ましからぬ形をしていることを受け入れられるのがベストという話である。

7/2

できたこと

  • 買い物
  • 料理

雑感

 お風呂上りで、今日は早く寝たいので汗が引くまでの間だけ。

頓挫

 2022年上半期ベストアルバムを考えようとしたのだが、2月までに印象に残ったアルバムを聴き返したところ、今の趣味にまるで合わずとても聴けなかったため中止の運びとなった。感性の変化が早いのは良いことだが、こんなでは音楽を手元に残す意義が失われてしまう……。

今日

 呼んだ。

 完成品。トマトが多すぎたせいで水っぽくなってしまった以外は概ね成功。バゲットも買ってきてオリーブオイルに浸し、チーズを乗せて食べた。トマトとチーズをかぶせて油に漬けたパンはもはやピザなのでは……?と思い、事実ピザなのでちゃんと美味しかった。友達がチーズ好きということが分かったので次回はチーズのグレードを上げてトライしたい。

 それから友達の希望でシーシャを吸いに行った。はじめは私が誘ったのだが、何も言わなくてもシーシャをリクエストしてくるようになってとても嬉しい。

 シーシャ屋は常に他のシーシャ屋の女性店員(拠点は歌舞伎町周辺)とWANIMAっぽい見た目の物静かな人がいるし、女性店員は必ずキャバかホストの話で盛り上がっている。毎度ながら変な空間だなと思う。ミントを入れたところ明らかに喉への刺激があり、吸い方が覚束なかったのもあって、吸い始めてから30分くらいはずっとむせていた。友達は横で涼しい顔で吸っていて、やや敗北感があった。
 店員と雑談していたところ、北海道のシーシャ店舗密度は日本一だし、東京にはマクドナルドの店舗数以上のシーシャ屋があるということを知った。このニッチがレッドオーシャンになるというのは面白いなと思った。

 それから『ベイビー・ブローカー』を観た。疑似家族もの。「産まなければ」「生まれなければ」という嘆きはインターネットでよく見るものの、げんに生まれてしまっていること、今ここにいることはどう手を尽くしても覆し得ない以上、先に進むためには一旦それを受け止めるしかなく、そういう肯定を血の繋がり以外のところで、さらに言えば無根拠的に持てたらいいよね……という最近の気分と合致して満足度が高かった。

 汗が引いたので今日はここまで。

6/24

できたこと

  • 残業
  • 早起き

雑感

メタ

 ダ・ヴィンチ・恐山の頻出ツイート100選が燃えて取り下げられた。本人には全く悪気がなかったというが、それはどういうことなんだろう……と考えていて、岡崎体育を思い出した。

music.youtube.com

 岡崎体育は既存の音楽・MVのフォーマット自体をネタにした音楽で知られるミュージシャンで、本人としてはやはり面白いと思っているのだと思う。
 個人的には(昔は面白がっていたにせよ)「うざ……」と感じる。「感情のピクセル」なんかはリリース当初に聴いてシンプルに嫌だなと思った。
 で、恐山が「面白いと思って」あのnoteを公開したのなら全然面白くない、という結論が出た。あれは要するに既存のネタを並べ直しただけの、他人のユーモアと感受性へのただ乗りだし、そもそも既存のネタを並べるというネタ自体が岡崎体育なりの先人によってすでに耕し尽くされている。もっと悪意的に、Twitterユーザーの単調さを揶揄する目的で供されたのであれば食らうものもあったかもしれないが、あくまで「おもしろ」の一環として供されたのであれば、そこには新規性も批評性も見出すことはできないし、その(自分のものも含まれている)べたべたの手垢を見て単に嫌な思いをするに留まる。
 バイデンが井戸に毒を投げ込んだとツイートして燃えた人のことが懐かしい。既出のハイコンテクストユーモアで滑ると予後が悪い。

 余談:頻出ツイート100選に対して「禁止カードだろこれ」と言及している人がいて、"頻出ツイート"だと思った。

52ヘルツ100デシベルのクジラ

 日記を読んでいるときに「同じ話題に皆が反応し、それを繰り返しているうちに思想が先鋭化するのは怖い」といったようなことが書いてあって、それは本当にその通りだなと思った。
 個人的に嫌なことを加えると、言及先が揃うことに加えて、感想文の出力パターンが似通い始めたり、同じことを別の言葉で言い換えるゲームが始まったりすること。フォローし合うくらいには感性が近いのだからある程度自然なのだとしても、みんなある程度はてんでばらばらの趣味嗜好を持っていて、日頃は全然違うことに言及していて欲しいと思う。Twitterコミュニティにはそういう緩さを求めている。
 自分の場合で言うと、私もさすがに音楽の好みが相互の人と全然重なっていないことは重々承知しているが、それはそれとして聴けばみんな好きになるだろうという確信があるから、踊れるトラックやメジャーっぽい音そっちのけで日々ノイズなりドローンなりのエクスペリメンタル音源ツイートを延々連ねている。私がやっていることは当然気ままなツイートであるが、内心を探れば威嚇でありつつ誘いでもあるだろう。
 通じない話を、通じないとしても話すし、何なら騒がしくする。要するにどこにも属さず、でもなんとなくは属していたい。今はそういう感じでいる。

語録

松田:笑 そのさ、どこまで本気で言ってるかの焦点をぼかすような喋り方やめようよ。病状が進行するよ。

room.commmon.jp

 何でもかんでもある種の"構文"に入れ込まないと発語できない類の人がいる。別に例のアレとかの話に限らず、話題の漫画の最新話が更新されたあとの数時間でバズってる感想ツイートとか、なんでも。いわゆるジャーゴンというやつだろうか。
 とにかく、意見なり感想なり感情なりがあるという時に外部の硬直した構文を引っ張ってくるというのが気に入らない。ただフラットに書けばいいものをと思う。何様のつもりだと言われても仕方がないが、嫌なものは嫌なのだから何様だろうがやはり言いたい。普通に書いて普通に話してそんな口調になると言うならもう文句も言わないけれど、変な構文の震源地にゃるらですら、スペースを聞いている限りは普通に喋るというのは覚えておいてほしい。

『犬王』

 観たのにすっかり忘れていた。なぜかというと音楽の思想がまるきり合わないから。
 曲がりなりにも能楽をやるのであれば音楽も能楽のエッセンスを持ちつつ、外部の文脈の力を借りてポップに聴かせるというのが筋だろうと思うのだが、この映画ではまるきり60年代ブルースロックやQUEENというEstablishedな音楽にその力を依存していて、この映画でなくてもこの音楽は"鳴る"だろう、と白けてしまった。それがずっとこそばゆくて話の筋を追うどころではなく、作中にある無音パートはこそばゆさがやっと消えたという安堵に費やされていて、意図されていた緊張が全く伝わってこなかった。コンセプトも声優も脚本も良いのに音楽のコンセプトがまるで受け付けない。この湯浅政明という人とは趣味が合わないだろうなと思った。

周央サンゴ3D

 とても良かった。お披露目配信のテンプレート(スクショタイム、ゲストを呼んだ企画、スパチャで画面上に増えるオブジェクト……)をなぞりつつ、全てが一つのミュージカルの流れに自然な形で組み込まれていて、この人の企画力の高さを感じた。
 歌についても、マツケンサンバⅡはダンサーとコーラス含めてすべて自分素材でやるという奇行でこそあれ、MVの再現度の高さと松平健の歌唱の完璧なトレースには奇行を奇行に終わらせない強度がある。初音ミクの暴走を生で歌うどころか原曲にないシャウトを繰り出すエモとユーモア、独自性とパロディ、おふざけと本気をシームレスに自在に行き来する様はまさに傑物で、見終えた後は本当にすごい人だなと思った。

聴いたもの

harmoe - It's A Small World

music.youtube.com

 岩田陽葵と小泉萌香による声優ユニット𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖のファーストアルバム。全体をエレクトロニックサウンドで固めたポップソングが並ぶのだが、曲のクオリティより先に「大場ななさんと露崎まひるさんがデュエットしている……」という感情が先に立つ。楽曲を提供しているのはyuigot、KOTONOHOUSE、Tomgggなどマルチネ周辺の面々なのだが、このアルバムの本命は田中秀和が提供した「ククタナ」である。

 トライバルなパーカッションとマリンバの刻みにアラビア音階がほのかに香るメロディが乗り、ビートはダンスホール、中間にあるドロップはUKベース……と複数のコンテクストをポップとしてまとめ上げているだけでも意味が分からないが、その上でharmoeの二人の甘さを帯びた特徴的な歌声が際立つように、あくまで主役が二人になるようにサウンドの全体を控えめかつ西洋的に洗練させるという離れ業をやってのけている。2022年の収穫の一つ。

Various Artists - Now Thing 2

「ククタナ」を聴いてダンスホールが聴きたくなったのでコンピレーションを手に取った。ダンスホールには明るくないので名前も文脈も全然分からないのだが、今聴いても明らかに異形と言えたりインダストリアルやポストパンクとも接続したような聴き心地が異様な曲が3割以上あって、この柔軟性が現代のMixpakやEquiknoxx、Livity Soundなどのサウンドに繋がっているのだなと思った。

Various Artists - Denham Audio & Friends Vol. 2

 UKG・ブレイクスの名所Cheeky Music Groupの新譜。Denham Audioなる人物が周辺プロデューサー数人と組んで作ったトラック群。テーマはレイヴらしく、一曲目からハッピーハードコア、二曲目はブレイクスに強烈なエレクトロ、三曲目はアシッド……とあからさまにこちらに暴れることを要求してくる激しいトラックが並ぶ。最高。

Chrisman - Makila

 アフリカのエクスペリメンタルレーベルとして知名度を上げるウガンダのNyege Nyege Tapes傘下、東アフリカとコンゴのクラブミュージックを探求するレーベルHakuna Kulalaの新譜。Gqomのような硬くダークな質感を持ちつつ、それだけに留まらずシンゲリ(タンザニアの高速ダンスミュージック)の速度やクドゥロ(アンゴラのスカスカなダンスミュージック)、ベースミュージックやトラップ・グライムのサウンドも飲み込んで完全に独自のアフリカンエレクトロニックサウンドを鳴らす傑作。アフリカの現在の音が鳴っている。

music.youtube.com

 Stevie Wonder - Superstitionネタのミニマルテックハウス。ボーカルのカットアップに加え、原曲のキメのフレーズは丁寧にコードを追って再現しているところが良い。

music.youtube.com

 Queen - Another One Bits The Dustのベースラインをサンプルしてラップのサンプルを乗せたハウス。他に言うことはなく、その簡潔さに快楽性が宿る。

 Henrik SchwarzとFreestyle Man aka Sasseなるドイツのプロデューサーが組んでMule Musiqから出したシングル。ジャジーながら軽快にバウンスし、適度なエモーショナルさも忘れない、Henrik Schwarzの強みが全部出たようなトラック。これくらいで踊るのが一番気持ちいい。

 最近はいろいろ聴いていろいろ買っているのだが、ブログに書くのが全然追いつかない。日記を継続して書くということができていないので、当たり前といえば当たり前なのだけれど……。

読んだもの

comic-ogyaaa.com

6/20


できたこと

  • 早起き
  • 洗濯

雑感

月報

 ついに20日間一度も日記を更新しなかった。理由は明らかに新譜を聴くことに没頭していたから。書く以外で実のあることに没頭できていたのならそれもよいのではないかと思う。ざっくりと良かったことは以下。

  • トップガン・マーヴェリック』を見た。パワフルでマッシブな傑作
  • シーシャを吸いに行った。友達がドハマりして遊びに誘う口実が増えた
  • 高級布団を買った。保温性が高くてすごいが暑い
  • かわいいパジャマを買った。かわいい
  • 芸術の森で開催されたフェス「しゃけ音楽会」に行った。青葉市子とどんぐりずとサニーデイ・サービスは最高
  • ブルーナが増えた。積むと崩れる

  • 相互の人が出しているアクリルキーホルダーを買った。絶対に触れられないものの似姿が平板に宿っているのは具体物と象徴性が一致していて好ましい
  • 机を買った。勉強をするぞ

"実質"の実質性

 以下性に絡んだ話をする。別に私の経験談でも官能小説でもないにせよ。

 手を繋ぐことは実質性行為である、という言説をたまに見かけるのだが、その"実質"はどの程度実質なのだろうとふと気になった。個人的にはそれは言い過ぎではないかと思うのだが、性行為に際して最もクリティカルなインターフェースは手であるという人もいるだろうし、経験則あるいは演繹的な結論に基づいて手を繋ぐことを性的に感じているというのも可能性として充分あるとも思う。
 理屈自体は分からなくはない。手は人間の外界との交渉を文字通り一手に引き受けるインターフェースである。以下に清岡卓行『手の変幻』からの一節を引用する。

腕というもの、もっときりつめて言えば、手というものの、人間存在における象徴的な意味について、注目しておきたいのである。それが最も深く、最も根源的に暗示しているものはなんだろうか? ここには、実態と象徴のある程度の合致がもちろんあるわけだが、それは、世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段である。いいかえるなら、そうした関係を媒介するもの、あるいは、その原則的な方式そのものである。(清岡卓行『手の変幻』より「失われた両腕 ミロのヴィーナス」(講談社文芸文庫))

 手は人間が他者に触れ、コミュニケーションを取る手段であり、同時にコミュニケーションの象徴でもある。あらゆる他者への接触はコミュニケーションを生じる。それが意図的なものであればなおさら。
 ここで相手を人物に限定したとき、もちろん触れる箇所によって意味合いは様々に変わるのだが、前述の手の実態と象徴により、手に触れることは他の箇所とは異なる特別な意味合いを帯びる。まずは実態として、自分の手が相手に交渉を仕掛けるインターフェースであるのと同様に、相手の手も自分に働きかけるインターフェースであるから。手を繋ぎ、その手の形、インターフェースの形を手指の鋭敏な触覚によってつぶさにあらためることは、自分に触れてくるものの形を確かめること、つまり自分に触れてくるものの大きさ、形、肌触り、温度などに思いを馳せることである。コミュニケーションの象徴としても話は同じで、手を繋ぐ時、自分が相手の手に触れているということは、同時に相手の意思によって自分が触れられているということでもある。ここには触れにいく主体性と、触れられる受動性が同時に存在する。
 そして当然、手を繋いだだけで終わりではなく、そこから生じたコミュニケーションが継続する。触れたこと、触れられたことによる反応があり、その反応に対して新しい反応やアプローチが返る。それを性行為に直結するのは、理屈上不自然なところはない。

 それはそれとして、やはり個人的には性行為が手という局所的なフェチズムだけで完結する営為ではないと思う。人間は別に手だけの生き物ではなく、数十キロもある肉体の重みであるとか、汗ばんだ肌の幅広いふれあいであるとかいったような、身体情報と全身のセンサーをくまなく使う、その全体性を伴ったコミュニケーションこそが性行為の性行為たる所以であろうと思う。…………とはいえ、私自身には性交渉の経験がないので、全て想像に過ぎないと言ってしまえばそれ以上のことはない。ただ私がそう思っているだけである。だから興味がある。手を繋ぐことが本当に性行為のジェネリックたり得るのかどうかについて。

父の日

 日曜日は父の日だったので一緒にご飯を食べに行った。当日になって母親も来るとメッセージが飛んできた時は正直げんなりしたものの、まあ三人でご飯を食べ、ついでにショッピングモールに買い物に出かけ、幾ばくかの金銭を包んで心遣いに渡した。
 結局のところ父親が好きなのだと思う。好きではない部分も不愉快なエピソードも少なからずあるのだが、トータルでは好きということになっている。だから19日はまだ賞与が出ていなくて、心遣いを包むために貯金を崩す必要があり、その日は精神的にはかなりひもじかったのだが、それでも渡しておきたいと思ったし、渡したことには満足感がある。それは自分の中のパターナリスティックなところとも繋がっている気がする。

婚姻

www.asahi.com

国側は、憲法24条が「両性の合意のみ」で婚姻が成立すると定めている趣旨について「男女を表すことは明らかだ」と反論。婚姻制度の目的は「一人の男性と一人の女性が子どもを産み、育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与えること」であり、同性婚は該当しないとした。

 また、憲法14条と立法不作為については「憲法同性婚を想定していない時点で問題は生じない」とし、原告側の請求を棄却するよう求めていた。

 国はそう言うだろうなと思った。裁判所の判決文は以下。

www.huffingtonpost.jp

 原告の主張が「憲法n条に反している」というものであった以上、裁判所も憲法の成立過程とヘテロセクシャルな時代背景を読み解いた上で、あくまで憲法の歴史的解釈というヘテロセクシャルが支配的なゲームの上で判断することは自然の成り行きという気がした。裁判所を機械視しすぎしているだろうか。
 正直なところシンプルに頭が悪いのでタイムラインで見かける言及にも感情にもあまりついていけていない。判決文を読む限り代替制度の用意を含めた立法府での議論や、世論への浸透を待とうみたいなことが書いてあって、同性婚について裁判所が明確に否定したとは読めないので、いずれは同性婚も通るだろうと思うのだけれど……しかしそれは自分が"いずれ"を死ぬまで待っても困らない(婚姻制度じたいの)非当事者だから言えることだろう。さておき、裁判でダメなら選挙に行って立法府同性婚の議論を推進する議員を議会に送り込もうとしても、そもそも性的"少数"なので選挙戦略的には後回しになる、よって議員数は必然的に減るし実現の見込みも薄くなる……というような負の循環が思いつき、それで裁判なのか、と納得した。
 あと一押しなのではないかという気もする。インターネット上の言及にもある通り、DINKSの世帯数は増えているし、そうでなくても様々な理由で子どもを持っていない家庭もある。裁判一個ごとに突破口は増えているように思われる。
 議論を見た上で自分でも少し考えたのだが、自分にとって婚姻が何を意味するのか全然分かっていないことに思い至った。制度的優遇が存在するというのは分かるが、それ以上の情緒的意味は自分以外の誰かがこう言っている、くらいにしか思われないし、その自分以外にしても自分の血族はほぼ全員が婚姻によって不幸に陥っている。婚姻というものは情緒・宗教(儀礼)・社会・行政という四つに絡んでいて、論じる上ではどれ一つ欠いてもならないのだが、情緒の面について全く共感を欠いていて議論に参加する意欲が出ない。私はおそらく根本的には反婚姻の立場である。同性婚については知り合いが当事者であるし、やはり不平等だろうという情緒的な考えがあるから賛同しているが、結局のところ連帯というほどにはならないだろうなと思った。

楽しみなアナウンス

良いツイート

聴いたもの

Automatisme - Statique

 カナダのミュージシャンWilliam JourdainがForce Inc. / Mille Plateauxからリリースした作品。トラックはアンビエントダブテクノの脈動をアトランダムに揺らした「Ultra-Scape」と高速クリック&カッツ(グリッチ)の「Ultra-Rate」の二系統があり、それぞれ不規則なナンバリングを持っている。前者は現行のダブ・アンビエントの融合、後者はNyege Nyege Tapesから出ているような高速シンゲリを2000年代からあるグリッチエレクトロニカサウンドで解釈したような、歴史性と新規性を折衷したサウンドでとてもかっこいい。絶対に誰かが言及すると思っていたのだがどこからも出なかった。時局を読むセンスがない。

Crackazat - Evergreen

 スウェーデンのマルチミュージシャンかつハウスプロデューサーのCrackazatによるフルレングス。Crackazatらしいジャジーな浮遊感のあるコード進行のハウスが並び、ずっと踊り続けることができる。
 ハイライトは"Everybody Talks About It"で、フックで登場するホーンセクションの突き抜けたサウンドが凄まじく気持ちいい。ハウスミュージックの気持ち良さはこれを聴けばわかる。この曲はアルバムリリース後にリミックスEPが発表されたのでそちらも楽しみ。

読んだもの

 今日は同性婚の議論を読んでいた。

5/31

できたこと

  • 洗濯
  • 残業

雑感

会議は踊らず

 今日は何も音楽を聴いた覚えがないな……と思ったが、考えてみれば朝から夕方までノンストップで会議が入っていてそんな時間などなかったのだった。どうも面白くないので小さめの音量でドローンでも流しておけばいいだろうか。

メメント・モリ

 22時までの残業が常態化したことに加え、深夜作業がちょくちょく入ってきたことなどもあって生活が崩れ始めている。残業が生じるのは要するに私がどんくさいからだろうし、これ以上負荷が増えたらどこかで無理になるだろうとの見立てがつき、うっすらとした死の気配を背中に感じつつ日々を過ごしている。
 別に人並み以上に働いているということではなくて、そもそも実務処理のための基礎的な能力が低いのだろうなと思う。発達のせいなのか集中力が持続しないとか、思考能力や発想力が足りていないとか。そういうINTの足りなさを全てEDUでごまかすような生き方をしてきたが、それもあと何年続けられるだろうか……。あまり続かない気はしていて、夜中に起きているとどこかで自分の許容量を超えた何かが降ってきて死の方向になだれていくことを考えてしまう。
 人生は物語ではないとは自分がしばらく前に考えていたことだが、物語ではないと緩やかに思い続けるためには水面から顔を出し続けられるくらいに足を動かし続けることも重要だなと思う。「人生は物語ではない」とは「何もしなくても生きていられる」という意味ではない。
 頑張りましょう。最近はこの一言に尽きる。

良いツイート

どむぞうくん!!!!!!

聴いたもの

A Light for Attracting Attention - The Smile

 トム・ヨークの新バンドThe Smileのファーストアルバム。トム・ヨークらしいメランコリックなメロディはいつものRadioheadだが、そのアレンジに豪勢で劇的なストリングスを加えたり、Radioheadの世界観ではぎょっとするようなビビッドな音色のシンセを使ったりと、革新性は一旦措いて、とにかく気楽にやりたいことをやっているというような印象を受けた。たぶん今は70~80年代、ニューウェーブ/ポストパンクがやりたいのだろう。ダブリミックスも出していることだし。

読んだもの

ルシア・ベルリン『すべての月、すべての年』をちょっとずつ読み進めている。

5/21

できたこと

  • 洗濯
  • 皿洗い
  • 料理
  • 身体を休める

雑感

 水曜日の午後に打ったワクチンの副反応が、土曜の夜にようやく全快した。体温計は未だに家になく、何度まで上がったのかはよく分からないのだが、体感では38度プラスαくらいの熱がずっと続いていた。正直なところ、接種翌日は休むとして、その次の日もワクチンの副反応と言い張って有給を取りまったり過ごそうと画策していたのだけれど……。まさか本当に熱が出て布団からろくに身動きも取れないまま一日を潰すとは思わなかったし、土曜日まで常にうっすらと熱っぽさを引きずるとはさらに予想外だった。こんな目に遭うのでは反ワクチン派の気持ちにも少しだけ傾いてしまう。

MU2022

 土曜日は病み上がりのけだるさを引きずってはいたものの、軽い粗熱を残すのみになっていたので、快気祝いに麻婆豆腐を作り、それを食べながらMU2022を観た。生身の人間が生でパフォーマンスしていても、「音源の方が全然いいな……」と感じると即座に白けるし、ダンスパフォーマンスに重きをおいていないというのもあって声優・女性シンガーのパフォーマンスはなんとなくで聞き流し、目玉はDJ Wildpartyさん・BUDDHAHOUSEさんの二名。前者はスケール感の大きいエモと内輪的な悪ノリを往復しつつ、気がつけばその悪ノリに大勢の観客を取り込んでいるという魔法のようなプレイがいつも通り楽しかった。BUDDAHHOUSEさんは小箱でかかるようなアンダーグラウンドの音とメジャーシーンの賑やかな音を、どちらにも傾かない中間領域で絶妙に鳴らす巧者で、サウンドの馴染みという点ではこの人が一番楽しかった。
 そして何より呂布カルマアニメアイコンのオタクを忌み嫌っていると言いつつトークでオタクを沸かす手腕はやはり現場叩き上げの一流で、配信を見ていて声を上げて笑ってしまったし、現場のオタクは大盛り上がりだった。そしてそれはトラックもラップも同様で、ダークで和風なアンビエンスを帯びたクールなトラックに呂布の独特のフロウが乗ると、一気に空間が呂布カルマのカラーに染め上がる。プロフェッショナルの技だなと感じた。
 以下に記すクラブイベントに備えて寝たため、残りのプレイは観るのを諦めた。どうせ録画がある。

music.youtube.com

Electric Circus

www.precioushall.com

 石野卓球が札幌に来ていたので行ってきた。本当に良かった……。去年と似たような感想になるが、テクノ・ディスコ・ハウスの中間にある針の穴ほどのゾーンを常に通しつつ、ニューウェーブ・80'sへの偏愛を隠さない、"石野卓球"のカラーがプレイ時間ずっと一貫していて、まさしく職人技のようなプレイだった。"電気グルーヴの"がつかない石野卓球アンダーグラウンドかつコアで本当にかっこいい。つく時の方は3曲くらいしか知らないので保留とする。

 しかし前座が酷かった……。Precious Hallは100人も入らないような小箱なのだが、そこでロックフェスにでも出ているかのような壮大で音場の広いトラックばかりガンガンにかけまくっていて、フロアのムードとも「前座DJ」という役割とも時間帯(~午前一時半)とも全然噛み合っておらず、最後の10分間以外はずっと場違いな繋ぎを続けていた。次は卓球一人で来るか、前座はローカルのDJに任せてほしい……。

#卓球がかけてた

 そんなハッシュタグはないが、石野卓球の選曲がとても良かったのでハイライト(思わずshazamした曲)を以下に記す。

Basement Jaxx - Rendez​-​Vu (Jesse Garcia Club Mix)

 前座DJが卓球への繋ぎでプレイした曲。大箱鳴りのハウスビートに情熱的なフラメンコギターがジャカジャカと重なる。キックがバウンシーでフロアが沸騰していた。

Piero Pirupa - We Don’t Need (Extended Mix)

www.youtube.com

 Pink Floyd"Another Brick In The Wall"のサンプルを重ねたテックハウス。キャッチーなボーカルラインの一発ネタでなく、地に足の着いたベースラインと軽やかなカウベルの刻みがトラックの強度を支えている。やや固めのキックが身体にドカンと聴いてきて気持ちいい。

Donny Rotten - Disco Thang

 様々なディスコがサンプルされている(であろう)ディスコハウス。ドスドス響くディスコハウスは最高。

Fracture & Sam Binga - Xtatic

 ブリストルのベースミュージックプロデューサーSam Bingaの最新アルバムからの激烈なエレクトロ。これはBandcampのトップページでも取り上げられていたのを覚えている。バキバキのビートで気が狂うかと思った。フロアで叫んだ瞬間その1。

Josh Wink - Higher State Of Consciousness (Adana Twins Remix One)

 ドイツのプロデューサーデュオAdana Twinsによるビキビキのアシッドエレクトロ。元はStrictly Rhythmからリリースされたややブレイクス寄りのトラックで、アシッドフレーズももう少し速いのだが、ここでは減速によってエレクトロの力強いビートとアシッドの毒性がいや増して感じられる。フロアでアシッドを聴くと鳴りが予想以上に太く、TB-303がそもそもベースシンセであったという原点が思い出されてくる。原曲もおすすめ。

Thee Maddkatt Courtship III - Cosmic Pop

 シカゴのプロデューサーFelix Da Housekattなる人物の別名義プロジェクト。New Order等の80年代ニューウェーブディスコをフィルターハウスの感性でエディットしたようなトラック。フロアの一番暖まった時間に華やかなホーンが突き刺さる。

Dead Or Alive - You Spin Me Round

 UKのディスコ・ニューロマンティック(何それ?)・Hi-NRGユーロビートバンドDead or Aliveのヒット曲。全米チャートに入ったというから有名曲なのだろう。石野卓球の切り札の一つで、去年のパーティーでもかけていた。エディットのテイストが現代的なように感じられたので、URLに挙げた12インチバージョンではなさそう。

TAN-RU - Keep Reachin'

 Inner Life"Ain't No Mountain High Enough"ネタのミニマルテクノ。フロアで浴びるとあんなに猛烈だったのに部屋聴きでは味気ない。石野卓球のかけかたが上手いのかもしれない。

Ben Kim - Somebody To Love

 Jefferson Airplaneの同名トラックをサンプルしたベースライン主体のハウス。これも石野卓球の切り札。ビットレートの下がったサンプルが浮上してくるパートでみんなで手を叩く。

Butch - In Gods Arms

 先述のディスコ・ハウス職人Butchのトラック。メランコリックなピアノフレーズがごつごつしたビートの上でヒプノティックに繰り返される。

Fat Truckers - Superbike

 午前六時半を過ぎてミラーボールが止まり、フロアの照明が灯り、最後のトラックが終わって、観客の拍手が鳴り止んだところで、一人の観客が「もう一曲!」とリクエストを発した瞬間にプレイされた楽曲。アルバム一枚を残して解散したUK・シェフィールドのシンセパンクバンド(?)Fat Truckersのトラック。Primal Screamのようなチープなビートに、ギリギリとチェーンソーが唸るような歪んだインダストリアルシンセとブリープ音が重なる。四つ打ちで完全に疲弊していたところに激しいサウンドで鞭打たれ……一気にテンションが回復した。フロアで聴くと床も揺れんばかりの凄まじい勢いと張りを感じるトラックだったのだが、部屋のスピーカーではやはりどうも……。それでもやはりかっこいい。

読んだもの

 「シンデレラメゾン」一巻を読んだ。しかし疲れたので今日はとても……。

5/14

できたこと

  • ランニング
  • 料理

雑感

bandcamp率

 TL上で音楽関連のツイートをする人がストリーミングサービスでなくBandcampのリンクを貼っている確率が高まってきているのを感じる。とても嬉しい。

大乱闘

 金曜日は残業しても良い日、と決めていたので22時前まで残業していた。おかげで仕事が終わったころにはすっかり空腹になっていてとても料理を作れる状態ではなかったのだが、「まあ23時くらいまでお店自体は開いてるだろう」と高を括っていたらどの店もラストオーダーが22時だったりして瞬く間に詰んでしまった。そこで近くにいた後輩を呼んだ。
 出来合いの惣菜を買ってきてくれるように「麻婆豆腐を買ってきて」と頼んだ後、ついでに後輩の分も自作するかと「ついでにネギと豆腐も」と頼んだところ、渡された買い物袋には麻婆豆腐の素が入っていた。それは確かにそうなる。かと言って料理をする体力もなかったのでとりあえずスマブラをつけた。これが22時半ごろ。いったん休憩を挟んだ時には午前2時になっていた。乱闘中に空腹なんて気にしていられない。

リズと青い鳥』revisited

 お腹が空いたので麻婆豆腐を作って食べたあと、後輩が私の部屋から『リズと青い鳥』のBDを見つけ、「観たことない」というので観ることにした。
 改めて見るとみぞれの挙動が小動物みたいでいちいちかわいい。公開当時はフェティッシュなカメラワークとみぞれの情緒の激しさにとても息をしていられなかったのだが、知り合いとあれこれ喋りながら見る分にはある程度気を抜いて観ることができる。

 公開当時は"百合"ということもあって、のぞみとみぞれの人格とその成長についてフォーカスしていることが多かったのだが、今回は新山先生とみぞれが「愛の在り方」について語っているところがとても面白かった。
 リズは青い鳥が自分といて楽しそうにしていても、空を飛んでいる仲間たちに憧れ、空を飛びたいと思っていることを見抜いている。しかしリズは鳥ならぬ人であるから一緒に空を飛ぶことはできないし、自分と一緒にいる限り空を飛ぶことはいつまでも叶わない。だからこそ青い鳥へ別れを告げ、大空を自由に飛び回る姿を見せてほしいと促す。みぞれはそれを「リズの愛の在り方」だと言う。一方で青い鳥はリズを愛しているが故に、リズを不幸にしてしまう「リズと一緒にいたい」という思いを手放さなければならない。
 ここで結局みぞれは自分をリズと青い鳥のどちらだと思ったのだろう?という疑問がずっとあったのだが、答えとしては「どっちも」なのだろう。みぞれはリズとして希美を自分のもとに引き留めようとする思いを手放さなければならず、一方では青い鳥として、希美がいなくても一人で演奏し続けられる姿を見せなければならない。それがみぞれの愛の在り方なのだろうと思った。後者については裏を返せば「希美のフルートが好き」とは絶対に言わない残酷さ、みぞれを人ならぬ"青い鳥"たらしめているものでもあって、絶対的に善なるもの美しいものとも言い切れないのだけれど……。
 二人が大好きのハグを終え、音楽室と自習室にそれぞれ向かっていくシーンの後、赤と青の絵具で描かれた二つの円の重なった部分が紫色に変わっていく描写が挟まる。これも二項対立的に自他を切り分けて執着・対立するのでなく、お互いにお互いを自然な形で自分の中に配置できるようになる、という意味なのだろうなと思った。忘れたころに改めて見るとまた別の角度の発見があって楽しい。

タンゴ失敗

 リズと青い鳥を見終えてからふざけて「サタンタンゴ観ない?」と誘い、「とりあえずストーリーが動くところまではなんとか見よう」と決めて再生したのだが、開幕5分間牛の群れが牛舎から出てきて牧場に歩いていく長写しで後輩がさっそく船を漕ぎ始めて笑ってしまった。画面の美意識はばっちり決まっているし、音楽の使い方もかなり好みだったので、一枚ずつ(この映画のBDは三枚組)観ていこうと思う。今回は「寝られると思うのでつけっぱなしにしといてください」ということで入眠用BGVになった。私は寝室で寝たのだが、壁の向こうから凄まじくラウドな物音が聞こえ、これで寝るのは無理そうだなと思った。

クラシックと若者

 20代の人間がCurtis Mayfieldをオールタイムベストに入れているのがどうこう、みたいなトピックが盛り上がっているのを見かけた。元は「年齢関わらず好きな音楽を好きな時に聴けばいい」という話だったのが、Curtis Mayfieldの魅力を語り合う流れになっており、正直げんなりしてしまった。
 多少なりとも音楽を聴いていれば70年代ニューソウルが素晴らしいことなんて議論の余地なく自明であって、それを今更蒸し返してきて何を盛り上がっているんだろうと思う。2010年代のインターネットの主流は70年代までの音楽(ジャズ、ソウル、ファンク、ハードロックetc…)をリスペクトし80年代のフュージョンやロックを"商業化"として下げるというものだった。70年代以前の音楽を愛する人間は「おっさん」であり、いつまでそんな時代の話をしているのかと煙たがられる存在だったはずなのに、いつのまにか一周してそうした音楽へのリスペクトが戻ってきたものらしい。
 個人的には2022年に70年代ばかり聴いていると言われたら「だるそうだな……」と思う。「70年代」の部分を「YMO」とか「電気グルーヴ」とかに置き換えたような生き物はそこらにいくらでもいて、そういう人が煙たがられているのも結局は時流なのだな……と思った。

 これに尽きるなと思った。「(アーティスト/ジャンル名) 名盤」とGoogleで検索して詳細な記事が無数に出てくるようなアーティストを熱心に聴いているのはむしろ新規参入者で、長く聴いている側の人は気がついたら誰にも話が通じなくなっていることが多いように思う。自分もそれなりに長く聴いていて、「詳しい」と言えるほど詳しくはないものの「詳しくない」と言い切るのは嘘、くらいの立ち位置だが、このレベルでも聴いている音楽がコミュニケーションのツールにならなくなってきている。

 こういうチャートもある。

聴いたもの

Kendrick Lamar - Mr. Morale & The Big Steppers

music.youtube.com

 Kendrick Lamarの新譜。とても良かった。
 今作の特徴はDuval Timothyを起用したことによる清潔な電子音楽への接近だろう。この人についてはポストクラシカルやゴスペル、ジャズのリリシズム由来の繊細な美しさをビートミュージックと融合させているところに特徴があるが、このアルバムでもその魅力を十全に発揮している。個人的にはこれまでのアルバムの中で一番未来志向なサウンドというか、ヒップホップを拡張するサウンドだなと思った。こういうサウンドが表舞台に出てくることで、今後のシーンは確実に変わるという予感がある。

 今月もえらい数の音源を聴いたのだが、数が多すぎて全然テキストに起こせていない。せめてここに良かったものを連ねておく。

music.youtube.com