できたこと
- 通院
- 残業
雑感
70歳の老人
山下達郎の炎上の一件について人と話していたら「70代の旧世代の老人に何を期待しているんだ」とシニカルな意見が出てきて、「それはそうだな……」と思った。権力と名声を得た旧世代の人間が旧世代的な考え方を持っているのは当然である。
個人的には山下達郎はこれからも普通に聴くだろうと思う。『Ride On Time』『FOR YOU』『メロディーズ』くらいしか知らないし、それらを聴く限りノンポリのノスタルジックな音楽としか思えないので、山下達郎が自分の城に逃げ込むような発言をしたところで印象は特に変わらない(別に歌詞も聴いていないのでポリティカルだとしても分からないが……)。
破産の道
民族音楽に興味が出てCDを集め始めたのだが、Bandcampの音源と違って一枚2500円以上(場合によっては5000円くらい)するものを次々に買い込んでおり、瞬く間に出費が膨れ上がっている。ストリーミングサービスに置いていないことが多いので試聴して気に入ったら買うなどということもできず、土地と民族の名前、それからCDの装丁が良ければ何でも買ってしまう。こんなことを続けたら瞬く間に破産する。不安になってきたが、こうして知識欲が膨れ上がってきたのはEliane Radigue以来、じつに三年ぶりであって、ちょっとやそっとでは落ち着きそうにない。破産しない程度に楽しく集めていけたらと思う。
追記:民族音楽の良い作品を知っていたら教えてください。できれば現地録音でスタジオなりエンジニアリングの手が入っていないものがいい。
聴いたもの
kurayamisaka - evergreen/Modify Youth
ついにkurayamisakaの名曲"evergreen"がBandcampリリース・サブスク入りを果たしたので購入したのだが、良すぎてここ数日ずっと聴いている。
少し焼けた手を離せないでいる
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) July 6, 2023
夏が足りないね
夏が足りないね
"少し焼けた手を離せないでいる
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) July 6, 2023
時間がたりないね
君が間に合わないように離せないでいる
夏がたりないね
少し焼けた手を離せないでいる
夏がたりないね…"
この調子である。日中の暑さが治まってくる夕方あたりに聴くとちょうどいい。
「夏がたりないね」のリフレインに滲む押し殺した情念が「君が間に合わないように 離せないでいる」の一瞬だけ激しく噴出して、また「夏がたりないね」の凪に帰っていく、この押し引きの妙が本当におそろしい曲で……
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) July 7, 2023
「君が間に合わないように 離せないでいる」から畳み掛けるようにリバーブが膨らみコーラスが幾重にも重なってくるの、執着と自我が一瞬にして膨らんでいくのがまざまざと伝わってきて怖すぎる……
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) July 8, 2023
ツイートに書いた通り、この曲のクライマックスは「君が間に合わないように 離せないでいる」である。歌詞を読めば分かる通り、儚く寂しさを感じさせる描写が続き、「夏がたりないね」という印象的ながらも解釈の広がりのある言葉がリフレインされる歌詞空間の中で、ここだけは語り手の相手への執着と人間性が剥き出しになっている。そしてここでサウンド的なピークを迎えた途端に、まるで何事もなかったかのように「夏がたりないね」のリフレインとリバーブの向こうに語り手は消えてゆき、そのまま楽曲は終わる。優しいサウンドのようだがとても強い印象を残す曲だなと感じた。
宮里千里 - 琉球弧の祭祀 - 久高島 イザイホー
試聴音源なし(あらゆるサイトに断片すら上がっていない)。
沖縄本島東南端から5キロほど離れた場所にある久高島という土地で、神と人の間を取り持つ「神女(現地の言葉ではノロ/ツカサ)」という役職に女性が就任する際に執り行われる儀式「イザイホー」の様子を録音したもの。いわゆる「沖縄」的な緩さは全くなく、土着信仰の儀式の濃密な空間がまざまざと立ち上がってくる物凄い録音だった。これには現地録音の生々しさ・オーディオでの鳴りを両立させたマスタリングがかなり関係していると思う。今年いろいろ聴いた民族音楽の音源の中でも傑作と感じた一枚。
この録音が面白いのは、カメラマンのシャッター音がちょくちょく入ってくるところにある。民族音楽の録音でそんなことはほとんどない(地域に密着して大量の素材を録り、その中から選別してアルバムが制作されるため)。しかし、このイザイホーという儀式はこれ自体が12年ぶり、しかも録音された1978年の時点で継承が危ぶまれていたという経緯から、これを逃せば記録できるチャンスは二度と来ない可能性すらある。そのため今回の録音には撮影班も同行しており、録音と撮影を同時に行ったため、シャッター音が入ることを余儀なくされたのだと推察される。
しかし、これはネガティブなノイズになるどころか、「一回きり」という現場の緊迫した空気と、「民族音楽」のドキュメンタリー性を封入する効果を生み出している。あらゆる現地録音には記録者がいて、その情熱によって作品が成立しているという事実を改めて考えさせてくれた点で、とてもいい鑑賞体験になった。