雑記

__blurry_のおぼえがき

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できたこと

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雑感

選別

 Bandcampカートの中身が89件67000円とかになっていて、いくらなんでもこんなの買えるわけないと思い一つ一つ聴き直して再検討したら半分以下までごっそり削れた。フォローするアーティストやレーベルが増えても、その分自分の感性も変わっていって昔好きだったものに飽きていくため、真剣に吟味すれば買う量は結局変わらないらしい。
 会計も済ませたのでしばらくはこれを聴く日々になる。良い作品とたくさん出会えたので聴くのが楽しみ。

 デラウェアが出回っていて春を感じた。2房で398円と価格も悪くない。しばらくは食事が楽しい日々が続きそう。

後遺症その後

 6/5に発熱し、6/6にCOVID-19陽性の診断が出た。発熱自体はその週のうちに収まり、すでに発症から2週間近くが経過したのだが、未だに後遺症に悩まされている。具体的には咳と痰と日中の倦怠感に微熱。もう少し踏み込むと咳のしすぎで吐き気が誘発され、胸が悪くなって食欲が減退する。事実この2週間ほどは米が食べられず豆腐だとか茹で野菜だとか胃に優しいものばかり食べていた。悪くない食生活だったし、昨日はチャーシュー麺を食べたら普通においしく平らげてしまったので、咳が出ない限りにおいて食欲は戻っているらしいが一旦それは措く。
 咳が出るのはまあいいとして、微熱が持続するのはさすがにおかしいということで上司に相談し、今日は午前休を取って病院を受診した。レントゲンを撮り、無事に気管支炎の診断が下りた(コロナ後遺症はとっくに完治していたらしい)。コロナで弱っている時に併発したらしいが、訳も分からず体調が悪いという状態を脱し、治療に繋がる薬を処方してもらって完治への道筋も見えてきたということで気分はむしろ上がった。
 ……のだが、午後の勤務が始まる直前、主治医から「肺に不審な影があり、肺炎の疑いがあるので大きな病院で検査を受けてほしい、これから紹介状を書くので一旦うちに来て」と電話があり、話が怪しくなってきた。午後も休みを取って病院に向かい、紹介状をもらって大病院に移動する。この時点で治療費・タクシー代・薬代合わせてそこそこの金額が飛んでいる。
 大病院では初めてCT検査を受けた。息を吸う・息を止めるタイミングで点灯するピクトグラムがかわいいなと思った。画像を見た医師によると肺炎は見つからないため、初めに診断された気管支炎で確定で、処方された薬を飲めば治るとのこと。診察料金は今日ここまででかかった金額より高かったし、そこに追加で処方してもらった薬代が重なって、今日の治療費だけで1万円以上飛んだが……。
 何にせよ今後は1週間も経てば治るらしい。来月には友達と計画していたキャンプにも行けるし、新しく開店する火鍋・鉄鍋の店にも行ける。未来は俺等の手の中コールが頭の中で繰り返し鳴っている。

燎原

 好きなコンテンツが何個も燃えている。具体的にはスマブラと音楽。スマブラの炎上については特に言うことがない。知名度のある人間に良識が欠如していたというだけの話でしかないから。
 音楽の方は二個あり、一つ目は「シガーロスの新譜ジャケットの虹が燃えている図柄は、LGBTの権利向上運動を攻撃するもので、そう誤解されるような表現は望ましくないので差し替えるべきだ」というもの。これについて言うことは「本当に?」しかない。私はこれを見た時に虹なのかレインボーフラッグなのかも、この虹型の物体がなぜ燃えているのかも断定できなかったし、誤解の余地のある表現が必ずしも望ましくないとも思わない。
 加えて言えば、炎上の参加者たちはアーティスト側の発信も待つわけでもなければ、作品を聴き歌詞を読んでジャケットの意図を読み解こうという努力をするわけでもなく(何なら聴いていない人、シガーロスを知らなかった人までが図柄だけ見て言及する状況ですらあった)、ぱっと見だけで意見を発していたわけで、短絡的かつ性急すぎるなという感想が否めなかった。フランク・オーシャンの一件と同じことがまた繰り返されているのも気分がよくない。
 二つ目は「アイドル(YOASOBI)のラップは稚拙だ」というもの。読むことには読んだのだが、ヒップホップ・K-POP以外のフォーカスの仕方を知らない人が自陣に引きこもって採点したような、言ってしまえば安易な評だなと思った。
 議論の参加者が全員「自分は別に好きじゃないけど批評的にはこう言い得るよね」みたいな顔をしていながら、全然核心から外れたようなことを並べているのが目について仕方がない。曲が嫌いな人間がピントのずれた評を出し、どうでもいいと思っている人間がどうでもいいという顔で批判の内容にぼんやりと反論し、好きな人間は感情論と攻撃に終始していて、そこに楽曲とは関係なくラップはアフリカンアメリカンの文化で云々とか乗っかってくる人間が登場したというのが現状の構図であり、楽曲が好きで、この楽曲の構成や表現の妥当性を適切に語っている人間が一人もいない。「YOASOBIごときにかけている時間などない」といったように、アーティストごと軽視している人間も見かけた。そしてその全員が発言を見る限りアイドルという楽曲をまともに聴いていない。キャッチーなポップスだから何回か聴けば分かるとか、自分の好きなジャンルの手法だけで説明できるという侮りが透けて見えるのに、楽曲の表現に対してクリティカルなことは何一つ言えない人たちが自分の好きな曲に対して何か論じている様は最悪だなと思った。

聴いたもの

UnknownmiX - Mix 3

 良く知らないがこういうことらしい。80年代のポストパンク・クラウトロックが変異したような、呪術的でトライバルなビートの上に実験的な電子音が飛び交うスリリングな音楽。

Ambuya Nyati - Zimbabwe: Shona Ritual Music

 現地録音の民族音楽をリリースするレーベルの中でも特に評価の高いレーベルOcoraが、ジンバブエのムビラ(いわゆる親指ピアノの一種)による演奏を収録してリリースした一枚。Art Into Lifeに入っていたのでふと買った。これが生楽器であるとは思いがたい浮遊感のある音色で陶酔的なフレーズが形を変えながら反復され、その上にリチュアルな歌唱が乗っている。現行の電子音楽やミニマルミュージックが霞むような響きの豊かさとフレージングの妙・プリミティブな力を感じ、改めてアフリカという大陸は凄まじいなと思った。

Various Artists - Burundi:musiques traditionnelles

 同じくOcoraからアフリカの現地もの。改めて聴くと、Nyege Nyege TapesやAwesome Tapes From Africaから出るような音楽はこうした民族音楽に端を発していることがありありと感じられる。こうやって現地ものをいくつも聴いていくと、いずれ現行の電子音楽を聴くより民族音楽を……となりそう。東アフリカ最尖峰のNyege Nyege Tapesも時折トラディショナルな音楽をリリースしていたりするが、現地の人間からしても大陸の民族音楽はまだまだ発掘・消化の途中ということなのだろうか。

読んだもの

 ルシア・ベルリン『すべての月、すべての年』を読み進めている。こんなに優れた文章を書く作家は世にそうない。しばらくは本を買わなくてよさそう。
 『よふかしのうた』も現行最新刊まで追いついた。僕ヤバに感心を無くしても(作者の描き方も相まって途中から「もう早く性交したらいいんじゃないですか」としか思えなかった)、こちらはずっと自分好みの話を続けていて読むのが楽しい。しかも現在展開されているのは北海道編であるからなおのこと。
 あとは『あんじゅう』を2巻とも物理で買ったり、『作りたい女と食べたい女』を3巻まで読んだり、『毎月庭つき大家つき』に手をつけたり。『つくたべ』は自分の中ですでに結論が出ている話がフィクションとして展開されていて感心を失いつつある。ルシア・ベルリンの世界に対するドライなまなざしに触れていて、脳がそちらに切り替わっているからかもしれない。