できたこと
- 洗濯
- 買い物
雑感
陰謀サークル
母親が「知り合いから生ハムを貰った」と言って家に持ってきてくれた。知り合いの肉屋に安く分けてもらった、無添加の生ハムで……と聞いていたら「スーパーで売ってるものは全部農薬まみれで……」「今ロシアとウクライナが戦争してて物価が上がってるでしょ、あれは実はメディアは全部嘘でロシアが勝ってるんだけど……」「今円安でしょ、円安って分かる?お金の価値っていうのは……」「ハロウィンっていうのは悪魔崇拝の儀式で、クリスマスっていうのも実はキリストの誕生日じゃなくて……」などなど、陰謀論と中学校レベルの経済学と自然派が渾然となったような曼荼羅を一時間半くらいぶっ通しで聞かされた。こちらの相槌も反応も待たず、一方的に自分の主張をまくしたてる様を見て、オタク語りってこういうことなんだな……と初めて実感した。
肉屋はどこで知り合ったのかと聞くと途端に口ごもり、若者から母親まで幅広い年代の集まるサークルのようなものがあって、そこで知り合ったというような返事があった。そこでどんな話をしているのかというとやはりもごもごと「教育とか経済学とか……」と言う。"教育"というのは「子供たちは毎日マスクをつけさせられて修学旅行にも行けなくてかわいそう」みたいな話らしく、ここでようやくさっきまでの話が全部そのサークルで聞いた内容の受け売りらしいと判明した。「そのサークル?は何て名前?検索したら出てくる?」と聞いたところで「どうしてあなたにそんなこと教えなきゃならないの」とあからさまに気分を害したらしい刺々しい反応が返り、そこからはもう聞き出せなかった。「Google検索も全部操作されててちゃんとした情報なんて出てこないよ」というおまけ付きで。他人に名前を明かさず検索にも引っ掛からない、今ある世界に対して敵対的なグループというのであればそちらの方がよほどディープステートっぽいのだが……。
生ハムというのは建前であって、本当はただ私と話に来たのだろうと察しはつく。どんなであっても親は親なのだから、せめて和やかに迎えてあげたいという気持ちは働くのだが、こちらの話を聞くでも近況報告をするでもなく、知識人面をして前にも聞いたような陰謀論をだらだらと語られるのは疲れるなと思った。
『すずめの戸締まり』
ネタバレの問題もあるので下部に改めて記す。
聴いたもの
サザンオールスターズ - KAMAKURA
サザンの8枚目。「もしかしてサザンって面白いのではないか」という天啓が降ってきたので評判のよかったアルバムを買った。
いわゆる「サザンの音」というと自分のなかでは"TSUNAMI"とか"いとしのエリー"とか"勝手にシンドバッド"のような音だったのだが、一曲目から「オブスキュア」と呼ばれるような、YMOの系譜を感じさせる奇妙な音像の実験的デジタルファンクが飛んできて度肝を抜かれた。いわゆるサザンというか、暑苦しいような曲もいくつかあるのだが、アルバムの基調は明らかにニューウェーブやシンセポップに振れていてとても面白い。「死体置場でロマンスを」なんて明らかにUSニューウェーブの音がする。
ついでに桑田佳祐のボーカルはほとんど何を言っているのか聞き取れないため、聞き心地が海外のバンドを聞いているのと全然変わらない。意味ではなくサウンドだけに集中できる心地よさもあいまって何度も聴ける作品。
SUNN O))) - Life Metal
Bandcampで1ドルになっていたので買った。"ヘヴィネス"のエッセンスを抽出したような、ドローンメタルの凄まじい傑作。ピッキングの粒の一つ一つに至るまでギターの鳴りが一つの表現をばっちり指向していて、リスナーをがっちりロックする力がある。ドローンとしては短いがそれなりに長い、行き先の分からない和音の積み重なりがリスナーに緊張感を強いる感じはKali Malone "The Sacrificial Code"にも近いかもしれない。ただただ聴いていて気持ちのいいアルバム。
星街すいせい - 灼熱にて純情
星街すいせいさんの新曲。作詞作曲はUnison Square Gardenの田淵智也、編曲は堀江晶太。ドラムンベースが混じったような高速16ビートのAメロ、やたらと音数が多いサビなど、情報量の多さはいかにもUnison Square Gardenにkemuを足した音という感じ(シュガビタしか知らないのでこれは単なる印象)。
この曲がすごいのは星街すいせいさんが楽曲のアンサンブルと一体化していること。星街さんはそのスキルの高さゆえに、半端な楽曲半端なサウンドでは歌唱力が有り余ってバックトラックから浮いてしまうのだが、暴風のようなバンドサウンドとまくしたてるような星街さんのボーカリゼーションにはお互い切り結んでいるような全身全霊の迫力が感じられる。スキルの高いシンガーが高負荷の楽曲を歌うことでしか得られない感動は確実にある。"王"の御姿を久しぶりに見たと思った。
坂本真綾 - DIVE
このところ声優楽曲に関心があり、名盤という評を見かけて手を出したアルバム。プロデュースが菅野よう子というだけあって全体的にクオリティが高いのだが、特に「月曜の朝」はインダストリアル/ポストパンク的な異様で冷たいサウンドをしていて心底びっくりした。ハイライトは前述の「月曜の朝」、シューゲイザーやドリームポップ、アンビエントジャズまでもが視野に入ってきそうな恍惚を帯びる「パイロット」、新居昭乃的なやや不協和な中を漂いながらもサビでは胸を締め付けるメロディを歌う「孤独」。
『すずめの戸締まり』
傑作だった。明確に「震災の追悼」というテーマが打ち出されているのだが、新海誠が震災を描くにあたってとったスタンスと意思が、これまでの「新海誠」の作家性を遥かに超えたものだったことがとても好きだった。
これは「震災の映画」ではなく、「被災者の喪失からの回復」である。だから地震とは言っても東日本大震災を想起させるような生々しい災いのディテールは出てこないし、トラウマを呼び起こすような描写はかなり抑制されている。これは「ここまでしか描けなかった」のではなく、「当事者と非当事者の入り混じる観客に対して、現実に戻ってこれる塩梅で痛みを物語るにはどうしたらよいか」という部分の議論が徹底して行われた結果だと感じた。
私はテレビでしか東日本大震災の被害の様子を知らない、いわば非当事者である。しかしそれでも鈴芽が過去の日記帳の黒塗りになったページをめくっている際には動悸が激しくなったし、過去の鈴芽に出会うシーンでは幼時に受けた喪失という傷の深さに胸を打たれて泣いてしまった。だからこれは非当事者にとっては何よりも、震災によって受けた心の傷を追体験する映画であるし、そのような痛みを"戻ってこれる深度で"知ることができるという物語の力を新海誠は信じ、責任を引き受けた上で制作に取り掛かったのだと思う。ただリアルを知ることも大事ではあるけれど、途方もない数の死と喪失を原液で受け止めろというのは、特に震災を知らない世代の子供たちにとってはあまりに酷であると思うから。
当事者がどのような感想を持つのか私には分からないし、想像することもできない。大地震と津波などというスケールの大きすぎる災害などは私の想像できるレベルを超えている。だから「これを見た当事者がどう思うか」というのは絶対に分かりえないけれど、新海誠がそのような人々にも届く映画を作ろうとしたのは強く感じられた。
追記:Twitterを見ていると、性的少数者・BLMなどの問題系に対して非当事者がどう振る舞えばいいか戸惑っているようなのが時々目に入る。むろん当事者目線を想像することは大事だが、それはそれとして非当事者は非当事者であって、どう意識したところで今から差別が自分に向かうわけでもなければ、当事者に真の意味で共感できるわけでもないのだし、非当事者は非当事者らしく、共感できない部分、分からない部分についてはラフに鈍感に作品鑑賞を楽しんでも全然よいと思う。ヒップホップを聴くときにブロンクス・クイーンズの貧しい黒人に思いを馳せなくてもいいし、四つ打ちの音楽を聴くときに苛烈な差別を受けてフロアの他に行き場のないゲイに思いを馳せなくてもいい。別にストリーミングサービスを使う時に1再生あたりのアーティストの収入を考えることもない。コンシャスな部分とカジュアルな部分はバランスである。可能な限りにおいて実践できればよいと思うし、そうでもなければ全員が全員あらゆる問題に気を配って生きていくというような極論に走ることになる。