できたこと
- 炊飯器をセットする
- 食材を買う
- 麻婆豆腐を作る
- おつまみを試作する
雑感
帰省
12/31~1/3を実家で過ごした。父親が車で迎えに来て、布団と生活に必要な品々を詰め込み、実家(車で30分弱)へ向かった。
まあだいたいだらだらして過ごした。暖房の前にミニテーブルを立て、PCとスピーカーを設置してひたすら音楽を聴き、たまに配信やら切り抜きを見るときはヘッドホンをつけてひっそりと聞いていた。この付け替えがすでにストレスであり、一人暮らしがいかに自分にとって快適であるかを確認する日々となった。
『感受体のおどり』をいくらか読み進めた。これを読むと心が引き締まる。私はこれくらいクリティカルなものが読みたいのだと思い出す。
初詣は父親と二人で1/2に行った。ちょうど寒波が来ている日で、例年通りとても寒かった。帰りに「アンプが見たい」と言ってヨドバシカメラに寄ったのだが、「これが欲しい」と言ったら「じゃあそれ誕生日プレゼントに買ってやるよ。ウォークマンのお礼もあるし」と買ってくれた。そこまでねだるつもりはなかったのだが、向こうもあっさりしていたのでありがたく好意にあずかることにした。
ちなみに私の誕生日は1/11、ちょうど一週間後である。覚えておくように。
妖怪
自宅にある塩の色がおかしいとふと瓶を手に取ったところ、母親が勝手に自分で買った塩に中身を詰め替えていたことが分かった。キッチンに詰め替え元らしい塩の袋(インカ天日塩)が置いてあり、色と粒の大きさが一致したことで確信を得た。
思い返せば、私が塩の瓶を買ったのは実家にいる時で、買ったその日に使ってから、しばらくの間行方が知れなくなっていた。再発見されたのは一か月半ほど経って引っ越しを始めた期間である。
なんか見覚えのない塩の袋がキッチンにあり、その赤みがかった色が味塩の中身と同じ色をしていて、ひぐらしか何かか?
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) January 3, 2022
相談したら父親も「俺も自分の塩買ってきたら勝手に中身詰め替えられた」と言っていたので、母親がその手の妖怪であることには疑いの余地がなくなった。
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) January 3, 2022
妖怪というのは冗談だが、冗談を差し引けば母親は私が買ってきた塩を見つけたその日に中身をすべて捨て、私のいない間に自分が使わせたい塩を詰めて何食わぬ顔をしていたということになる。母親が話が通じない人なのはこの際しょうがないと思っていたが、ここにきて常軌を逸した卑しさという新しい一面を目の当たりにし、「うわ……」以外の言葉が出てこなくなっている。まだ妖怪であってほしかった。
要するに自分の価値観をどうあっても押し通したい、自分の手を離れても、私が気が付かないところでも影響力を及ぼしておきたいという願望の現れである。私は今呪われているのだなと思った。
塩はすべて水に溶いて捨てた。それが置かれているだけで母親の自尊心を満たしていると思うと許せなかった。
NJU
にじさんじユニット歌謡祭。
にじさんじメンバーの中でユニットを組んでライブを披露するという企画である。企画に出るだけあってみんな歌が上手い。歌声の方向性などを合わせず日頃の関係性やその人の世界観・外見などで統一したユニットが多く、まあにじさんじらしい企画といえばそうかな……と感じ、ユニットとして聴きごたえを感じたものはあまり多くなかった。
良かったのはあまつかいまごころ(天宮こころさん・魔使マオさんのユニット)。歌唱の相性がよく、歌でなく喋るような掛け合いがしやすい選曲もあって、二人の関係性が最高の形でパフォーマンスに昇華されていた。
良いツイート
今日は特になし。
聴いたもの
black midi - Cavalcade
サウスロンドンのバンドblack midiのセカンドアルバム。初めて"John L"を聴いたときは本当に何一つ理解できず戸惑ったまま放置していたのだが、年末になって周りの人が話題に上げていたのを思い出し、改めてアルバムトータルで聴いたところ良かった。一曲目はこのバンドのエクストリームな一面を凝縮したものであって、次の曲以降を聴いていくとクリムゾン的な抒情であったり、ジャジーなアプローチであったりとメロディアスで聴きやすい側面が次から次へと提示される。パレットの豊かさも面白いが、このバンドを特徴づけるのはそれら無数の音楽ジャンルから吸収したサウンドをまとめ上げる作曲の力だろう。めちゃくちゃなように聞こえるが、このアルバムにはほとんどインプロヴィゼーションがなく、全てがガッチガチに構成されている。聴けば聴くほどコンポジションの見事さに驚く、そういうアルバム。