雑記

__blurry_のおぼえがき

10/1

できたこと

  • 早起き
  • ラジオ体操

雑感

日記件数

 いつも読んでいる人の日記が100件を超えていて、後から始めた人が100件なら私はもう少しあるだろう、気づかなかったがもう通り越したろうか……と確認したら96件しかなかった。乱闘に明け暮れて日記を休んでいるうちに抜かされたものらしい。日々の怠惰は目にはつかずとも、折々の節目で露わになるということらしい。9月中ほとんど何もしていないのに給料日に辿り着いてしまった自分としては痛み入るものがある。

ワクチン接種二日目

 明らかに腕が痛い。筋肉が凝り固まって、動かすたびに周辺の筋肉を無理矢理引っ張っているような、言うなればふくらはぎを無理矢理引き延ばしているような痛みがある。そういうわけでしんどいのでランニングはおやすみ。

言いすぎ

 日記を投稿したあとに「感情的になりすぎたかな……」と思うことがある。日記は自分のその時の感情に任せて書いてしまいがちで、そうすると冷静になった時に読み返して「そこまで言わなくても……」と反省することになる。

 しかし、自分が日記に書くのは、当たり前ながら日記に書きたいこと、つまりその日その時思っていたこと、書かなければ頭から出ていかないようなことであって、そこに公共的テキストとしての強度など担保できるものではないし、そんなことを始めれば日記の日記性は失われるだろう。それなら隔日隔週でnoteにでも書けばいい。

 日記なんて後日読み返して「言い過ぎたな」と思えるくらいでいい。言い過ぎたなと思えるのならその混乱はやり過ごせたということなのだから。一時いっときの思想の完全性にこだわることはない。

 もしも日記をつけるくせがあったら歌城は死ななかったかもしれないという気もする.のろいや悔いや欲望で混乱しているようなのがいい.回想や予想や進行中の些事への,こだわりや投げやりや感傷のうらぎりあっているようなのがいい.
 文化の総体から歌ぐちとして吹かれているという勇みで歌城は歌城を律し,書き手の私事になずむことを弱りとして否定した.(中略)
 一ぽうで歌城はごく若いうちから生きかたそのものも見せものになっていたので,未整理な言動はそちらでも切りすてなければならない.
 こうしてどちらからも排除されてくるものをせめて日記にでも書かなくて反乱の起きないはずがあったろうか.不定形なもの,不用意なもの,ゆらぐもの,はずかしいもの,懦弱なもの,未生のものが,復讐をくわだてないはずがあったろうか.(『感受体のおどり』第297番)

Bandcamp Friday

 音楽を買おうと思ったらちょうどBandcamp Fridayだった。だからどうということもないが、ちょうど臨時収入が入ったところだったので今月分として40枚くらいアルバムを買った。買ったもの一覧は最下部に。ここでは今日明日限定の作品をいくつか取り上げる。

WBBL - Super Funky Bits

 WBBLの最新作。この人の作る音にはトラディショナルなハウスミュージックに根ざした手堅さと、Future系の要素を取り入れたポップさが共存していて人を選ばずに踊らせる力がある。電音部のMoe ShopだったりSnail's Houseだったりといったようなきらびやかな音が好きな人向け。メアドを登録すればフリーDLできる。

Lee Douglas - Lee Douglas edits 2000-2015 vol.1

 よく知らない人のエディット。コード感が薄めでざらついた手触りのディスコエディットが並ぶ。エディット素材の著作権が微妙なためBandcamp Fridayでしかリリースしていないとのこと。そんなことある?

東京性と東京におけるローカル性

 いかにも"東京性"を漂わせるような音楽に対して強い敵対心がある。こういうの。

 「東京の夜」というほとんど具体性のないふわっとした概念に物語性が付与されていることがいけすかないと言ってもいい。都市はあまりに過密で忙しないため、一個人として地に足をつけて立っていることができず、流れる時間は刹那的で虚ろである、そういうような。

 東京はよそ者だけの土地ではないだろう。東京生まれ東京育ちの人間からそんな感想は出てこないだろうし、そもそも一駅乗れば景色ががらりと変わるような都市において、「東京」という高度から語り得るものなどない。そこで語られているのは山の手線の内側とかの話ではないのか。東京と聞いたら無常と返すような脊髄反射はよくない。もっとそのローカル性に、自分自身が生活する土地で見出したものに注目すべきではないのか。

 その点「渋谷」「原宿」など、東京の中でも具体的な地名をレペゼンした楽曲は偉い。東京を幻想都市としない、東京ローカルのカルチャーからの内発的な力を感じる。もっと地名を背負った曲が出てきたらいい。電音部はその点本当に偉い。

 だいいち東京はそんなにきらびやかな土地ばかりではない。東京ネスなる架空の概念に情緒を見出している暇があったら葛飾にでも行ってほしい。それから『都会』を聴いて実家に帰ってほしい。



 ……と、北海道の帯広生まれ札幌育ち、要するにそれなりの地方都市育ちの身としては、本州の人と話していて「北海道」と口にしたら「大自然」と返されながら育った身としては思う。しかし、いわゆる"夢を追って"東京に来た人々にはこの東京幻想もリアルなのだろうか。

良いツイート

 同じことを考えている人がいた。

聴いたもの

Merzbow - Offering

 Editions Merzbow(Editions MegoMerzbow専門サブレーベル)からリリースの作品。おそらくラップトップ導入期の作品で、ノイズはホワイトノイズ的な棘の少ない音色であり、ビートやループにも電子的な加工が窺える。
 Merzbowの入門作といえば『Merzbeat』であろうが、この作品はあちらの次に聴く作品として最適であるように感じた。ロックやヒップホップのビートを導入するとどうしてもグルーヴがもたらされ、ビートレスのノイズに比べるとアンダーグラウンド性というか、ヨーロッパ的ストイックさはどうしても失われる。その点、このアルバムには実験期のエレクトロニカのようなシリアスさがある。ここに身体を慣らすことで『Pulse Demon』などの作品にも入りやすくなるのではないだろうか。

Kosmo Kint & Kapote - Misbehave EP

 Toy Tonics主催Kapote本人のEPアナウンス。Director's Cut的なクラシックハウスであるが、ビートの軽やかなテイストはやはりヨーロッパのサウンド。今年中にKapoteのフルアルバムのリリースが控えており、このEPはそのティーザーということで楽しみ。

宇宙ネコ子 - Hino Ataru Basyo Ni Kiteyo

 全然知らない人のアルバム。日本のシンガーらしい。
 Bandcampのトップページに出てきたのだが、とても透き通って繊細な歌声と、きらきらして爽やかなネオアコの組み合わせがとてもよかった。こう書くと2000年代のようだが、8ビートの跳ね方はシティポップリバイバル以後の雰囲気がある。それに絵がかわいい。私は絵に惹かれてクリックした。これもフリーDL可。私はせっかくのBandcamp Fridayなので少額ながら投げ銭した。

Muito Kaballa - Mamari

 ドイツのアフロビート志向ジャズファンクバンドMuito Kaballaの2021年作。もうこの説明が全て。YouTubeを開いていたら流れてきて、そのクオリティの高さに一目惚れして即座に買った。傑作。

読んだもの

news.yahoo.co.jp

note.com

 以下買ったもの。感想は追々。

tqdukg.com