雑記

__blurry_のおぼえがき

9/10

できたこと

  • 早起き
  • ラジオ体操
  • ランニング

雑感

お金を払うこと

 古い作品を自分から掘って買うということを全くしなくなった。そもそも10年も遡れば四つ打ちはだいたい古びているし、ロックにしたって古い作品を聴いたところでカッティングエッジたる音楽性にぶつかることはほとんどない。だからそもそもやる理由がないのだが、それ以外にも理由がある。それが「お金を払う」という行為の意味にも繋がっている。

 私にとって音楽にお金を払うというのは、すごい作品を成したことへの賛意の表明と、今後の活動の支援という理由によるところが大きい。Bandcampで試聴はできるし、公式非公式は場合によるけれどYouTubeにも転載されているし、「聴きたい」という理由でお金を払うようには現在の音楽シーンはできていない。もう亡くなっていたり、活動が止まっているバンドにお金を出してもしょうがない。それよりは、生きている人間が2021年に作った音楽を買う、という行為をもって音楽シーンに参加していたい。

 だから私のライブラリにはほとんど旧譜が入っていない。あったとしてもTwitterで見かけて興味を持った作品だけである。これを浅いというのならそうかもしれないが、旧譜を掘ったところで今後の音楽シーンが豊かになるわけでもない。中高生の頃に70年代までの音楽と90年代はさんざんやったし、80年代は大学生で多少やってフロアでも浴びまくっている。自分が積極的に探すのは現代の音源にしたい。

瞑想

 瞑想できるようになりたいと思った。どうにも意識が常にノイズで覆われている感じがあり、何か一つのことに集中するということができない。自由時間になれば必ずだらだらTwitterを見たり新譜を漁ったりと、とにかく何かをし続けていなければ落ち着かないというのは、精神が常に刺激を欲しているということであろう。それはPeace Of Mindにはほど遠いように感じる。Peace Of Mindがマイブームである以上、瞑想を避けて通るわけにはいかない。

 さしあたり30分程度、音楽を聴く以外何もしない時間を作ることに挑戦してみようと思う。何でもやってみることが大事。

 すあしをほてらした小児の小むれが散っていこうとしている道のかどに,去りぎわに日がたたせていく物の匂いがもつれてこごり,時がすべりすぎていく速度が血をぬかれるなまなましさでつきつけられた.
 この向きあいたくないものと向きあうのを目的に歩いていたのだと,いつも向きあってから気がつく.かすめては逃げてしまうことをくりかえすうちだんだん受けとめかたがにぶるのではないかというおそれにも,いつも同時に気がつく.あいかわらずこれほどに向きあいにくいとわかったとたんにそうおそれるのはむじゅんのようだが,それら過去の喪失と未来の喪失とのかたまりは分かちがたくいちどきにやってくる.
 わずかな時間もなにもしないでいることのできないしょうぶんだと美徳として言う者たちにたくさん出あってきた.そういう者たちはここに来ると,またはここを予感すると,怠惰と荒廃にさわったとおもってあわててひきかえすのかもしれない.有用な労苦にうめつくされた日日のほうへ.じつはそうあることの怠惰と荒廃があばかれたのだとはおもいもつかないままに.(黒田夏子『感受体のおどり』208番より)

魔法的なるもの・その1

 「音楽は魔法」でも「Music is the answer」でも、とにかく音楽を賛美する自己言及的な楽曲を聴くたびにいけすかなさを感じていたのだが、ようやく具体的な言葉を得たのでここに書く。
 一言で言えば「そんな結論先行型のフレーズは魔法にも奇跡にも答えにもなるまい」である。音楽はそれ単体では魔法ではない。人々の思いが高まった安全な空間があり、その人々の思いに呼応する音楽がプレイされ、その空間の全てが一体となる、その瞬間に魔法は顕現する。少なくとも私はそう考える。

 音楽は魔法というそのフレーズは何も魔法たりえない。その演者のパフォーマンスと空間、理解のあるリスナーというコンテクストがあり、そこに音楽が融合することで、はじめて魔法は生まれる。ゆえに音楽がその手柄を独り占めするのは、強い言葉で言えば傲慢だろう。「女二人いればてぇてぇ」のような真似は厳に慎んでほしい。

──作り手としては、そういった繊細で複雑な情動を求めている読者に向けて、どういうことを意識しているのでしょうか。

月村 これは作家にとっての企業秘密みたいなものですから、あまり大っぴらに言わないほうがいいと忠告されるのですが……狙おうと思って狙えるわけではない、狙っていってはだめ。作り手の「こうすれば萌える」という感情がにじみ出ると、砂のように手のひらの間からこぼれ去っていくものがある。それが萌えです。決して狙わずに、そちらを見ることすらせず、水面に浮かぶ月を斬るようにしてすくい上げる。これは百合に言い換えても同じだと思っています。

www.hayakawabooks.com

魔法的なるもの・その2

 ばぶ太郎……というか、かつて御伽原江良だった人のツイートを見て、このようなことを考えていた。

 かつて御伽原江良さんがその身に纏っていた変身の魔法は解け、何ならfanboxで楽しそうに自撮りを公開しているのだが(注:これはネガティブな言及ではない。それも人の営みだから)、それは魔法が全て霧消したことを必ずしも意味しない。もっと広い意味、"現実的"な意味においては。

 その人にとって配信業がもはや値打ちを失ったのだとしても、そこで獲得した素敵な人間関係、そうしたコミュニティが存在しうるのだという世界認識、そういったものが生きるためのよすがとなることだってきっとあるかもしれない。現実における"魔法"とはそれを言うのだと私は信じている。

 もっと言うならば、生業をやめた先にも個々人の生が続いていることが私は嬉しい。それは劇的な生でなくともいい。ただその生活が、その思い出が安らかであることを祈るばかりである。

「舌が肥えている」こと

 こういう言説がちらほら見えているが、舌が肥えていることと「解像度が高い」ということがイコールになっているツイートがあれば、一方では「うまいとめちゃくちゃうまいしかない」のようなツイートもあり、どうにも違和感がぬぐえない。
 そう思うのは、以下の記事を読んだからである。

room.commmon.jp

松田:おれが思うのはさ、例えば子供のとき、今ではその上位互換を知っているけれども、当時はそれがチョー最高って思ってたことってあるわけやん。

中垣:うんうん。あるある。

松田:例えばなんやろう、プッチンプリンとかもそうかもしれん。さっき中垣はクレームブリュレ食べてたけどさ、別にそのクレームブリュレエクスペリエンスによって、プッチンプリンに対する当時の歓喜が否定されることはないやん。当時はこれこそはと思ってたわけで、その限りにおいては大いに結構なわけ。

中垣:あー、そうやね。

松田:要は「おれはおれなりに豊かだ」って言ってるのがなんで糾弾されるかって、それはお前の選んだお前の豊かさではない、って話やと思うねん。

中垣:はいはい。

松田:それがなんであれ、もしそれに全身全霊で豊かさを認めているんであれば、それは大いに結構やねん。さらに言えば、いずれその一歩先に行くことも必然やと思うねん。

中垣:うんうん、まあそれはそうやんな。

松田:要は今どこにいるかが問題なんじゃなくて…

中垣:微分した値が正であれば…

松田:あ、そうそう笑

味覚にせよ聴覚にせよ視覚にせよ、感性が成熟するというのは、多くの選択肢を知ったうえで、その個人にとって排他的な選択を下せるようになることであろう。語彙は雑で全然かまわない。ただ一時いっときの自分のパラメータから、「これこそは」という一択を導き出せるようになることが肝要ではないかと思った。

良いツイート

聴いたもの

Jan Jelinek - The Raw and The Cooked

 Jan Jelinekの新譜。サウンドコラージュによって作られた不穏なアンビエントで、なんとなく部屋のスピーカーで流しておく分には気持ちいい。その先に行きたくなるような、繰り返し聴きたくなるような新鮮なリスニング感覚は特にない。

Thomas Köner - Aubrite

 Porter Ricksの片割れThomas Könerの1995年作。Mille Plateauのデジタルリイシューがあったので聴いてみた。
 「ウルトラブラック」なる深宇宙の何もない暗闇を表現した……とのことだが、Jeff Millsが一時期傾倒した宇宙的アンビエントと大差がない。ただ意識がぼんやりしていくだけで、こちらも新鮮みやクラシックネスは感じられない。

Captured (Remixes) - Secret Night Gang

 新世代の(クラブ・)ジャズを提案するBrownswood Recordingsから、ネオソウルやフュージョンの要素を押し出す新人バンドSecret Night GangのリミックスEP。この頃Giles Petersonが傾倒しているフュージョン風味のブリットファンクをディスコハウスに仕立てた音で、ハウスミュージックとしての流麗さと人力の音の厚みがちょうどいい塩梅で楽しめる。個人的にこのアーティストにはかなり注目していて、今後のリリースも楽しみ。

Merzbow - Door Open At 8 AM (Remastered + Bonus Tracks)

 今日も今日とてメルツバウ。ジャズレコードのサンプリングを使った作品で、複数の人から入門作としておすすめされた。
 聴けば確かにジャズらしいドラムブレイクのループの上で、やや暖かみというか、アナログ的な質感のあるノイズが激しく吹き荒れており、メルツバウなりの当時のヒップホップ・エレクトロニカシーンへの回答のようにも聴ける。シンプルに良く、確かに入門盤と言えるが、メルツバウディスコグラフィーの中では飛び道具であろうし、ここに定住したらダメになりそうなのでもう少しコアな作品を聴いてからまた戻ってきたい。

Merzbow - Pulse Demon (Remaster Reissue)

 メルツバウの代表作。こちらは全編ちゃんとハーシュノイズであり、『Venereology』が草刈り機だとすれば、こちらはヘリコプターのプロペラ音である。
 本当にそう思ったのであり一切ふざけているつもりはないが、もう少し詳細に説明する。前者は硬質でインダストリアルな、まさにHarshなノイズであったが、今日聴いたこの作品はもう少しノイズの発信源となる機材やノイズを鳴らしている空間が思い浮かぶような、具体性の強いノイズである。これは買ってもいいなと思った。
 余談:ノイズミュージックを構成のある楽曲として聴こうとすると即座に疲弊する。今その瞬間に鳴っている音に耳を澄まし、そのディテールを味わう、という行為を楽曲の長さの時間だけ続けるジャンルなのだろうと思った。ドローンやアンビエントは時間を遅延させる工夫を凝らしたジャンルであるが、メルツバウのノイズはそうではなく、異音を異音であるままに受け止め続けるという積極的な態度を要求する感じがする。

John Talabot - Matilda's Dream

 Permanent Vacationより旧譜のデジタルリイシュー。アフロトライバルなビートにアシッドを合わせる、明らかに大箱狙いの表題トラック、クリック的なパーカッションとアルペジオに酔っていたらダビーなリバーブと硬質なパーカッションに展開するAfrodubな二曲目、表題曲をさらにディープでミステリアスにリミックスした三曲目とどれもクオリティが高く古さを感じさせない。

Bodycode - A New To Bloodmoon

 Mule Musiqの旧譜デジタルリイシュー。いかにもMuleらしい泡立つようなシンセサウンドとスペーシーで緊張感のあるオルガンフレーズの導入からかっこいい。バックトラックから奇妙に浮いたボーカルのとぎれとぎれの歌がサイケデリックな酩酊感を生んでいる。

Shackleton - Departing Like Rivers

 ダブステップ・ベースミュージックシーンの異形Shackletonの新譜アナウンス(というか明日)。ガムランなどのサイケデリックな音が特徴的で、以前のShackletonのようなうるさいキャッチーさが後退しておりかなりかっこいい。未知の感覚と親しみやすさの塩梅がちょうどよくてリリースが楽しみ。

 以下ちょっとずつ。

 尾丸ポルカさんのシンデレラ。躁的で強く張った声が楽曲と良くマッチしている。

 燦鳥ノムさんのシル・ヴ・プレジデント。こちらは声の力が足りない。優雅な歌いぶりはさすがのものだが、歌唱から大統領になって彼氏を拷問したい、とっとと別れて闇夜に暗殺したいという意思が感じられない。そんな物騒なことを考えている人間が異常というもので、燦鳥ノムさんの感性にも、本人の表現として全力を発揮したそのパフォーマンスにも一切の非はないのだが……。

 角巻わためさんのオリジナル曲。Tom-H@ck作曲ということでMYTH-ROIDの作風が強く出ていて嬉しい。ギターが良い音をしているなと思ったら生演奏らしい。間奏のトーンをいじったカットアップがかっこいい。

読んだもの

news.denfaminicogamer.jp

 不穏な世界に幼稚な造形の落書きを見つけて、確かにRadioheadだなと思った。

note.com