雑記

__blurry_のおぼえがき

7/24


できたこと

  • 待ち合わせに遅れない
  • ランニング

雑感

小旅行2

 昨日に引き続き今日も定山渓に行った。昨日は高校以来の友達とだったが、今回は職場の同期と。豊平峡温泉→中山峠→豊平峡ダムという流れで、行き当たりばったりとはいえ定山渓の黄金ルートを制覇してしまった。

豊平峡温泉

 露天風呂の虫の数が凄い。常に青いトンボが飛び回りながら水面に尾っぽを叩きつけて散乱しているし、巨大な虻……蜂……蚋?が常に飛び回って物凄い羽音を鳴らしているので会話どころではない。水面から身体を出しているとすぐに縦長の虫が肌に止まり、放っておくとチクチクする(刺されているのかは不明)。虫の死骸と枯れ葉がそこら中に浮いている。それ以外は本当にいい温泉だったし、食堂のインドカレーもおいしかったのだが……。また冬に来たい。

中山峠

 アメリカンドッグの衣でジャガイモを包んだような揚げ芋が目玉の道の駅なのだが、インドカレーを食べたばかりで満腹だったので見るだけで無理になってしまい、抹茶のソフトクリームを食べた。とにかく日光が強かった。

豊平峡ダム

 同期がダム好きだったので。ダムを見に来たつもりが、見晴らしのいい高所なので普通に景観の良さに感動してしまった。巨大な一枚岩や、流れ落ちる過程で幾たびもジグザグに流れが跳ね返る滝など、普通に観光スポットとして有名な場所らしい。
 ダム好きという気持ちがこれまではあまり分かっていなかったのだが、今日ダムを見たところ、ものすごい水量を貯め込んだ湖のうねうねした形の輪郭が、一か所だけコンクリートの分厚い壁で人工的な曲線にshapeされており、(日本語で上手く言えない)、その反対側からは不自然な勢いで水が一点から爆発的に噴出している、というのは、人工が自然に対して力業で食い込んでいるのがまざまざと感じられて感動してしまった。私と同じ形で同期が感動しているか(感動が"同期"しているか?)は分からないが、ともかくダムの良さは分かった。他のダムも行ってみたい。

良いツイート

聴いたもの

三浦大知 - 球体

 ダンサーである三浦大知の独演パフォーマンス。YouTubeにてプレミア公開(アーカイブなし)。ダンサーとは書いたが、そのパフォーマンスはほとんど舞台役者だった(それとも現代の"ダンス"とはこういうものを指すのか?)。
 パフォーマンスを含めて一枚の"画面"として構成された舞台が常に美しく、どの画面を切り取っても絵画のようでとても目に良かった。「パフォーマンスを含めて」とわざわざ書いたのは、演者である三浦大知が画面中央から外れた場所で激しいダンスを行うシーンがあったからで、そういうことも出来るのかと個人的に強い衝撃を受けた。日頃舞台芸術を見慣れず、見るものと言えばVTuberの3Dライブ、という身にとって、パフォーマンスする身体のために背景があるのではなく、背景と舞台上のオブジェクトを含めて構成される"画面"のために演者が奉仕する、という倒置は想像したこともなかった。舞台とはそういうことが出来るのだな。
 加えてスクリーンに投影された背景がとても雄弁だった。上手く言葉にすることが出来ないのだが、「演者のいる空間を指示する」という即物的な機能を担うのではなく、あらかじめ語りたいストーリーが用意されており、その語り手の「地の文」の視点からの情景描写を背景映像として作成し、その背景のコンテクストの上に三浦大知のパフォーマンスという文脈を重ねるような、極めて小説的な作りの背景演出だった。
 もう一つ、舞台上のオブジェクトと背景の関係性、リアルとバーチャルの往き来についても語りたい。舞台上のオブジェクトは舞台のオブジェクトとしてあり、それで用意できないものは背景映像で語る……という先入観を持って映像を見ていたのだが、終盤になったところでこの映像作品は全くそうではないことに気づかされた。
 序盤において、三浦大知が一曲パフォーマンスを終えた後、カメラが突然切り替わり、舞台正面ではなく斜め上からの角度に切り替わる。するとどうなるかというと、これまで正面から見ていて見えなかった映写機や照明装置がカメラに映り込み、これまで本物らしく見えていた窓枠のオブジェクトが、実はスクリーンに投影された平面でしかないことが露わになる。この時、これは一体何をしているのかと私は困惑したのだが、その後映像を見進めてゆき、終盤になったところでその答え合わせがなされた。映像で展開されるストーリーの締めに差し掛かり、三浦大知は序盤と同じ画面に戻ってくる。そこにはやはり窓枠があるのだが、三浦大知はその窓枠の後ろ側に立った。この窓枠が映像であればそんなことはありえない。光源は演者の正面にあるはずであり、スクリーンも同様である以上、位置関係からし三浦大知の身体から生じた影は窓枠の一部を影で消してしまうはずだからだ。つまり、窓枠は本物だった。驚く私の前で、答え合わせのようにカメラが切り替わり、天井から実在の窓枠が吊られている様子が映った。やられた、と思った。
 三浦大知自身がバーチャル化する瞬間について。映像を見進めていくと、舞台上に激しい雨が降り始める。そのうえで三浦大知がパフォーマンスを行うのだが、その身体が濡れている様子は全くないし、おかしなことに三浦大知が雨よりも舞台上で「奥」にいるように見える。これも面白い仕掛けで、そもそも舞台に雨は降っていない。スクリーン全面にまず激しい雨の映像を投影する。そして、その背景より一回り小さい画面サイズで三浦大知のパフォーマンス映像を重ねている。こうすることで、小さいものは遠くに見える単純な遠近法と、「画面において一番近くに見えるものが舞台上にあり、それより小さいものは映像である」という先入観を利用して、まるで舞台上に雨が降っているような演出を行っている。バーチャルというのは別に2次元素体を作ることではなく、あくまでも「リアル」に対する相対的な概念なのではないか……と思考を拡張してくれるいい表現だった。

読んだもの

 今日はなし。