雑記

__blurry_のおぼえがき

7/19~7/21

できたこと

  • 洗濯

こんなにたくさんいるのに たった一人走るのみ

 マラソン大会に出た。何年か前に上司に人数合わせに誘われたのが始まりで、それから毎年出ていたのだが、気がつけば上司は参加しなくなり、自分も異動して関わることもなくなり、今では単に惰性で参加を続けている。とはいえ運動は嫌いではなく、運動不足も解消したいし、(単なる人数合わせ役としてでも)社内に人間関係を作っておけるのは大きなメリットで、たまにはこういうのも悪くない。
 ミニステージの催しでニチアサ特撮番組のシンガーが歌ったりチアリーディングをしたりしていたのだが、そのステージのPAと会場全体のスピーカーで音が同期しておらず、キックだけが半拍遅れて鳴っているように聞こえて頭が変になりそうだった。ブレイクビーツが流れた時はビートがごちゃごちゃした上に幾重にもビートが重なってDJ Krushや不知火系の作品群っぽさもあってかっこよかったけれども。

解体失敗

 人と積んでいるゲームの話をしていて、『都市伝説解体センター』を途中でやめてしまったのを思い出した。SNS調査と称し、TwitterのようなSNSで炎上している投稿のリプライツリーを延々見るセクションがあるのだが、これが本当にしんどい。嫌なものを「嫌だな〜」と面白がれる性格ではないのでただただ匿名空間に氾濫する人の悪意でメンタルが削られていくし、書いてある内容もなまじ生々しいせいでSNSに馴染んだ身には何の新鮮味もなく、ただストーリーを進めるための不快な作業感が否めない。ブックマークに積み上げた伏せツイートを見る日も当分は来ないだろう。人々が話題にするあざジャスは見たいのだが……この作業に心が耐えられない。

DJ

 先日札幌市内で開催された電音研野外活動(VR圏音楽コミュニティのオフラインイベント。屋外バーベキューつきのクラブイベント)に参加した際、そこにいた方とお話していた流れでVRDJを勧められたのもあって、手元の機材の埃を払い、DJをちょっとだけ再開した。好きな曲と好きな曲を繋げようと遊んでいて、どう繋いだら綺麗に繋がるのか何も分かっていないことに気がつく。Rekordboxの使い方もよく分からないし、DDJ-400自体も全然上手く動かせない。何を始めるにも初めが一番苦しいということを思い出している。それにこの遊びをやっている最中は新譜チェックはできない。可処分時間は有限であり、覚えられる曲も有限である以上はどこかで腹を括ってリソースを振り分ける必要が出てくる。何かこれは時間を割くに足ると信じられる動機がないとこれは続けられないなと思った。何と言っても"表現して人にそれを見せたい"というモチベーションが全然ないので、何か自己満足的なロジックを用意しなければならない。

選挙

 参院選が終わった。北海道の当選者はいつも通りの面々で、参政党候補を輩出する事態は避けられたのでまあいいかなという感じ。
 選挙期間中に多く見かけた言説として、「『選挙に行こう、誰でもいいからいいなと思った人に入れよう』というフェーズはもう過ぎていて、参政党にだけは入れてはいけない」というものがあった。ちょっと都合が良すぎると思う。少なくとも自分は今まで自分で考えて票を入れることが大事だと信じてきたしそのように発信もしてきた。そもそも票を入れないことには何も始まらず、結果ろくでもない人が当選したとしても、当選者のダメさが露呈して候補者が考えを改めれば次回以降の選挙で修正が効くからである。そういった修正が効くことが民主主義の一つの良さではないだろうかと思う。
 しかしそういった議論のフェーズはもう過ぎているのだと言う。「良いと思った人に入れる」の例外を作るのだとして、それは今回限りなのだろうか。次回以降の選挙でも参政党は出馬するだろう。その時も同じことを唱えるのだとしたら、それ自体がもはや一般論ではなく党派的な色合いを帯びてくるし、放っておけば制限選挙的な発想を始める人まで出てくるだろう。むろん党派性を帯びることが悪いとは言わないが、誰に投票してもいいという原則は自分には崩せない。お願いベースとしては参政党はやめてほしいと言うまでがせいぜいだと思った。

対話

 Twitterのタイムラインにはリベラルないし左派的なアカウントのツイートが多く流れてくるのだが、その中には「参政党支持者の人とも対話したい」というものが散見されて、端的に言うと物事を簡単に考えすぎていると思った。最も身近な参政党支持者である母親のことが頭をよぎるからである。
 母親はかなり嫌な人で、学歴コンプレックスが激しく、自分は頭がいいと思っていて、夜職の人間を下に見、会話があまり成立せず、そもそも話題を人によって選べないため誰に対しても会うたびに同じことを繰り返し、黙っていれば何十分でも気持ちよさそうに喋り続け、外国人が嫌いで、約束を守れず、反省ということができず、人に何かを指摘されても同じことを繰り返し、人に対しては極めて無神経な割に自分が軽く何かを言われた時には途端に機嫌を損ね、実の母親を憎んでいて親戚一同の集いの場ですら敵愾心を剝き出しにして場の空気を壊し、こう言ってよければ血が繋がっていなければ到底関わり合いになりたい人間ではない。話せば癇癪が飛んでくるか聞いていない話を延々垂れ流すかで関わっていられないと思っているうちに母親はYouTube陰謀論動画にハマり、嬉々として私に世界の真実を語り出すようになった。自分で育て上げて国公立大学に突っ込んだ実の子供にまで学歴コンプレックスを発露し、大学でも教えてくれない本当のことを教える親という立場に酔い始めた。私はLINEをブロックした。
 「対話」という言葉を目にするたびにこういった母親の姿を思い出す。こんな人たちの集まりと対話なんか成立するのだろうか。対話が大事だという教条じたいには賛成するが、あまり簡単にそんなことが書かれているのを見るといら立ちが募ってくるというのも正直なところで、現実にやってみてほしいと思う。上手くいったらそのやり方ごと広めてほしい。私は嫌になったのでもう対話しようなどとは口にしたくない。

聴いたもの

Haniwa - 人で無い音。

https://booth.pm/ja/items/368682?srsltid=AfmBOoo1T7V70vtiuDm3qkAoZ817d5kLRB_BPDllsthOT3OIHcnJ7yP7

 「アメリカ民謡研究会」の名前で知られるボカロPHaniwaのアルバム。相互の方が「「VOCALOID」の脆弱性。」のリンクをツイートしていて、何とはなしにクリックしたらあまりのかっこよさに痺れてしまい、勧められるままにアルバムを購入した。

 The Raptureらディスコパンクやアルビニ周辺ポストハードコアの影響を強く感じさせるタイトかつミニマルな爆音に、初音ミクの半ばノイズめいた息遣いが二小節に一回のペースで重なってくるさまはダンサブルさと実験性と激情という音楽的エッジを完璧に併せ持っている。他の曲も合成音声の機械的な読み上げと爆音ポストハードコアサウンドで静と動のコントラストが立っていて聴きごたえがある。特に「四弦奏者のための、孤独の奏法。」なんかはギターよりもベースの音量が大きく、半ばロードローラーのような重圧で迫ってきてかっこいい……と思ったらすべてシンセとベースだけでできているらしかった。アメリカ民謡研究会と言えば近年のイーサリアルな電子音楽のイメージが強かったが、バンドサウンドを自分なりに突き詰めた先のアプローチとしてああいった方面に行ったというバックグラウンドを知るとまた印象が変わってくる。