できたこと
- 早起き
- ラジオ体操
- ランニング
- 出社
雑感
今日
出社して行う作業は私一人ではできないものなので、上司が出社する日だけ出社して作業をしている。のだが、今週の出社予定を聞きそびれていて、今日は上司が出社するのか分からず、「まあ二分の一なら来ない方に賭けよう」と決めて在宅にしたら裏目だった。考えれば中途採用の人が入ったばかりなのだから出社していて当然なのだが、私にはそういう推論をする能力がない。とりあえず楽な方にベットして出方を疑うという悪癖はいずれ大きな災いを呼び込む気がする。
そういうわけで昼から出社。とりあえず作業は進んだので良かった。意外と作業中はほっておかれるし、上司の人は視界にいるのでこちらに来そうだったら分かるので、意外とヘッドホンを付けていても咎められないのでは……?という気がし、実行に移した。イヤホンでなくヘッドホンというのは私が音質にこだわる性質だからではなくて、イヤホンをつけ続けていたら普通に外耳を傷めたからである。
上田麗奈さんのASMRを聴いていた。これ。
作品の感想としては、別にたいして良くない、の一言に尽きた。脚本には無理があって、上田麗奈さんの素敵な声と演技力で押し切ろうとしているのがあからさまに感じられる。物音ASMRにしても、いまいち音の選択がツボから外れているし、物音パートが脚本から浮いていて、しかもトランプをシャッフルするパートではカードをマイクに寄せすぎているせいで録音が歪んでおり、「耳元で鳴っている」という臨場感が完全に失われている。これだったらフィールドレコーディング系のエクスペリメンタルでも聴いていた方がよっぽど聴覚的に気持ちいいのでは……と思った。声がいい人を連れてきても、脚本と構成、音素材の選択で失敗してしまうのならば、結局はASMR配信を聴くのが一番いい、ということになってしまうのかもしれない。
ちなみに、上田麗奈さん演じるバーテンダーはマジシャンでもあるのだが、そのマジックを仕込んだのはトレーダーで稼いでいる女店長なのだという。正直なところそれが一番記憶に残っている。バーテンダーASMRでマジシャンって何?と当然不思議に思うのだが、上田麗奈さんの声でそう言われたら文句は言えない。
明日はサメのメン限歌枠があるようなのだが、そんな日に限って私は出社である。出社は悪。
選択と破断
ポリアモリーがどうあっても受け付けない。「恋愛関係が一人しか選べないというのは所与の公理ではなく単なるイデオロギーだ、複数人が互いに愛し合っていて何がおかしいのか」という視点はまっことその通りだと思うし、そうあった方が世界の幸福度は上がるだろうし、現実の人間とてそうあれば良いと思う。ポリアモリーに論理的・道徳的瑕疵は一切ない。しかし、そうであるゆえに、私はそれを物語で読みたいとは思わない。少なくとも"恋愛"としては。『ハスラーズ』のようにシスターフッドや友愛というのなら一向に構わないけれど。
というのは、一言で言えば私が別に「恋愛」に関心があるわけではないから、というのが答えになる。私が見たいものを見せる物語の原動力としてそういうラベルが存在することをありがたく思ってはいるが、それ以上の思い入れはない。スタァライトは好きだが舞台に関心はない。そういう感じ。
私がこと「恋愛」を主題とする作品に求めるのは排他的な選択である。「この人を選び、あの人は選ばない」という主体的な決断であり、視点を変えれば「あの人は選ばれ、私は選ばれなかった」という破断である。『クズの本懐』のえっちゃんであったり、最近では『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』の郡上先輩であったり。だから私はヒロインレースという言葉が好きでもある。恋愛をする相手は択一的である、という、前提を誤った悪趣味なゲームの比喩にふさわしく露悪的であるから。
私が見たいのは、人生に躓いた人間、選択されない側の人間である。人生に躓いたものの、恋と愛の力で過去のトラウマなり孤独なりが解消されてめでたしめでたし……という物語を読んでも共感ができないというか、共感以前にどうでもよくなってしまう。現実においても結句魔法のようにそれらを解決するのが恋愛であると言われても、恋愛至上主義の教条ですね、と思う。頑張っても頑張ってもけっきょく報われない、選ばれない、なんていうことはわざわざ言うまでもなくありふれているが、物語の世界においても同様にありふれていてほしい。ありふれているのだから、ありふれているなりにけろっと立ち直ってほしいし、そうできないならそうできない人を描く作品が読みたい。いっときの恋愛なんて人生の主題にもなんにもならないのだと、あるいはこんなにも悪趣味なのだと物語に示してほしい。『少女革命ウテナ』の有栖川樹璃とか、『割り切った関係ですから。』の持田と陽紀とか。
好きでないもののことを考えていたら本当に人生観になってしまった。そういうこともある。
ハウスミュージックの無時間性
ビートミュージックには時間の概念が希薄である。もちろん曲単位で見れば盛り上がりと締めくくりはあるのだが、それは言ってみればたまたまその長さなのであって、反復の回数を増減させることはとてもたやすい。それはハウスミュージックのシングルにおける(Extended Version)あるいは(Radio Edit)という言葉からも明らかだろう。
反対に、歌には明確に長さの上限がある。言語芸術として構築された詩は、新しく書いて歌わない限り絶対に伸びないし縮められないからだ。だからボーカルハウスやラップは時間の概念が比較的濃いと言える。
私がハウス/ディスコミュージックのミックスを愛するのはその無時間性による。これらの音楽は没頭して踊っていると、いつ楽曲が終わるのか構造的には見当がつかない。終わると思ったところで終わらないことがあるし、ずっと同じ反復であり、先が見えているからこそアイソレーターやEQの遊びが映える。何より四つ打ちという強力なビートがずっと底に敷かれているため、「このビートは永遠に終わらない」と思えてくる。「終わらないでくれ」ではなく、「本当に終わらないのではないか」と思えることが嬉しい。
良いツイート
いつもLINE即答してくれる友だちに「居酒屋やるならなんて店名にする?」と聞くと0.1秒で「ちから」と返ってきた
— トルク時枝 (@TOKIETORQUE) 2021年10月4日
— アルゴリ (@lovehahanohi) 2021年10月3日
全員からじんわり嫌われてると思って生きた方が距離感を間違えにくい という言葉を肝に銘じるたび、中学の頃世界史の先生が異動する時のスピーチで「私は友達が居ませんが…」と言っている横で世界史の先生が悲しそうな声で小さく「そんな……」と言っていたのが胸に引っかかる。
— n o t a (@nota_p_astrum) 2021年10月4日
愛知県や岐阜県などの町工場が、自社の技術を駆使し、いかに『くだらないもの』を作るかを競い合う大会が今年も開かれました。https://t.co/VHfotBRQZJ pic.twitter.com/symPyRZzfD
— メ~テレnews (@nagoyatv_news) 2021年10月4日
抱きしめられたら抱きしめかえす
— カラパイア (@karapaia) 2021年10月4日
最高にハッピーな倍返しpic.twitter.com/FmsWjmPMCQ
キリンジのエイリアンズの歌詞、「ご乱心 世界のようさ」だとずっと思ってたんですけど「ご覧 新世界のようさ」だと今日わかって信じられない気持ちでいます
— おかだきりん (@kirin_no_obake) 2021年10月4日
「Crazy world」の名訳だとずっと思っていたのに……。
共鳴してる…🐶🐱 pic.twitter.com/JOrY3LdjhU
— かもしか (@b09a2032c) 2021年9月27日
— まいにちめんだこ (@daily_mendako) 2021年10月2日
キリストバスマット、捨てにくいぜ pic.twitter.com/Af2Z321xnH
— ダ・ダ・恐山 (@d_d_osorezan) 2021年10月3日
資本主義と冒涜の合わせ技で声を上げて笑ってしまった。
聴いたもの
The Reflex - The Reflex [73 Tracks Bumper Pack]
昨日に引き続き。16~39番目のトラックまで。"Boogie Wonderland", "Once In A Lifetime", "All Along The Watchtower", "Dance To The Music", "Rock With You", "P.Y.T.", "September", "Light My Fire", "Thriller"とクラシックオブクラシックが目白押し。
好きなトラックは上記のほか"Copacabana"と"My Male Curiosity", "Express Yourself"。三曲目はN.W.A.の同タイトル曲のサンプルソースとして有名。
読んだもの
『酒と鬼は二合まで』の再読を始めた。