できたこと
- 洗濯
- ちゃんとした料理
雑感
出社
職場で音楽を聴くのをやんわりと咎められたので、昨日出社して働いた時間は全く音楽を聴かなかったのだが、帰宅してPCの前に座ってみると時間が経つごとに疲労感がどんどん増してきて身動きが取れなくなり、結局午前2時まで夜更かししてしまった。当然今日の進捗はろくなものではない。音楽を聴けないという状況がこんなに精神に響くとは思わなかった。
東西
長年それなりに良好な関係を続けているインターネットの知り合い(メインアカウントでは繋がっていない)がウエストランドの優勝に強い忌避感を示していたのを知り、M-1実況時の当時のツイートを見たら「M-1終わった」などの語調の強いツイートが並んでいたのだが、その中に「(ウエストランドの優勝を通じて)相互が信頼できることを再確認できた」というツイートがあってかなり落ち込んでしまった。自分がその場で言及していたらブロックされていたのだろうか。
同好の士で固まることはもちろん素晴らしいことである。私も同じものが好きな人と話をするのは大好きだし。しかし、今回のように好みが対立した時には反転して憎しみを向けられるかも分からないのであれば、やはり好きなものや信条だけで人間関係を築くのは考えものだなと感じてしまう。
VTuberアンチの友達とプロセカの大会見ててys_zが喋り出した時に友達が「絵が喋ってる」とか言い出したのが面白すぎて笑ってしまった。
— 栞にフィットする角 (@__Blurry_) November 27, 2022
この友達は、元々友達の友達くらいの距離感で高校三年間を通じて一度も会話しなかったのだが、大学に入ってからなぜか突然仲良くなって頻繁に映画や食事や外出、果ては旅行にまで誘うようになった。8年経った今でも私と好みは(「インドカレーが好き」を除いて)あらゆる点において噛み合っていないし、考え方も全然異なっている。だから私が好きなVTuberに悪口を言い出しても「こいつはそういうやつだから」で笑って受け流せるし、それは向こうも同じことだろう。これは連帯でもなければ強い友情でもない。それでも、そういう緩さが貴く感じられることもあるのだなと思った。
追記:改めてウエストランドのネタを見直したが、そんなに言うほど「人を傷つける笑い」ではないと思う。井口から発される全ての偏見はノータイムで河本に否定されているし、河本もそこで客側に目配せをするような妥協した物言いなど決してしない。第一あのやかましく"耳障りな"トーンは、見れば見るほどに相手にする価値を感じなくなって面白さだけが残っていく。私はあの場で槍玉に挙げられたもののいくつか("他人の曲を我が物顔で歌う痛い奴"とか)は好きだが、それでもそう思う。この小男はそれぞれに対して悪意があるのではなく、何でもいいから悪口を言いたいだけだなと。
聴いたもの
他人の曲を我が物顔で歌う痛い奴らのここ二週間のハイライト。
meaさんの初恋日記は3週間前だが、あまりに良いし見過ごされていると思ったのでわがままを通した。