雑記

__blurry_のおぼえがき

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できたこと

雑感

今日

 会社の夏休みの最終日だった。まあ研修中だし明日はテレワークなので特段感情が動くわけでもないのだが……。
 さておき今日は家族で買い物に出かけたのち喫茶店に出かけた。「できたこと」に読書と書いたが、読書が偉いというより「非インターネットの時間を持つこと」が偉い。『デジタル・ミニマリスト』にこういうことは書いていないだろうか。読むつもりもないが……。
 勉強もそこそこに李良枝『由煕 ナビ・タリョン』に手を付けた。互いに憎み合い慰謝料を巡って係争中の両親の間で苦しむ子供たちの話……のようだが序盤なのでまだよく分からない。この父親というのが朝鮮人差別(妻が朝鮮人らしい)にミソジニーを抱えた凄まじい男で、この男から語り手の娘も何らかの迫害を受けていたことが伺える。家庭環境が完全に終わっていて女が男に虐げられている文芸を読むと"嬉しい"と感じる脳の部位があり、そこが強く反応しているのでこの先が楽しみ。"勝利"するような物語ではけして満たされない渇きがある。

𝑤𝑖(𝑙)𝑑-𝑠𝑐𝑟𝑒𝑒𝑛 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲:わがままハイウェイ:その他

 レヴュー曲を聴き直していていくつか発見があったのでまとめておく。

  • 『美しき人 或いは其れは』の途中に『展覧会の絵』のプロムナードの変奏が登場することにようやく気が付いた。途中で印象派のような旋律が登場したのは、絵画の印象派ドビュッシーラヴェルの属する印象派を想起させるためだろうか。
  • 『MEDAL SUZDAL PANIC◎〇●』の「私本当は大嫌いだった あなたが×∞」は「あなたが本当は大嫌いだった」だけではなく「(あなたが)そんなふうで大丈夫かなあ」に繋がっていて、「そんなんじゃ(華恋を)任せられないなあ」への布石となっている。要するに「大嫌いだった」というのは半分は本心でも半分は演技であったし、まひる→華恋の執着は完全に吹っ切れて「任せる」つもりであったことが読み取れる。
  • 余談だが、露崎まひるさんの感情表現としてサーフロックのスプリングリバーブがかかった凄まじく太いギターの音、やダブの太い低音が用いられていることが嬉しい。
  • 余談2。昨日TBHのライブを見たばかりなので、The Beatles『A Day In The Life』オマージュの箇所を聴くたびにその箇所で曲が終わるような気がしてくる。

『𝑤𝑖(𝑙)𝑑-𝑠𝑐𝑟𝑒𝑒𝑛 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲』と『わがままハイウェイ』について

 『𝑤𝑖(𝑙)𝑑-𝑠𝑐𝑟𝑒𝑒𝑛 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲』にボレロのモチーフが頻繁に登場することに今日ようやく自分で気が付いた。ボレロの特徴はミニマルな無調の音楽であることで、前者に関しては、ボレロのスネアのリズムがピアノやスネアに用いられていることが指摘され、後者に関しても、楽曲がおおむねCコードで進行することをもって指摘できると思う。できないかもしれない。
 レヴュー楽曲のコードの変化は演者の感情の動きを表すものではないかということを今日は考えていた。対話が成立せず感情の変化もない『𝑤𝑖(𝑙)𝑑-𝑠𝑐𝑟𝑒𝑒𝑛 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲』が淡々としている(おまけにボーカルも1オクターブしか使っていない)のはそういうことである。『わがままハイウェイ』においても同じことが言えると思うので以下に書く。
 『わがままハイウェイ』はしばしばイントロのインパクトが面白いと言われがちだが、あれは面白いにしても強烈にエモーショナルで、音楽的には百点満点の様式美で構成されていると思う。楽曲展開としても展開こそめまぐるしいが各部は浪花節的に情感豊かで、互いの感情が汲み取れるようになっている。それは二者の対話が行われているからであり、それを表すようにボーカルもずっと掛け合いというか、"コール・アンド・レスポンス"、まさしく呼びかけと応答を繰り返している。
 変化が訪れるのはムーディジャズの(セクシー本堂)パートが終了した次である。ホーンセクションとベースによるモチーフのユニゾンが図太く流れ、ディスコ(清水の舞台)パートの幕開けとなる。個人的にはこのパートだけ明らかにアレンジが不足していると感じた。個人的な感覚で言えば、あのフレーズはただユニゾンしても別にかっこよくない。そしてその"物足りなさ"は楽曲展開において、二人の感情の流れにおいて意図的されたものではないか、という考えに至った。
 ここでエモーショナルなストリングスやギターのコード無しのユニゾンが入る理由は、もちろん新しいモチーフの提示であるが、新しい舞台への移行という役割も担っている。しかし二人の対話は全く不十分であり、その不十分さを表すため、あえてここでは物足りないようにコードなしのユニゾンを配置しているのだろう。そうでなければその直後にエモーションの欠落を取り返すように『『飽きたわ』』から始まる印象的なメロディとハーモニーを配置したりはしない。
 そしてレヴューのクライマックス、二人が清水の舞台から飛び降りるシークエンスに至ったところで、楽曲のクライマックスとなる『まるで流れ星のような二人だねと まぶしくて まぶしくて』のメロディが登場する。ここで清水パートのモチーフはストリングスのフレーズに導かれるように現れ、ユニゾンにはフルートが加わり、ベースはユニゾンを離れて「これが正解でした」と言わんばかりにコードを提示する。二人の対話が進展した(双葉さんがわがままの横車を押し始めた)ここにおいてようやくモチーフの真の姿が提示され、観客の"物足りなさ"がカタルシスに昇華される。
 トータルで良い曲だとは思っていたものの、やはりユニゾンパートの寒さがずっと引っかかっていたのだが、この設計に気が付いてからは『わがままハイウェイ』をもっと好きになった。キャラクターの感情の流れを表現するのは歌劇として当然としても、「対話の足りなさ」を自然に音楽として組み込んでいるということが本当にすごい。

他者を損なう質問

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松田:うーん、それを言わせたら負けやんな。だからやっぱり、ほんまもんのキッズの好奇心で聞かなあかんで。こいつは自分のの何かを損なおうとしているって思われたらあかんわけやん。

 最近ずっとcommmon roomの話ばかりしているのだが、この一文で膝を叩いた。
 この記事の内容はそれ自体が面白いのだが、私が面白いと思ったのは、この一文に内包されている「質問は答えを求めるためのものが全てではなく、ただ他者を損なうためにだけ発せられるものもある」という考え方である。
 生きていると「どうしてそんな質問をするんだろう」「質問の意図を聞いたのにどうして取ってつけたような答えが出てくるんだろう」と不思議に思いつつ、それでもなんとなく不愉快な気持ちになることがあるのだが、それは「こいつは私の何かを損なおうとしているのだ」と無意識に感じていたかららしい。Twitterのバズツイにぶら下がるろくでもない質問が不愉快なのもそういった理由だろう。なんとなく後ろ暗い意図が見えて不愉快だと感じるが、表面上は何気なさを装っているものに対して上手く受け身を取れないでいたのだが、それが何なのかこの文でようやく分かった気がする。
 さておき、この世には言語化されることで検討が可能になった概念がたくさんあると思う。「壁になりたい」という言葉が膾炙することで、作品を鑑賞する際の作品世界と自我の望ましい距離感に思いを馳せることが出来るようになったし、「クレイジーサイコレズ」という言葉があることで、少なくとも女が女に対して激しい感情を抱きうるという世界の在りようが知られるようになった。「限界オタク」、「祈り」、あるいは「てぇてぇ」でもなんでもいいが、振り返ればもう手垢の付きすぎた言葉とはいえ、何かを考える際の尺度としてそれらは充分に機能したと思う。
 当然、概念というものは一語に収まらない複雑さを持つものであるし、そうでないとしても世界はどんどん拡張していく。対象の複雑さや多様さが既存の言葉で捉えきれなくなった、あるいは使用感としてしっくりこないと思ったら使うのを辞めればいい。もっと正確な言葉を探すか、そもそも一語で語るのをやめて上手くとらえ込めるような言葉の網を自作すればいい。この「言葉の網でとらえ込む」というのも黒田夏子先生の芥川賞受賞インタビューの言葉を引いてきたものである。

youtu.be

ibarakinews.jp

7歳の時に感銘を受けた北原白秋の童謡が自分の原点と話し、「形にならないものを言葉で表現する、言葉の器で捉え込むことにずっと興味を持ってきた」という。

良いツイート

聴いたもの

Alan Dixon - I'm OK, You're OK (We'll Be OK)

 デトロイトテクノの名手Alan Dixonの新譜。今回はレイヴ・トランスを志向しつつもキックやシンセの質感は現代的に洗練されており、聴いていて涼しいという感覚がある。ハイライトはやはり一曲目の"I'm OK, You're OK (We'll Be OK)"。よく聴くレイヴっぽいボーカルサンプル(ずっと気になっているがわからない)にFrench Kiss風のシンセとアシッドベースが乗っかる、ハウシーなビートも合わせて全ての要素が高揚感を煽ってくる曲。買う。

On My Ones - BRING DA NOISE

 Public Enemyの"Bring The Noise"をサブベースの効いたUKGでリミックスしたEP。最高。他に言うことはない。買う。

Paul Johnson - Feel The Music

 先日死去したプロデューサーPaul Johnsonの代表作(らしい)。らしいというのはこの人の音源を一つも聞いたことがないからなのだが、聴いてみるとディスコの猥雑なエナジーやファンキーさをハウス的に解釈していて、とにかく肉体を揺さぶる力がすごい。この人にダンスミュージックの快楽を教わったという人も多いらしい。フィルターハウス/フレンチタッチ/サンプリングハウスの代名詞Daft Punkの先駆だという声もある。亡くなってしまったことは残念だが、いい音源がたくさんありそうなのでいろいろ聴いてみようと思う。

読んだもの

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中垣:そうやんね。だから…例えば新しい商品が出たときに、人はそれによって新しい感覚を見つけるわけやん。「こんなのもいいと思えるんだ」って。

松田:うんうん。

中垣:本当はそれこそがイノベーティブなものなんだけれど、そうやって生まれた新しい感覚にぴったりとはまるようにのみ提供されるものもあって、その感じが流動食ってことやんね。

松田:そうやんな、ほんま極悪やで。

中垣:だから…バルミューダやね。

松田:笑

みなと:あー、なるほどね笑

中垣:バルミューダが気持ち悪いのはあれが流動食的やからやねん。あれの良さは既に知ってたし、誰もが確実に良いと思えるねん。でもあれは、新しいものは何も生み出してない。

松田:これははまったね、ドストライクですよ。

中垣:いやー、5年分くらい溜まってたバルミューダが嫌いな感覚を言葉にできてすっきりした。

みなと:笑

中垣:でもそういうのって結構いっぱいある気がするよね。

松田:それこそ、既に開拓された価値観にはまるようにのみ設計されているものとして流動食的なるものを定義したらね、そらもうなんぼでもあるよ。

中垣:もちろんさ、ちょっとずらしていく感じとかなら、それはそれで良いと思うねん。新しく生まれた感覚からちょっとずらして「これもいけるでしょ?」みたいなやつ。

松田:うんうん。

中垣:なんだけど、それすらないものも多いよね。

みなと:まあそうだよね。

 そういうものに多くの心当たりがある。

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