雑記

__blurry_のおぼえがき

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できたこと

  • 早起き
  • ラジオ体操
  • サーキュレーターを買う

雑感

ランニング、日記、日々にあらがうこと

 昨日は重心を片足に寄せると鋭い痛みが走り、今日は明らかにふくらはぎに痛みがあったので、大事をとってランニングを休んだ。別に休んだところで死ぬわけでもない。
 自分にとってはランニングも、この日記も、とにかく「今日一日で何かを成した」というスタンプカードを押すための行為という一面を持つ。ただ押し寄せてくる日常に喘いでいるだけではなく、自分の意思で何かを成し、自分の意思がここにあるぞと自分で信じるために、自由意志に基づいて何かをする必要があり、今の私にとってはそれがランニングや日記という形を取っている。だから、「今日はランニングを休む」という判断を下すことは、何かに敗北を喫するようで、少なくとも私には小さな屈辱である。
 しかし、成功体験というのは何でもいいのだ、と気が付いたことで、ふっと気が楽になった。今日は私はサーキュレーターを買ってきた。朝は早く起きたしラジオ体操もした。スタンプなら3つも押している。そのうえ日記まで書いている。そういうわけで、一個くらい休んでも今日という日には70点くらい付くだろう。日記は休んでもいい。ランニングを休んでもいい。とにかく自分がその日を生きたと思えるのなら。

サーキュレーター

 昨夜があまりに寝苦しく(九州育ちの父親でさえ音を上げていた)、これでは死んでしまうと思ったので今日の仕事終わりに無印良品に寄って買った。まだ効果のほどはわからないが、さっそく窓の外に向かって猛烈に空気を吹き出してもらっている。冷房のない私の部屋を救ってくれ。

虚構について

 VTuberのボイス販売という概念が一体何なのかよく分からなくなった。
 VTuberがアニメキャラクターと違うのは内部に人間がいることである。フィクションでも人間であるという信仰があるのは知っているが、これはそういう話ではないのでこれ以上は突っ込まない。
 私がVTuberに対して好ましく思うのは、その人が二次元の容姿を持ちつつも、作品世界や脚本といったものに動かされず、自分の生を生きているからである。要は生きているアニメキャラクターということ。生きているので芝居がかった言葉遣いなどしないし、ただ自然に吐き出す言葉が、時には外見のイメージ、あるいはパブリックイメージを破壊するところまで含めて「その人らしさ」を形作る。こちらに語りかけているようでも必ずしも好意的とは限らない。コラボ配信などではオーディエンスが完全に無視されることすらある。これが極まると御伽原江良さんのようになる。
 それではボイスとは一体?脚本を書き、スタジオに入り、その人のパブリックイメージ"らしさ"を録音物としてパッケージした「ボイス」は、その人の自然な「ボイス」ではない。本人による二次創作である。アニメキャラクターへの先祖返りであり、そのうえ我々リスナーの方を向いたリスナーたちに都合よく働きかけてきてくれるシチュエーションであり、VTuberの、配信者の魅力の放棄であるように感じる。
 ……などとぼやいてみたものの、ボイスに文句があるわけでは全くない。先ほど述べた通りにこれは声優としての二次創作なのだろう。その人にそっくりな声を持つ誰かによる二次創作、あるいは自己の"解釈ツイート"の音声版。決して有象無象のお前たちにこんなことはしないと分かりながら、ファンサービスとして、あるいは収入源として、ボイスをファンに向けて販売する。私はせめてそれが自分の身を売るようなものでないこと、過度に自己を客体化するものでないことを祈るばかりである。

言葉と党派性

 Twitterアカウントの言葉遣いを見れば、その人がTwitterにおいてどの集団に属しているか/属したいのかが何となく見える。Twitch民と言われる集団などがその例だろう。
 私はそうやって言葉遣いで何かに所属することがとても苦手である。借り物の言葉遣いで何らかの党派に属したつもりになるというのがいやだし、第一自分の身から出てきたわけでもない言葉を使っていると気持ち悪くなってくる。それを繰り返していけば自分の内面がいつか完全に失われるだろう。私の中身がどんなにしょうもないとしても、せめて私は私のままでいたい。何かに自我を明け渡してしまうのではなく。
 何の話かというと、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の略称としての「劇ァ」になんとなく馴染めなかったというだけである。これまでも同じようなことは何度もあって、日記という場所を得たことでようやく書く機会を得た。
 余談:ダ・ヴィンチ・恐山が創設したDiscordサーバーでは、匿名空間のノリを保つためなのか、基本的に個人を個人と認識して会話することが禁じられているのだが、それでも特定個人に話しかけたいときはルール違反への自覚を表明するため、文末に(小錦)とつけるらしい。個を認識=こをにんしき=こにしき=小錦。コミュニティというのはどうやってもその空間の色が生じてしまうのだなと面白い気持ちになった。HNが存在する空間で個人に話しかけてはいけないなどというルールも相当に無理があると思うが……。

良いツイート

聴いたもの

 書こうと思ったが11時近くなってしまったので今日は詳しくは書かない。
 劇場版スタァライトのアルバムを聴いた。レヴュー曲が目玉ではあるが、それ以外の劇伴もちゃんと良い曲がそろっている。「蝶の舞う庭」「child stars」「ki-ringtrain」「世界は私たちの…」の流れが凄すぎる。突然80'sショッピングモールになる「約束タワー ~echo~」も好き。

読んだもの

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