雑記

__blurry_のおぼえがき

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出来たこと

  • 早起き
  • ラジオ体操
  • ランニング
    今日は走っている時脚の筋肉が妙にこわばった感じがあった。こういう日は時々訪れる。走る前に体操をしないせいかもしれない。

雑感

血糖値について

 昼食を食べる時、いつも全く同じものしか食べていないのに今日は全然おいしくない、と感じる日があるのだけれど、それはどうやら野菜ジュースを午前中に摂りすぎた日だということに気がついた。野菜ジュースと聞けば健康そうだが、私の飲んでいる野菜生活はどろどろした感じの一切ない、単なる甘い飲み物である。これを健康にいいと言い聞かせながら飲んでいるわけだが、甘いのだから当然飲めば血糖値が上がり、満腹中枢が刺激されるわけだ。
 考えてみれば当たり前、みたいなことに気がつく瞬間はとても嬉しい。不可解な物事にちゃんとした理由がつくことのうれしさであり、少しでも自分の頭で考えて結論に辿り着けたことのうれしさでもある。どんなに当たり前のことでも、一生気がつかずに終わるよりはずっといい。

大雨

 大雨が降った。雨が降ると凉を取りに喜び勇んで窓を開けるのだが、雨が降っている中窓を開けると床が濡れるという基本的なことを忘れていて、窓の近くがべちゃべちゃになった。網戸は閉めているし庇もあるのだからなんとかなると思ったのだけれど。網戸では雨風はしのげないらしい。天からふるものをしのぐためには屋根があるだけでは足りない。

天からふるものをしのぐどうぐが,ぜんぶひらいたのやなかばひらいたのや色がらさまざまにつるしかざられて,つぎつぎと打ちあげられては中ぞらにこごりたまってしまった花火のようといえば後年の見とりかたで,身がるげに咲きかさなるものの群れを視野いっぱいに見あげていた幼児はまだ打ちあげ花火をあおいだことがなかったし,傘というものの必要性も売り買いということのしくみもいっこうかんがえたことがなかった.
(中略)
 天からふるものをしのぐための,はるかに大きなもの,つまりは住むところをえらばせられたとき,もしくは見せかけだけえらぶ自由をちらつかせられたとき,まさにそのうえはないほど多くの未定をかかえこんでいた未成年は,たしかに背たけはほぼ伸びおえて,あまりふいうちでないことになら待たれているのとはちがう反応をかえす気力も即答をかわすちえもついてきてはいたのだが,いっしゅんにことの重さとややこしさに絶望してしまい,半ぶんの背たけだったときとおなじ投げやりのうつろに,飛びさるものたちのつばさのおとを聴いていた.(『abさんご』<暗い買いもの>)

この文章の「傘」を言い換えた言葉として「天からふるものをしのぐどうぐ」という部分だけ抜粋されることはままあるが、それは「住むところ」すなわち家にスケールを広げるための布石であるので、この作品の特異性を言い表すにはあまりに雑な引用だと感じる。むしろこの傘が直後に「身がるげに咲きかさなるもの」と言い換えられていることや、「幼児」と同じ主体が別パラグラフでは「未成年」と説明なく言い換えられていることの方がずっと面白い。何が言いたいかというと、人やものを指す言葉一つ一つに人間の認識や流れ続ける時間が深い根を張っているということで、言い換えれば認識と時間の流れというテーマが先にあって、そこから人や物を言い表す言葉が導出されている。そこにこの作品の偏執的なこだわりがある。

Vについて

 VTuberはざっくり言えば2Dliveあるいは3Dモデルが動いている配信者のことであるが(ここでは厳密な定義には立ち入らない)、このところ「中には誰もいない」という信仰からはほとんど離れてしまっている。
 というのは別にアンチに回ったとかではなく、単に別名義とか、生身の姿とかが否が応でも目に入るようになってきたからだ。個別の配信者について具体例は挙げないが、Vへの信仰が崩れてしまった決定的なきっかけは、ホロライブ所属ライバーの生身の身体の動画をアップロードし続けているアカウントがこのところYouTubeのトップにサジェストされ続けていることだった。動画を見なくても、サムネイルに生身の人間が写っていたり、その上動画タイトルにライバーの名前が記載されているのを見てしまえば、もうその名前と顔は強く紐づいてしまう。「中に誰もいない」信仰からその一人だけ外すということにはならない。総崩れ的に「中には人がいる」ということを認めないわけにはいかなくなってしまった。
 だからといって、その人たちを応援しなくなるということは全くない。外貌がどうあろうと声は変わらず素敵なのであるし、別名義や実体の存在を受け入れた上で配信を見ているフォロイーも数多くいて、その一人に加わるだけという考え方もある。ただそこに「何か」の質感が乗る、というだけで。

良いツイート

聴いたもの

DUSTCELL - 独白

 Dustcell新曲。ダークなトラップからサビで一気に四つ打ちのエモーショナルなロックチューンにシフトし、そこからラップも歌もトラックも全部エモーショナルになる。二番Aメロのロマン派的なコード感がローファイヒップホップにも繋がる感じがあっていい。ロック部分はまあそんなに好みでもないけど、夏といえば確かにそうかもしれない。カンザキイオリの影響のでかさを感じる。

Takanashi Kiara - グッバイ宣言(cover)

 Hololive ENの不死鳥アイドル戦士小鳥遊キアラさんのカバー。キアラさんの歌声には強い張りがあり、ホーンセクションのように高らかに響く。Hololive ENの中では一番オーソドックスなアイドルらしい華がある。アイドルを自称するだけのことはある。
 しかし、この動画はなんといってもサビの振り付けがすごい。グッバイ宣言はTiktokで流行っているらしく、すでに定型のダンスがあるのだが、キアラさんは自前で振付師を雇って、しかもそれをアニメーションに起こしてMVを作った。これは先日のGuraさんが一枚絵で曲を出したこととは真逆のスタンスが取られている。すなわちキアラさんが目指すのは「歌って踊れるアイドル」なのだろう。3D身体を手に入れるまで待たない、ダンスを見せたい、私が可愛く踊る姿を見せたいという強い意志の力がここにはある。

稲葉曇 - レイニーブーツ(Vo. 歌愛ユキ)

 今日の本命。ディスコパンクさえちらつく攻撃的なダンスビート、歌愛ユキの冷たい歌声、耳にこびりつくサビの「レイニーブーツ」のオクターブ。サビ前のユニゾンフィルインが良すぎて声が出る。もちろん、ぬくぬくにぎりめし先生のかわいいMV。
 「ラグトレイン」と同じ路線を取らず、あの曲で低体温に抑えていたものを攻撃性に回し、リズムのアプローチを変えつつも、歌愛ユキの冷たい歌声は譲らないところに強い美学を感じる。稲葉曇の次のアルバムが楽しみでならない。

読んだもの

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