雑記

__blurry_のおぼえがき

3/25~4/3

できたこと

  • 運動
  • 洗濯
  • 料理

雑感

 日付ごとに。書こうと思った日だけなので急に日付が飛んでいる。

3/25

起床即料理

 起きた瞬間に厨房に立って回鍋肉を作った。春キャベツをひと玉まるごと。在宅勤務はこんなこともできてしまう。

4/1

エイプリルフール

 エイプリルフールの日だったが単純に音楽聴いたり仕事したりで忙しくて全く追えなかった。自分もアイコンやHNをいじって遊ぼうかとも考えたが、変えるたびに審査があるとか戻せなくなったとかの噂を聞くとそんな気も失せてしまう。綺沙良さんの小児化配信(小児から元に戻った途端コメント欄に「戻して」と言われ、疲れ気味の低い声で「はあ~~~~~~~???」とぶち切れている)と輪廻さんのTS配信(一人称「ぼく」の妙に隙のある喋り方のせいで普段より数十倍コメント欄がねとついていて、読み上げるたびに本気で気持ち悪がっている)が良かった。

生活

 社会人スポーツクラブの日なので定時で終業して夕飯を食べ終え、今日もがんばるぞと意気揚々と出発したのだが、最寄り駅についたところで今日の会場が普段と違うことに気が付く。アクセスを調べたら現在地から一時間。これは無理だと諦め、そのまま帰宅するのもつまらないので、切らしていた煙草を買いにすすきのへ。モモヤでガラムとビリガー・エクスポートを購入。クレジット決済用の端末が置いてあるので「クレジットで」と言ったところ「現金のみなんです」との返答。これ前もその前もやったな……と思い出しつつ、自分が悪いとはどうしても思えない。
 ついでに食材を買いにココノススキノ地下のダイイチへ。春キャベツが出回っていると読んだが置いておらず、回鍋肉用の豚バラを買う。250グラムのパックが欲しかったのだが150か200しかない。意味もなくちょっと高級な肉を買ってしまった。飲み物コーナーを見ていたらコアップガラナに遭遇し、テンションが上がった。三本購入。もう販売されていないものかと思っていたが、こんなところで生き残っていたとは……。

4/2

生活

 新年度に入り別部署への異動となったが、組織再編で混乱していてやることがない。上司と軽く話をしてドキュメントをぼんやり読みながら音楽を聴いていたら一日が終わった。
 都市伝説解体センターを2話完了まで進める。Twitterの邪悪な言及を何個も読まされるのがとにかくメンタルに良くない。後なんか全体的に人間が単純化されているというか、正直どうなんだと思ってしまうようなキャラクター造形も目立っている。ジャスミンのメロさと目を白黒させるあざみーのためだけにゲームを進めていると言っても過言ではない。最後がすごいらしいのでちゃんとプレイはする予定。
 知人と音楽の話なんかをする。新譜はちゃんとチェックしているはずなのに最近熱かったアルバムがとんと思い浮かばず、旧譜や興味の出てきたジャンルの話ばかりが弾んでいく。2025年の音楽はどうにもフィット感がないし、どのシーンを見ても面白いナラティブがない。この気分は今年に限ったことではなく、2024年からずっとそうで、おそらくは今後も続くだろうと思う。新譜ばっかり追ってないで旧譜を掘りたい気持ちもここから来ているのだろう。後はレコード店の入荷や、初めてサードイアーで買い物をした話など。ずっと気になっていた音楽作品がオメガポイントに入荷していたので即購入。このところお金を使いすぎていて来月の支払いも物凄いことになっているのに、音楽を買うのが辞められない。病気の気配がある。
 クックドゥの極 麻辣回鍋肉を作る(深夜一時に)。極麻婆豆腐のクオリティが他の麻婆豆腐の素を圧倒しているのでこちらにも期待していたのだが、どうも甘辛風味に寄せているせいか期待していた"麻辣"感とは遠い、微妙な味だった。辛めの町中華という感じ。昨日買った高めの肉は厚みがあって確かにおいしかった。
 たまには保守でもやるかと思い立ってJudee SillとTelevisionを聴く。Judee Sillはアコギのプレイが繊細でかつオーケストラのアレンジもクラシック要素が強く、意外と悪くないなと思った。Televisionは上手いのか下手なのか微妙に分からない塩梅で良かった。

4/3

 今日もうとうとしながらドキュメントを読んでいた。正直システムを触っていないので全然頭に入らない。
 回鍋肉に創味シャンタンとウスターソースを足してみるが味はさほど変わらず。元が甘いのだからどうにもならないのかもしれない。残念。
 適当に手持ちの音楽を見ていて目についたUlla"Limitless Frame"と"Foam"なんかを聴き直す。何が良いのか全然掴めていないのだが、音楽の断片が漂うコラージュ的な作品で、アンビエントというよりノンビート作品なのかもしれない。最近は「音楽っぽくなさ」への関心が強まっていて、そういう気分にマッチしつつそうでもないような、どうにも自分のものになりきらないところにUllaの音楽はふらふらと漂っている。良く分からない音楽であるとしても、やはり買っておいたのは正解だったとは間違いなく言える。

www.ele-king.net

食べ盛り2

 コンサータを飲み始めてから、飲んでいない日の食欲が亢進している気がする。特に夕飯は食べても食べてもまだ食べたくなる。今日は米と回鍋肉にビール1缶までしっかりやった後に冷凍のグラタンとじゃがりこまで食べた(じゃがりこって食べるたびに「こんなもんだっけ?」と釈然としなさが残る。もう食べない)。30は近い。その時どんな太り方をしているのか考えると不安で仕方ない。コンサータを飲んだ日は昼食がまるで口に入らないのでバランスが取れている……などということはきっとないだろう。

ミニ・スラムツーリズム

www.anzen.mofa.go.jp

 外務省が出している危険地域の解説を読むのが面白く、昨日はそればかりずっと読んでいた。ハイチがどうも凄いことになっていると聞いて調べ始めたのがきっかけだったのだが、想像していたよりずっと凄かった。2021年に大統領が暗殺され、上院下院は解散状態、暫定政府は存在するもののギャングが略奪・破壊・虐殺行為を働いていてインフラもまともに機能していない。こういったまともな統治がなされていない国家のことを俗に失敗国家と言うらしい。スラムツーリズム的なものを感じて若干後ろめたくはあったが……別にスラムツーリズムではないと言えばそれはそうではある。単に趣味が悪い。

生活マン

「生活マン」という漫画が流行っている。アルバイトで生計を立てる薄給の正義のヒーローの、日々の小さなモヤモヤや正義にフォーカスした作品で、よく知らないうちにみんな言及するようになっていたので自分も読み始めた(とは言ってもTwitter連載漫画だし序盤を読み返すほどの関心はない)。味のある絵と妙に生活のディテールを掘り下げたナレーションが魅力で、読むたびに小さな感動がある。
 15話はおそらく親に誘われて食事に行った時のエピソードだが(生活マンの親って何?)、自分も月1くらいで親に食事に誘われて食事に行き、毎回向こうに払ってもらいつつ同じようなモヤモヤを抱えていたのでかなり共感してしまった。向こうからすれば自分と単に食事をしたいのではなく、おそらくはお金を払って良いものを食べさせたいのだろうと想像がつくし、逆に自分がお金を出したら向こうが逆に気を遣って誘いづらくなるかもしれない。別に親孝行していないわけではないし(誘われれば予定は優先的に空けておくし、父の日・母の日・誕生日・クリスマスプレゼントは毎年欠かさず用意している)、「親」にとっての「子」として甘えるのも一つの親孝行だと思ってありがたく食べるのも大事なことだろう。

Twitter連載漫画

 わざわざフォローして毎話追ってというほどではないものの、「隣の席の陰キャ、」から始まる連作1ページ百合漫画が面白くてチェックしている(フォローしなくてもおすすめ欄に出てくるのでそれで済ませている)。もっちがかわいい。しばらく前のタイトルで「隣の席の陰キャ、平常心を保っていても子宮は嘘つけない~!♡」というものがあって明らかに異様だったが、あれは何だったんだろう("子宮"とかいう概念が膾炙したのがそもそも怖い)。

聴いたもの

Theo Parrish - DJ-Kicks

 デトロイトの重鎮Theo Parrishミックス。デトロイトの音楽オンリーで選曲されたものらしく、Theo Parrish印のフュージョン・ジャズ・ヒップホップ・ソウルがミックスされた艶やかかつアブストラクトなサウンドが心地よかった。先に挙げたジャンルは10年代の「グッドミュージック」の代表例として挙げられるようなものではあるが、その中には安易な言葉では括れない多様さがある。伝統の中の豊かさを提示した傑作ミックス。

0N4B - Somewhere, left behind

 OnsyとAbadirのユニット0N4Bのアルバム。聴き心地のいいグリッチアンビエントエレクトロニカ。Onsyと言えばDeconstructed Club的なビートの断片や金属質な音色が漂う"MetaConc"だが、こちらもゆったり聴けるサウンドで悪くない。内容の割に過小評価気味。

Mitchell Keaney - On a Grain of Rice

 ポルトガルの前衛レーベルからの一作。コラージュ要素の強いノイズ作品で、ずっと心地いい音がしている。フィールドレコーディングや電磁ノイズなど、即物的な物音や物理現象の録音であっても、"音楽的な響き"の拒絶の仕方が優れていて、その人の美意識を音で提示するという点においては極めて美しい"音楽"に感じられる。こういった逆説は単にその通りの認識でしかないのだが、人に話しても逆張りと思われそうだな……などと要らない心配をしてしまったりする。

Whatever The Weather - Whatever The Weather II

 Loraine Jamesの別名義の最新作。グリッチやクリックなど池田亮司的なアブストラクトな色を強めたエレクトロニカで、ただただ聴いていて心地がいい。

Rolf Julius - Lullaby for the Fishes

 数年前に相互から教えてもらった作品。俗に言う音響彫刻作品で、何か振り子でも揺れているかのように左右のチャンネルを不穏な音が動き回っているのが何とも心地いい。こういった未知の空間に連れ出してくれるのが音響彫刻のいいところ。

Francesco Fabris & Ben Frost - Vakning

 アンビエントレーベルRoom40からの2023年作。Ben FrostとFrancesco Fabrisなる人物がアイスランドのFagradalsfjallなる火山の噴火の様子を録音したもの。ほぼ無編集らしいがそのサウンドは圧巻の一言で、音量を上げるほどに火山活動の凄まじいエネルギーがスピーカーを通して伝わってくる。"鳴りの良さ"の塊のような音楽なので、良いスピーカーを持っている人にはぜひ勧めたい。

Skrillex - F*CK U SKRILLEX YOU THINK UR ANDY WARHOL BUT UR NOT!! <3

 スクリレックスの新作。DJミックスをコンセプトとしたアルバムのようで、1曲2分弱のドロップと山場しかないようなトラックが46分に渡って矢継ぎ早に繰り出されてくる。ブロステップ時代のアドレナリンを無限に放出させる快楽性と、"Rumble"的な硬質な気品が同居したサウンドはさすがの一言。今っぽいというか、今後のモードを形成する何かなのは間違いないとは思ったが、曲が短いのはやはり好みではない。

読んだもの

www.asahi.com

dot.asahi.com

1/20

できたこと

  • 試験(不合格)

雑感

Unleash the Tweeting Beast

 昨日は試験前日で、勉強のために久々にモンスターエナジーを飲んだのだが、何がどう作用したのか激しい多動に振り回されて一日中Twitterに張り付いていたら終わった(試験は落ちた)。カフェインに頼るのを辞めた方がいい。ほんとうに集中したいなら充分な睡眠を取りチルアウトを飲むのが正解。もう少し頑張れば行けそうなので来月にまた頑張る。

生活の変化

 冷蔵庫が大きくなった。これは大きな冷蔵庫を買ったという意味で、それ以上でもそれ以下でもない。
 一人暮らしを始めてから友達のお下がりでもらった冷蔵庫を使い続けていたのだが、これが容量にして110Lしかなく、見かねた母親が「買ってあげる」と言い始めて購入の運びとなった。普通に不便していたのでとてもありがたい(とはいえ私もお金は出した)。冷蔵庫と冷凍庫が大きいというのは本当にありがたい。今までは2~3日分も入ればいい方だったし、狭すぎて鍋も置けないので、(私の甘い見込みもあって)常温のままキッチンに数日間放置されたさまざまな食べ物がすごいことになっていたのだが、これからは1週間以上の食料を備蓄できるし作り置きもできる。何なら飲み物だって冷やせる。冷凍食品も買い込める。大きな冷蔵庫は最高。

腹から年ベス出せ

 関ジャムのベスト楽曲10選が出たらしい。

 人が自由に選んだリストだから文句を言っても仕方ないが、何か制約でも儲けられていたんじゃないかと邪推してしまう。テレビだからしょうがないのかもしれないが……テレビだからこそもっと面白いリストを出してほしかった。2023年のラインナップは君島大空に原口沙輔にlilbesh ramkoにbetcover!!にPAS TASTAにとやりたい放題すぎるくらいなのに、今年は明らかに方向性が変わっている。こっちの目をちゃんと見て年間ベストを出してほしい。

2024年ベストソング10選

 そういうわけで自分もやる。上のツイートとあんまり変わらないが……。

篠澤 広 - 光景

 2024年において最も異形のままポピュラリティを獲得した楽曲。サンバを変形したリズムとアルトゥール・ヴェロカイによる優美なアレンジに彩られた華やかなトラックの上で、篠澤広が懸命ながらもか細い歌唱を乗せる。篠澤広のひ弱さを一切隠そうともせず、ただその命の在り様を全身全霊で祝福するような音楽の在り方は2024年で一番美しかった。ブラジル音楽は繊細なコード感とメロディがものを言う巧緻そのものの世界であるにも関わらず、そのフレームワークを正統に引継ぎながらもまるで歌えず踊れもしないアイドルを肯定してみせた長谷川白紙の離れ業には脱帽しかない。
 今年はこれを聴いてからブラジル音楽、特にサンバやボサノバを真剣に聴くようになった。自分の関心の幅を広げてくれた点でもこの楽曲には大きな感謝がある。

月村手毬 - Luna say maybe

 「あのね」でもう泣いてしまう。10年代邦ロック的なバンドサウンドのダイナミズムを損なわないまま、ホーンとストリングスによって完璧にアレンジされたトラックの上を、月村手毬の圧倒的歌唱力を誇る歌声が全力で駆け抜けていく。楽曲の華美さとは対照的に、16分とリフレインを多用したメロディには溢れ出してやまない感情を生のまま叩き付けてくるような泥臭い激しさがある。花譜・カンザキイオリに代表されるような、細かく刻んだメロディと高音によって激情を表現する「ボカロ以降」的な表現がボカロの外側のアレンジメントと接続された1曲。
 この楽曲はMVも凄まじい。MVと楽曲のクオリティ両面からし2020年代最高の1作に数えられるポテンシャルは大いにある。

東雪蓮 - KEEP OUT

 柔らかいジャジー/ボッサ調のハウスに甘い歌声が映えている。1番サビ後から始まる中国語パートがこの楽曲の聴きどころで、s・sh音の多い歌唱のASMR的な心地よさに一気に持って行かれる。Kobo Kanaeru『HELP!!』でもラストにインドネシア語パートが入ってくるが、こういった日英語以外の(おそらく)母語が入ってくる二次元楽曲には脆弱性がある。去年は英米で『Mamushi』を筆頭に日本語が流行っていたらしいが、言われてみれば自分も意味の取れない外語が入っているポップスは好きだな。

Geordie Greep - Holy, Holy

 ラテンロック調の軽快なビートをThe Style Council流儀のアイロニーと陰影で飾ったトラックの上、Geordie Greepがギターと誇大妄想の演説めいた歌唱で縦横無尽に大暴れする2024年の大名曲。改めて聴くとバックトラックは意外と薄味で、あくまでもGeordie Greepという人物のエゴが楽曲をドライブしていることが分かる。3:40前後のブレイクでピアノとパーカッション以外が抜けた箇所のドライブ感が凄まじく、やっぱりドラムセットの8ビートとか要らないんじゃないかとも思う。ドラムレスの編成で同じだけのインパクトの曲を作っていたら迷いなく年間ベスト第一位だっただろう。
 この曲はライブもすごい。以下の動画のジャムセッションから例のイントロになだれ込んでいくところは鳥肌が立った。

綿菓子かんろ - 邂逅~連奏

 同じサイン波がピアノやオルガン的な中音とシーケンサー的な高音域ではまるで異なる表情を見せるクワイア調の『邂逅』と、ピアノを前に一人で弾き語っているような軽やかに弾む『連奏』、実質的に組曲なので1曲カウントとする。どちらもサイン波と歌声だけのビートレスの楽曲であるにも関わらず、歌声の情感はまるで別物であるし、後者には明らかにグルーヴと呼べるものがある。こんなシンプルな構成要素の中に驚くほどの豊かさがある。

いよわ - うわがき

 ローファイなギター、どこかくぐもったような音色のバンドサウンドの上で鼓膜を引っかくようなクラックノイズ、極度に感傷的なメロディ、全てが定型から逃れながら一つの説得力ある音楽性として形を成している異形の楽曲。イントロのギターやCメロなどのあちこちで微分音が用いられ、現実世界が歪んでいくのを思わせる奇妙な和音が生まれているのも要注目のポイント。ちょっと前に絶対音感に対する反感がインターネットの一部で噴き上がったのを見かけたが、こういった音楽的仕掛けをほとんど誰も指摘していないのを見ると全然役に立つ道具だなと思った。私は正直なところまだ腹に据えかねている。

結束バンド - 今、僕、アンダーグラウンドから

 北澤ゆうほと長谷川育美のタッグによる大名曲。「でも光りたくて」で急にブレイクしたり、何の衒いもなくハンドクラップを入れたりと、下北系とはまるで異なるしなやかで瑞々しいバンドサウンドの上で、長谷川育美(ここでは喜多郁代ではなく"長谷川育美")が全身全霊で力強く歌い上げる。人間の創造性と気高い魂の輝きの産物。

effe - 祈り feat.終末うにこ

 エロゲー・ギャルゲー的な思春期の感傷と2000年代エレクトロニカの恍惚を湛えたトラックの上で、終末うにこの美しい歌声が天から降りてきたもののように神々しく響き渡る。「非在のものの美しさを叙景する幻視の音楽」として提起された新しいシューゲイズの様式「遠泳音楽」の一つの完成形。

YOASOBI - UNDEAD

 高音域のけばけばしいシンセ、虚構的にキュートなikuraのボーカル、目まぐるしい展開、小節ぎりぎりまで詰め込まれたメロディといった全ての要素が楽曲の破綻寸前まで"ポップ"を指向し、結果ポップの先の先にまで突き抜けた2025年のポップソングの最前線。YOASOBIは2024年も最高だった。きっと今年も最高だろう。

原口沙輔、ハローキティ、なるみや - ポップコーン!!

 ハローキティのポップコーンマシーンのメロディをほとんどそのまま取り入れたポップソング。「ポップコーン」という単語から、日本のポップカルチャーの生き証人としてのハローキティを通じてポップカルチャーの賛歌に繋げつつ、音MAD的サンプリングを詰め込んで"ポップ"の裏表を余すところなく表現した原口沙輔の手腕が鮮やか。店舗に置かれた機械のような音質で繰り返される「できたてのポップコーンはいかが?」を背景にハローキティが語る「うれしいも かなしいも たのしいも ドキドキも 皆んなのキモチを集めていたら 大きなポップになったんだよ」というフレーズが胸を打つ。2024年で最も"ポップ"に誠実に向き合い、メタ的なコンセプトと非の打ち所がないソングライティングの両面からその姿を体現した楽曲。

聴いたもの

小袋成彬 - Zatto

 宇多田ヒカルのプロデュースや『ともだち』の共作などで知られる小袋成彬の最新作。
 ロンドンのジャズシーンを経由した軽やかなネオソウルに歌謡曲の要素を掛け合わせたような趣があるが、「ファンキー」の感覚があるのがとても面白かった。1曲目からFunky Drummerのようなビートとタイトなプロダクションに迎えられ、3曲目では歌謡曲ダブ、4曲目はBill Withersを経由した都会的な歌謡ソウル……といったようにある程度リファレンスは明示されているため、聞けば何をやっているのかは概ね把握できるし、特に要素自体が目新しいわけではない(とはいえBill Withersの参照は新鮮だし、6曲目"Kagero"はムード歌謡を経由してサンバやサルサといったラテン・ブラジル要素へと深く回帰した点でかなり熱い)。しかし、そのどれもが2010年代後半~2023年辺りまでのUKジャズとは異なり、クラブジャズ性は控えめ、かつサウンドはマットに仕上がっていて、しかも洗練からはあえて遠ざかったような人情味がある。これは小袋成彬が「ジャパニーズ・ソウル」なる概念に真剣に向き合った結果であり、D'Angelo "Voodoo"を担当したRussell Elevadoのミックスの成果でもあるだろう。アンビエントニューエイジ、80'sリバイバル、ローファイ、メロウといった諸概念に浸ったウェットなプロダクションの時代から脱却する第一歩を感じ、2020年代後半のスタートダッシュとして幸先のよいものを感じたアルバム。

2024年ベストアルバム40

まえがき

 2024年のベストアルバム記事。まともに出すのは2022年以来だろうか。
 去年は今までの音楽人生の中でも特に幅広いジャンルに手を伸ばした年だった。特にボーカロイドリスナーやヘヴィミュージックリスナーとの関わりや、世間/インターネットでのトレンドと外れた領域への関心の高まりなどもあって、影響を受けるばかりでなくむしろ広める側、一人で探求を進めて成果を発信する側に回ったという感覚が強まっている。そんなこともあって、今回のセレクトは周りと話が通じなくなりつつも定番は定番として好き、くらいの程よいものになったのではないかと思う。
 枚数は上半期・下半期でおよそ20枚ずつ。この数自体に意味はなく、元々100枚あったものを時間と体力の都合で泣く泣く40枚とした。

目次

2024年上半期ベストアルバム

Unglee Izi - MUSIQUE de L'A.S.M.A._CHRONOS de TELEHOR et SPACE MODULATOR_Plan I, II, III, IV

diskunion.net

 フランスのエクスペリメンタル作家Unglee Iziが、エジプトのNashazphoneからリリースした140分にも及ぶ大作。ドローンアンビエントからピアノやストリングスによるミニマルな旋律、緻密なエレクトロニクス、鮮烈なノイズまで多様な要素を自在に操り、暗黒の宇宙空間の中で星々の生滅を眺めているような、圧倒的なサウンドスケープを描き出している。Bandcampページの解説では「ただ星に語りかけたいだけの、野蛮なまでに繊細な音楽("This is delicate music of savage finesse that only wants to address the stars and nothing else. ")」と表現されている。このロマンチックなコンセプトの実現のために凄まじく強靭な美意識が貫かれた、今年のアンビエント作品のベストの一枚。

綿菓子かんろ - リサージュの風景

 今年一番リピートした作品。Vsinger綿菓子かんろのファーストアルバム。全編がサイン波とコーラスのみで構成されており、サウンド自体は至ってシンプルである。しかし、Talich Helfenによる複雑なオーケストレーションと美しいメロディ、そして綿菓子かんろの透き通った歌声はどれも一級品であり、これ以上足すことも引くこともできない完成度を誇っている。特に6曲目「邂逅」から7曲目「連奏」の流れは圧巻。VTuber楽曲としても、今年のアンビエントポップとしてもベストを飾るにふさわしい傑作。

Ben Frost - Scope Neglect

 Ben Frost新譜。リリース元は名門Mute。
 今年は様々な音楽への関心が高まった一年だったが、特にマスコアに興味を持ち、Dillinger Escape PlanやCar Bombに傾倒したのは自分の音楽体験における大きなターニングポイントとなった。これまでジャズ、ファンク、ソウルといったグルーヴ偏重の音楽や、William BasinskiStephan Mathieuといった静謐な電子音楽を好んで聴いてきた自分が、ここまでアンチ・グルーヴ的な音楽に引き込まれるなど考えもしなかった。
 この作品はそんなアンチ・グルーヴ的要素と電子音楽の融合が特徴である。前述のCar BombのギタリストGreg Kubackiが参加した本作では、軸足はあくまでも電子音楽に置きながらも、マスコアやメタルのエッセンスが大胆に導入されている("憧れている"という感覚を感じた)。つまり、"刻み"というメタルの音楽性を規定する記号的表現を、池田亮司グリッチのようなテクスチャーとリズムを同時に担うものとして扱い、エレクトロニカとの共通部分を通じた折衷的表現に昇華しているのである。2020年代のジャンル越境的なアプローチが、アンビエントというテクスチャー重視の領域でも達成されうることを示したアルバム。

Violent Magic Orchestra - DEATH RAVE

 Vampilliaメンバーを中心としたプロジェクト、Violent Magic Orchestra(VMO)の最新作。リリース元はGabber Eleganza・Seekersinternational・Loefahなども作品を残すベルリンのレーベルNever Sleep。
 この音楽性はブラックメタル・ガバ・トランスとでも形容できるだろう。トランス特有のリバーブのかかったシンセと、ブラックメタルの驟雨のようなロウなギターサウンドが重なり合い、飽和した音響空間の中を、レーザーシンセが鮮烈に貫いていくことで強烈な多幸感が生み出される。そしてそれを暴力的にドライブするガバのビートが全体を支配している。2023年はMizuha 罔象のリリースが活発で、トランスのリバイバルを肌で感じる年だった。この作品はそういった流れの真打ちとして登場し、自分の中でどこか"傍流"というバイアスのあったトランスやガバを、現代の主流のダンスミュージックとして改めて理解する契機となった。また、これを聴いた時点ではブラックメタルへの関心はほとんどなかったものの、のちにその魅力を理解したことで(プリミティブ・)ブラックメタルへの解像度の高さにも気づき、下半期に入ってから一層思い入れが深まることとなった。

Normal Nada the Krakmaxter - Tubo de Ensaio

 2023年の"Tribal Progressive Heavy Metal"で話題を集めた、リスボンのNormal Nada the Krakmaxterの最新作。今作も前作に引き続きNyege Nyege Tapesからのリリースとなる。
 前作はサウンドが平板でグルーヴも一本調子に感じ、あまりハマらなかったのだが、今作では光っていたチープさの魅力はそのままに、上物のエレピやレーザーシンセなどの際立たせる部分は際立たせてあり、ビートに立体感が生まれている。また、グルーヴの基盤はソン・クラーベやトレシージョで共通しているものの、トラックごとに細かくビートの質感が調整してあって、似ていながらもそれぞれが異なる奥行きを持っている点も魅力的だった。Deconstructed Clubやダブアンビエントといったジャンルが探求する緻密な音響の中に少しずつ行き詰まりを感じていた中で、シンプルなサウンドの中に豊かさを示したこの作品は、2024年でも特に強い印象を残した。

rinri - 栞のよう

 代表曲『僕らの記憶を掠わないで』で知られるボカロP、rinriのファーストアルバム。
 本作の楽曲ではセブンスコードの響きが多用され、オルタナ・シューゲイズサウンドの中に電子音とクラシカルなピアノフレーズが自然に組み込まれている。この激情と端正を行き来するサウンドは、邦ロックや邦シューゲイズの亜種として極めて高い完成度を誇っている。そして合成音声によって歌われる、弱起を多用し同一のフレーズを畳みかけるように反復するメロディは、Car Bombとはまた異なる形での"アンチ・グルーヴ"と身体性への忌避を体現し、vai5000などのdigicoreにも通じるある種の純粋な"エモ(=感情)"を立ち上がらせている(実際ǢǪとの共作『何処へだって行こう』はほとんどdigicoreだった)。
 2023年の暮れ頃からボーカロイドリスナーとの交流が始まり、合成音声シーンをこまめに追い始めた。以前から関心のあった歌い手シーンと隣接する領域だったこともあって深く掘り下げていくことができた(そしてそれがユリイカへの参加に繋がった)のだが、その中でも「なぜ合成音声が歌う必要があるのか」という疑問は頭の中でずっと問い続けていた。この作品はその一つのアンサーになり得るだけでなく、もはや人間の歌唱に対する勝利宣言とも言えるような傑作だと感じた。

Sheila E. - Bailar

 プリンス・ファミリーの一員として知られるドラマー、Sheila E.のソロアルバム。リリース元はSony
 一言で言えばサルサである。しかも、サルサアルバムではスローテンポのバラードがつきものだが、今作のバラードである7~8曲目『Mi Amor』『Possibilities』では中盤からアップテンポなブーガルーに展開させるというアップデートがなされることで、アルバム全体にパーカッシブでダンサブルなバイブスを漲らせることに成功している。
 2024年は『Salsa Con Estilo - Dance Floor Gems from the Vaults: 1950s​-​1980s』や『Discomoda Salsa de Venezuela 1964​-​1977』といったサルサ名門レーベルのコンピレーションが相次いでリリースされ、さらにはFania Recordsではリイシューが相次ぐなど、サルサ周辺のリリースが活発だった。2025年には、サルサ電子音楽化したような新種の音楽が現れることも期待したい。

sonhos tomam conta - corpos de água

 新世代シューゲイズのアーティストとして、Asian GlowやParannoulと肩を並べるsonhos tomam contaの最新作。ボサノバとシューゲイザーを架橋し、リバーブと轟音にくるまれたサウンドの中では、サウダージの感覚を帯びた朴訥なボーカルとギターも、リリカルな激情の噴出の一部として現れてくる。シューゲイザーというしばしばゴシック=キリスト教的な文脈と結びつけられるジャンルを、ボサノバというブラジル(あるいはサンバ)のローカル性と融合させてみせた、発明あるいは革命的な作品。

Bianca Scout - Pattern Damage

 コロナ禍の前後から、トレンドを牽引するユニークなアンビエント作品を次々に放ってきたマンチェスターのレーベルsfericの2024年リリース作。制作したBianca Scoutは過去10年に渡ってチェンバー・ミュージック、コンテンポラリーダンス、ダーク・ポップ、イーサリアルなアンビエンスを融合させてきたらしい(今回初めて知った)。
 本作で展開されるコラージュで構築されたサウンドは、ポップでありつつもどこか中心が欠如しているような虚ろな感覚を漂わせている。そのポップさを頼りに"ポップス"として、あるいは"曲"として聴こうとする耳をすり抜け、ソングライティングのイデアの影を残して消え去るようでもある。覗き穴から異世界を垣間見るように、何か巨大で豊かなものの気配だけを漂わせつつ、その実像は掴ませないまま煙のように立ち消えていくモダンクラシカル/アンビエント作品。

潮 - 生乾き

 ボカロP潮のEP。2000年代インディーオルタナ的な、どこか生活と諦念の気配が染みついたオルタナサウンドの上で、合成音声がある種の情感を完璧に捉えたメロディを歌う。完璧である。その歌声でそう歌われるべきメロディが、息継ぎさえもその一部として、そうあるべきバンドアンサンブルの上でその通りに歌われている。特に2曲目『風と共に去りぬ』4曲目『コインランドリーブルース』は白眉。ほとんどの歌唱は可不で、3曲目『白昼夢』のみ雨歌エルというUTAUの歌唱だが、機械らしいノイジーさを残した歌声がここではハスキーボイス的な落ち着きと神秘性を醸し出している。

Shellac - To All Trains

 今年逝去したSteve AlbiniのバンドShellacの最新・最終作。リリースはシカゴの名門Touch And Go Recordsから。
 アルビニ録音によって強調された、ガリガリに痩せこけたギターとファットなドラムによる鋭利なオルタナサウンドはまさにロックンロールの理想的な在り方を示している。遺作という話題性を抜きにしても本作が年間ベストに入ることは確実だっただろう(実際この選出にそういった思い入れは込めていない)。ただただ超絶かっこいい。RIP。

Mount Kimbie - The Sunset Violent

 ダブステップからポストパンクへと音楽性を一変させたMount Kimbieの4枚目。Warpからのリリース。
 ポストパンクとは言っても、ポストパンリバイバルのようなダンサブルでぎらついた音色とは異なっており、チープなドラム・リズムマシンの音色と、グランジとシューゲイズを足して軽くしたような柔らかく泡立つギターサウンドが本作の特徴である。ギターは主に後景を埋めるように使われており、シューゲイズの飽和感を思わせながらも、パッドシンセ的な控えめな立ち位置に留まっていて、この絶妙な音使いが本作ならではの個性を形作っている。
 本作の魅力は、いい意味でチープで軽い、ジャケットのどこか褪せた色合いをそのまま音楽にしたような、アナログ感のあるギターとドラムの音色を40分弱楽しめるというその一点に尽きる。こんな音色を奏でるバンドは他になかった。

A. G. Cook - Britpop

 PC Musicのオーナーにしてhyperpopの源流の一人A.G.Cookがリリースした三枚組のアルバム。自身が立ち上げた新レーベルNew Aliasからのリリース。
 作品情報については以下の記事に詳しい。

www.ele-king.net

 バブルガムベースに出自を持ち、hyperpopシーンを見届けてきたA.G.Cookは、"Britpop"というさらに巨大なジャンル名をアルバムタイトルに掲げ、シンセと同じようにギターをかき鳴らし、歴史の継承と更新に挑んだ。こういった試みは大仰なようにも思われるが、先鋭的なシンセサウンドオールドスクールなギターの音色が並立し、独自のプロダクションがびっしりと詰め込まれたハイクオリティな楽曲群をいざ耳にすれば、もしかすると本当に世界を変える気なのかもしれないと、出来るかどうかはさておいて信じていいのかもしれないという気がしてくる。特に「現在」の二枚目はCallahan & Witscher "Think Differently"と並べて聴きたい。2024年に聴いた中で一番"ポップミュージック"とその未来を信じる心が伝わってきたアルバム。

Adult Jazz - So Sorry So Slow

 初めて知ったアーティスト。リリース元のSpare Thoughtというレーベルも初耳。
 オートチューンもさらりと取り入れ、どこかインディーポップ的な軽やかさを持ちつつも、ストレンジな音響とバロック的なソングライティングには重厚さが感じられる不思議な佇まいのチェンバーポップ。ストリングスの弦と弓の間の軋みや、耳に刺さるような高音域だけの鳴りなど、あまり顧みられることのないサウンドまでもどこかチャーミングに聴かせているところに弦楽器への偏愛が滲んでいる。2024年の『Pet Sounds』あるいは『Song Cycle』といった趣。

Howie Lee - At The Drolma Wesel-Ling Monastery

 北京のプロデューサーHowie Leeの最新作。リリース元は民謡クルセイダーズアイヌのOKI、Ricardo Dias Gomesなども作品を残すMais Umから(初耳)。
 パーカッションや特有の音階、あるいは読経という直球の形で、東南アジア・中国的な要素とクラブミュージックを融合させた作品。そう言うともはやありふれた作品にも思われるが、通り一遍のハウスグルーヴを導入したといった安易なものではない。あくまで東洋的な要素を保持したままトライバルハウスをやってみせたり、あるいはサブベースの入れ方にしても単にワブルベースを差し込むのではなく、パーカッションの低域を増強するといったさりげない形が取られていたりと、"中華"という世界観から軸足をずらさないプロダクションが徹底され、結果として呪術的ニューウェーブから中華サイバーパンクまでを横断する、多様な中華のムードが展開されている。特に中華歌謡UKG的な5曲目『Mantra of Buddha Amitayus 长寿佛心咒』はDJプレイのピークタイムにプレイされても大いに盛り上がるだろう。こういった露骨に"ディープ"なだけではない、軽やかな(そして若干胡散臭いような)ダンストラックが入っているのも、どこか肩の力が抜けた感覚があって好ましく感じた。
 余談だが、今作のサウンドから連想したのはSVBKVLTのリリースだった。例えばZaliva-Dのシャーマニックな世界観は本作のムードと大きく共通する要素があるし、同レーベルからリリースされたHowie Lee "Swallow EP"にもリミキサーとして参加している。高度なクラブミュージックのプロダクションという点では上海のSwimfulの作品がある。こういった中華圏・レーベル内での交流の成果が本作に結実したのではないだろうかとも思う。

Magnolia Cacophony - (come in alone) with you

 ボーカロイドシューゲイザーユニットMagnolia Cacophonyのファーストアルバム。同人音楽サークルPICTURE BLUEからのリリース。
 重音テトSV・歌愛ユキボーカルによるシューゲイザー作品。Siren For Charlotteからの各種リリースを初めとして今年は合成音声シューゲイズが盛り上がった年だったが、真打ちはこの作品だろう。90年代オルタナをルーツに持つ轟音サウンドはドリームポップのような崇高や抽象、あるいはエモの激情には向かわず、合成音声が歌う中音域の息の長いメロディも相まってある種の穏やかな情感をたたえている。ボーカルの静かな佇まいとギターの轟音のコントラストという、合成音声シューゲイズの魅力が遺憾なく発揮された作品。

Still House Plants - If I don’t make it, I love u

 今年一番の話題を呼んだStill House Plantsのサードアルバム。リリース元はbison(聞いたことないが倉地久美夫 "Open Today"のリリースも話題になっていた)。
 シカゴ音響派電子音楽を経由し、音の並びよりも響き、模様よりも質感に着目するというアプローチの下、音色を極限まで研ぎ澄まし、ロックのクリシェを次々に切り捨て、露骨なサウンドの激しさも身体を揺さぶるグルーヴも演奏の統制感も捨て去り、最後に残ったものだけを聴いているように感じた。そしてそのアプローチとしてドラムとギターはジャングルにおけるアーメンブレイクのように一つのフレーズを細かく切り刻み、カットアップ/再編集して並べ直しているような、どこか"編集点"の感じられるプレイを行っている。これは「リフ」の再定義といったような表現もできるかもしれない。インターネットでは様々な評価が飛び交ったが、その全てを許容しつつ、自分なりに解釈を打ち立てることを要求してくる、優しさと厳しさの同居する作品。

トゲナシトゲアリ - 棘アリ

 2024年上半期にはガールズバンドクライ/井芹仁菜が求められる全てを言葉として放ち、下半期には千葉雄喜が君臨して本物の"REAL"として日記のような作品をリリースした。つまり井芹仁菜はスターであり、そのスター性を体現するのが『棘アリ』である。
 1曲目『名もなき何もかも』のイントロの、ややもつれたリズムで井芹仁菜が歌い始め、そこにキーボード、そして残りの楽器が追随してくるという構成からも、トゲナシトゲアリの主役にしてアンコントローラブルな激情の担い手が井芹仁菜であることは初めから提示されている。ボカロ由来の音数の多い(そして詰め込みすぎてもはや不自然になりかかっている)メロディ、残響系/ポストハードコア的な細かいギターのフレージング、スネアロールを多用し楽曲のテンションを際限なく盛り上げていくドラムといった全ては、井芹仁菜の激情迸る歌声を中心とする星座を描いている。神椿/花譜以降の、鮮烈で剛性の高いエモーションを叩き付ける音楽性と、邦ロック~ボカロの疾走ロックの系譜が理想的な融合を果たしたという点で、いわゆる"ポストボカロ"が"歌い手/VSinger以降"の文脈と結びついて生まれた傑作。

Kim Gordon - The Collective

 2024年上半期の話題作と言えばこれだろう。インダストリアルノイズによってブーストされた破壊的なトラップに、Kim Gordonのラップとも語りともつかない煙たいボーカリゼーションが乗ったサウンドは、そのローファイな鳴りもあいまって現代におけるクールで先鋭的なロックミュージックの現在の形を提示しているように感じられた。激情や破壊を意図しない、醒めたノイズという点では同年リリースのKlein "marked"にもどこか通じるものがある。

Anastasia Coope - Darning Woman

 NYのアーティストAnastasia Coopeのファーストアルバム。リリース元はJagjaguwar。
 聖歌隊、中世の合唱団、80年代アートロックなどに影響を受けたというストレンジなコーラスワークがフォークの上で展開されるさまは、神聖ながらも民族音楽のようなスピリチュアリティも帯びている。フォークに伴う私性というものがまるで感じられない、霊的な存在がたまたま肉体を借りて歌っているような佇まいは2024年でも有数に異様だった。2023年のReverend Kristin Michael Hayter『SAVED!』と併せて、フォークとキリスト教の関係性の中からアウトサイダーの特異な作品が生まれるという流れが続いていて、今後もフォークのポテンシャルには注目したい。

Rəhman Məmmədli - Azerbaijani Gitara volume 2

 アゼルバイジャンのギタリストにフォーカスしたコンピレーション第二弾。プレイヤーはRəhman Məmmədli(読めない)。リリース元は今年も熱い英米外の音楽のリイシューを重ねたLes Disques Bongo Joe。
 1曲目の冒頭から、「アゼルバイジャンのギター」という言葉から受ける印象を全く裏切らず、それどころか大きく上回ってくるような、強烈な歪みの効いた未知のギターフレーズが押し寄せてくる。(おそらくは現地の伝統音楽に根差しているのであろうが、)舞踊音楽的な3拍子のトラックの上で笛のように自在にうねりのたくるギタープレイは、西洋のロックやジャズのフィーリングとは何から何まで完全に異なっていて、ただただその異質さと迫力に圧倒されてしまう。2024年はMdou MoctarやEtran de L'Aïrなど、砂漠地帯(特にトゥアレグ族)の優れたロックミュージックが世に出ていたが、この作品はそうした非英米圏のリリースの中でも特に耳を惹いた。

2024年下半期ベストアルバム

Loidis - One Day

 Huerco S.の別名義Loidisのデビューアルバム。リリース元はJohnny From SpaceやButtechno。DJ Pythonを擁し、ダンスミュージック側からの電子音楽の拡張を試みるNYのレーベルInciensoで、Huerco S.名義での"Plonk"から引き続きのリリースとなる。
 ぱっと聴いて印象に残るのはその霧がかった音響で、これまでHuerco S.について語られてきた言葉を参照してもまずは「ダブ」という言葉が思い浮かぶ。しかしダンスミュージックの核となるキックすらもその深い霧の中にうずもれたサウンドは、ダブのリバーブとディレイを駆使しつつもドラムとベースを強調する手法とはまた違った趣がある。むしろ不明瞭にくぐもった音の、そのくぐもり自体を一つの"音響"として提示するところにこの作品の美質があるように感じられた。ダンスミュージックとしての機能性を高め、聴き手をループの中に没入させつつ、そのループの中で少しずつ一音一音のユニークな音響に注意を差し向けていくというコンセプトが高いレベルで達成されている。

De Schuurman - Bubbling Forever

 オランダのDe Schuurmanのセカンドアルバム。リリースは東アフリカ周辺のユニークな音楽を紹介するカンパラの名門Nyege Nyege Tapesから。
 「バブリング・ハウス」という、ダンスホール・エレクトロ・EDM・R&Bをミックスしたようなアフロ・ディアスポラサウンドを主軸にした作品で、リズムマシンの硬質なビートとレーザーシンセのけばけばしいリフがほとんど暴力的に聴き手の高揚感を煽ってくる。バイレファンキがそうであるような、ただダンスのためだけに先鋭化を進めていったサウンド特有のシンプルさとビビッドさが極まっていて、考えるよりも先に身体が否応なしに動く。個人的に今関心のある暴力的ダンスを体現した作品。ある意味ではLoidisの作品と対照的と言えるかもしれない。

Meridian Brothers - Mi Latinoamérica Sufre

 Eblis AlvarezのプロジェクトMeridian Brothersの新作。ラテン音楽の名門Ansonia Recordsと、スイスのユニークな再発レーベルLes Disques Bongo Joeの共同リリース。クンビア、スークース、ハイライフなどアフロ・ラテン由来の音楽とサイケデリックロックの影響を融合させたエキセントリックなサウンドが、摩訶不思議な世界へと誘いかけてくる。また、クリーントーンで統一されたギターサウンドと、ほとんどリバーブがかかっておらず低音域も薄いドライなプロダクションには、シューゲイズやトランスリバイバル以降のリバーブで飽和した音像や、あるいはキックの存在が自明化したダンスミュージック中心の音楽シーンに対する強烈なオルタナティブ性がある。この後リリースされたGeordie Greepのソロ作品と合わせて、未だ手の付いていないラテン音楽の中に新しいムーブメントの可能性を感じずにはいられなかった。

 同じくラテン系だとLa Sonora Mazuren - Magnetismo Anímalもとても良かった。

Mk.gee - Two Star & The Dream Police

 何を聴かされているのか初聴では全く理解できなかった。LAのミュージシャンMk.Geeのデビューアルバム。基本的にはギターを中心とした、独特のアンビエンスを纏う80年代バラードスタイルの楽曲が並ぶのだが、そのギターの鳴りや奏法が常軌を逸している。全く未知の音楽なのに、なぜか懐かしい音楽のルールが適用できる。リバイバルとするには新しすぎる、錯視的な一枚。

Rafael Toral - Spectral Evolution

 ギタードローンの大家(らしい)Rafael Toralの最新作。Drag City傘下でJim O'Rourkeが主宰するMoikaiからのリリース。
 作品の主軸となっているのはオルガンのような重厚で煌びやかな持続音である。これはクリーントーンのギターであるが、もしイントロや合間合間に差し込まれる爪弾きのフレーズが存在せず、持続音の一部だけを切り取って聴けばそうとは気づけないかもしれない。しかし、そうであるからこそ時にアーミングなどで見せる"エレキ"らしい凶暴さの片鱗がとても魅力的に響く。
 ドローンの上で始終囀っている鳥のようなシンセの音色も面白かった。1月頃に原生林のフィールドレコーディングを聴いており、鳥の鳴き声がよく聴くと電磁パルス的な響きであることを面白く感じていたので、こうして実際にシンセで再現された鳥がさえずり、仮想のフィールドレコーディング的な空間を立ち上げている作品を聴くと不思議な納得感があった。これからも繰り返し聴いていけば埋もれた音がたくさん見つかりそうな、長いお付き合いを期待できる作品。

そういえばmappaから鳥の鳴き声をシンセで再現したコンピレーションも出ていた。今聴いたら面白いかもしれない。

Kali Malone - All Life Long

 押しも押されぬドローン作家Kali Maloneの最新作。リリース元はStephen O’MalleyのレーベルIdeologic Organ。
 2024年にリリースされた中で最も清浄なアルバム。作品内容については以下の記事に詳しい。

turntokyo.com

 調律による和音の響きの変化を作品の特徴として挙げたこの記事は、ぼんやりと音だけを聴いているだけでは意識しきれなかった作品の魅力を的確に捉えており、私の音楽への向き合い方をがらりと変えた。西洋音楽の脱中心化が進んでいく中で音の重なりという西洋音楽の根幹に深く迫った本作は、一つの核心として今後も何度も聴き返すことになるだろうと思う。

Vanishing Twin - Tell Me Not Here

 Valentina Magalettiも参加するサイケデリックポップバンドVanishing Twin(初めて知った)の、The state51 Conspiracyからの最新作。ソン・クラーベのリズムを刻むぎらついたシンセサイザーの上で展開されるエレピ・エレクトロニクス・ヴィオラのジャムと、その合間に挟み込まれるブリティッシュ・フォークは神秘性と崇高さに満ち、聴くものをシュールレアリスティックな異界に誘い込む。Nurse With Woundリスト的な趣も感じさせる、2024年に聴いた中で最もストレンジな作品の一つ。

Nídia & Valentina - Estradas

 ポルトガルのPrincipeから主に作品をリリースする作家NídiaとValentina Magalettiの共作。リリース元はTLF TrioやLaurel Halo、Kassel Yaegerも作品を残すフランスのLatency。
 Principeはクドゥロ・バティーダ以降のダンスミュージックを提示するレーベルで、前述のNormal Nada the Krakmaxter "Tubo de Ensaio"にも通じるスカスカなグルーヴが面白く、今年の下半期にはよく聴いていた(特にDJ Nigga FoxやNiagaraの旧譜、去年の"DJs Di Guetto"など)。西洋のダンスミュージックのようにベースに快楽性を依存せず、いわゆる"エクスペリメンタル"な音響にも寄せず、パーカッションの生々しいテクスチャーと抑揚によってうねりを生み出すサウンドに惹かれたということかもしれない。
 本作ではPrincipeのリリースとは違ってValentina Magalettiの生演奏とリズムマシンのビートが重なっているが、生ドラムやマリンバは空間を感じさせるからっとした鳴りに、シンセは明確に非現実的に(時にはチープに)と、テクスチャーの処理は両者が混じり合うことを防ぐようにして露骨に分けられている。この処理が結果的に両者を互いの異物として引き立て合い、サウンドの中に緊張感をもたらしている。

Klara Lewis - Thankful

 Klara LewisのPeter Rehberg追悼作。リリース元はもちろんEditions Mego
 Nik Colk Voidとの『Full-On』やPeder Mannerfeltとの『KLMNOPQ』など共作の多い印象のアーティストだが、ここでは追悼とタイトル通りの感謝の念を捧げるというコンセプトもあってかソロでのリリースで、暴風のようなノイズアンビエントサウンドの中にも私的なムードが色濃く滲んでいる。特に最終曲"Ukulele 2"は、タイトル通り軽やかにウクレレを爪弾くところから、やがて地をのたくる大蛇のような凶暴なノイズを紡ぎ出していく圧巻の展開を見せる。Peter Rehbergという名前にほとんど馴染みのない自分であっても、この作品の爽やかな哀悼を感じるジャケットと、涙をこらえながらも笑って手を振るようなエモーショナルなサウンドには強く感じ入るものがあった。

V.A. - funk.BR - São Paulo

 ロンドンのラジオ局圏レーベルのNTSが企画したバイレファンキコンピレーション。サンパウロマンデランというスタイルにフォーカスしたものだという。
 英米やヨーロッパでは"エクスペリメンタル"と呼ばれるような強烈な音響がクラーベを刻むミニマルなビートの上で暴れ散らかしている様相は、テクスチャーまで含めてサウンドの全てを動員して身体に訴えかける点で一つのダンスミュージックの理想を体現している。"ポップス"に動員されて頭打ちになることなく、飛び跳ね、合唱するためだけに発展を続ける実験性が一番かっこいい。2020年代はバイレファンキが来る。

Luke Sanger - Dew Point Harmonics

 アンビエント作家Luke Sangerの最新作。スペインの信頼できるアンビエントレーベルBalmatからのリリース(Luke Sangerがここの第一弾として出した"Languid Gongue"もかなり良かった)。
 いわゆるニューエイジアンビエントに属する音だが、ふわっとしたサウンドスケープの中にアナログシンセやノイズのビビッドな鳴りが散りばめてあって、心地よさの中にもアーリーエレクトロニクス的なプリミティブな味わいがある。Rafael Toralの作品ともどこか近いかもしれない。

V.A. - Juyungo (Afro-Indigenous Music From The North-Western Andes)

 エクアドルはキトのレーベルCaifeに残されたカタログからHonest Jon's Recordsが編み上げたコンピレーション。以下ディスクユニオンの商品ページから引用。

エクアドル北西部のエスメラルダスでは16世紀以来、先住民族がアフリカ系マルーン人のコミュニティと融合し、独自のアフロエクアドル文化が形づくられた。そこで奏でられるフォークロアは、アフリカのバラフォンや先住民の打楽器に起源を持つマリンバを中心に、コール&レスポンスのチャント、虫や鳥の鳴き声、アンデスの伝統的な弦楽器、山岳地帯で広く演奏される葦を束ねたパンパイプのサウンドなどが盛り込まれた、非常に豊かな音楽だった。

diskunion.net

 つまりアンデス的な葦笛と弦楽器がアフリカのパーカッションやマリンバと融合した音楽である。マリンバの音色はNídia & Valentina"Estradas"の源流のようにも聞こえるし、去年リリースされたChuquimamani-Condori"DJ E"で試みられたアンデス音楽とDeconstructed Clubの融合も思い起こされる。未だ未着手のラテン音楽であるアンデス音楽に関心が向いていたところに、アンデスとアフリカの伝統音楽が交わる作品が出てきたのはタイミングが良かった。

Moin - You Never End

 本ベスト記事三回目の登場となる、Valentina MagalettiのトリオグループMoinのサードアルバム。今年もエッジの効いた作品を出し続けていたAD 93からのリリース。
 メランコリックなポストパンク。いわゆる「鬱ロック」的な音楽性で、90年代オルタナを通ってきた身としては親しみやすいサウンドである。しかし、その親しみやすさの裏にはギターの音色へのフェティッシュなこだわりが強く感じられ、ドラムと温度の低いポエトリーリーディングは、1曲ごとにまるで異なるギターの絶妙な音色を完璧に引き立てている。エクスペリメンタルを通過してきたミュージシャンならではの音色への感度が、ロックミュージックにばっちりと活かされているのを感じた。
 本作はMount Kimbie "The Sunset Violent"とStill House Plants "If I don’t make it, I love u"の中間に位置する作品だが、3曲目"Family Way (feat. Sophia Al-Maria)"はKim Gordonの最新作を再解釈したような趣があったり、5曲目"Lift You (feat. Sophia Al-Maria)"では"ロックの人が誤解したジャージークラブ"をあえて狙ったようなダウナーなグルーヴに仕上がっていたりと、ただ平均を取っただけではない本作固有の魅力もしっかりと備わっている。ロックの外側から来た人間があえてロックに取り組むことで生まれる化学反応は確かに存在する。

Mount Eerie - Night Palace

 Microphones名義でも傑作を残すUSフォークの代名詞Mount Eerieの最新作。セルフレーベルP.W. Elverum & Sunからヴァイナル・デジタル、日本の7E.P.からCDをリリース。
 ノイズ・インディーロック・雅楽にトラップまでを横断するざらついた轟音を備えたフォークは、そのドライなプロダクションも相まって極めて荒涼とした情景を描き出している。元来フォークというジャンルは、歌とギターだけで完結する点である種の孤独を抱えた音楽である。しかし、ここでは歌とバックの演奏がほぼ分離していて、どんなに演奏のテンションが高まってもボーカルはずっと憂愁を帯びた低いトーンで歌っているため、音は賑やかなのに歌の孤独感は弾き語りよりも一層深まっているように感じられる。人類滅亡後の荒野、あるいはタル・ベーラニーチェの馬』的な不毛の地で風に吹かれながら歌っているような、寂寥感の極まった一枚。

death's dynamic shroud.wmv and galen tipton - You Like Music

https://deathsdynamicshroud.bandcamp.com/album/you-like-music

 Giant Clawメンバーも所属するVaporwaveトリオグループdeath's dynamic shroud.wmvと、卓越したサウンドプロダクションで独自の電子音楽を探求するGalen Tiptonのコラボアルバム。death's dynamic shroudのセルフリリース。
 正直なところどういった文脈の何が鳴っているのかまるで見当もつかないのだが、それでもサウンドの快楽性が凄まじい。情報の過剰さや特有のポップネスを、Toilet StatusなどのOrange Milkの作家になぞらえることはできるが、ここで鳴っているのはそういった通り一遍の説明で済むようなものではないだろう。無数の引き出しとユニークなアイデア、そしてそれを支えるプロダクションという、アーティストの地力によって実現されたスーパープレイ集とでも呼ぶのが正しい。最終曲ではシューゲイズバンドFull Body 2までもが参加している。エキセントリックな音楽性でありながらも、シーンの地道な蓄積とアーティストの努力がしっかりと実を結んでいるのが感じられるドラマティックな傑作。

nudo - alma blindada

 2024年最もいかがわしかった作品と言えば間違いなくこの作品だろう。テキサスのエレクトロニック・デュオによってHalcyon Veilからリリースされた作品。
 出来の悪いAIにいい加減なプロンプトで生成させた音楽のように、どこかで聴いたことがあるような、しかしどこか粗雑さの拭えないサウンドが立ち上がっては、何の劇的解決もないまま全く異なるジャンルの音楽に突然切り替わっていくのを延々と繰り返し続ける。ここにはいわゆるアンビエント的な没入感や恍惚の感覚も、ロック的なシャープなソングライティングもなく、ただ雑な連想を呼び起こしては何も結ばずに消えていく音楽の残滓だけがある。Vaporwaveさえも端正なチルアウトミュージックに聴かせてしまうような、虚脱感に満ちたコラージュ(生成AIではない)。

Nicolas Gaunin - Huti ゲーム

 イタリアの実験音楽レーベルArtetetraからのリリース。Moon GlyphやHive Mindといった錚々たるレーベルからも作品を出す作家の最新作だが、これが何なのかというと全然見当がつかない。少なくともこの作家が"ゲーム"に対して真剣であることは間違いない。
 食品まつりを連想させるユーモラスなエレクトロニクスによって組まれたサウンドは、電子世界のJon Hasselのように、ゲーム世界的な"秘境"と、そこに紐づくローポリの情景を聴き手に想起させる。オープンワールドマリオ64、あるいは話しかけたら未知の言語で返してくるどうぶつの森と言えば伝わるだろうか。前触れもなく目まぐるしく動くエレクトロニクスが、一体自分はどこに迷い込んでしまったのかと不安を誘いつつ、この世界をもっとプレイしたいと引き込んでくる楽しいニューエイジ作品。9曲目『Snake Digestion』なんかはDJで使っても楽しそうに思える。

Cindy Lee - Diamond Jubilee

 Patrick FlegelなるアーティストのソロプロジェクトCindy Leeの最新作(聞いたことない)。自主リリースされたのちリイシューレーベルの名門Superior Viaductからヴァイナルリリースされた。
 これを聴いた時の第一印象は「枯れている」だった。ここには"現代性"だとか"モダン"といった言葉で語れるような音は全く鳴っていない。霧の向こうから聞こえてくるようなプロダクションが施され、リスナー側に何の"アップデート"の目配せもなく奏でられるオールドファッションなアメリカンポップは、まるで『シャイニング』のダンスホールで自分が死んだことに気がついていないまま踊り続けている亡霊のように、もはや「古い」という地平を超越した深い神秘性をたたえている。千年生きた龍、あるいは未開の森の中で悠久の時を重ねた霊樹。そういった時の流れを超越した巨大さに打たれる2020年代の傑作。

1. いよわ - 映画、陽だまり、卒業式

 年間ベストオブベストアルバムはいよわのサードアルバム。Normal Nada the Krakmaxter "Tubo de Ensaio"などいくつかの項で書いたような、非"エクスペリメンタル"的でジャンルマナーにことごとく背いていく未分化なサウンドと、合成音声による歌声というある種のオーソリティから外れた要素が、多種多様かつユニークな楽曲の中で応用されている。洗練や究極といった言葉からは遠い、中間領域のサウンドの豊かさはどんなアプローチの楽曲の中にも見出せるという一つの証明のようでもあった。
 加えて言うならば、2024年という大きなムーブメントもないまま各々のシーンが成長し、いい意味でも悪い意味でも多様な音楽がリリースされ、聴く側もトレンドではなく自分の心から出てくる関心に従って音楽を聴いていたであろう年に思われる。そうした一年を象徴する作品として、アイデアの浮かぶままに作り続け、できたものを全部詰め込んだようなこのバラエティ豊かなアルバムを選ぶことには必然性すらも感じた。

あとがき

 以上40枚の作品を取り上げて2024年を振り返ったが、ここに挙がっていない個人的トレンドがあまりにも多い……。AIカバーやプリミティブブラックメタル、クンビアについては聴いていた時間の割にほとんどここに挙がらなかったし、歌い手楽曲・歌ってみた動画についても当然アルバムやEPというフォーマットでは掬い切れない。アルバムの時代が終わりつつあるとまでは言わないが、インターネット音楽シーンの拡大によって、既存の体系に回収されないクリエイティビティが現れ始めたのは確かだろう。
 最後に、2024年も多くの人との新たなご縁、そして新たな学びのあった一年でした。Discordなどの閉じたコミュニティの価値が高まりつつある中、誰にでも開かれた空間で音楽情報や語りを発信し続けている方々には尊敬と感謝の念しかありません。2025年も引き続き、楽しく音楽の話ができることを願っています。

11/30, 12/4

できたこと

  • 美容室に行く
  • 洗濯

雑感

 以下11/30の日記。

今日

 昼前に起き、予約を入れて午後から美容室に行った。置いてあった雑誌に香水のミニコラムが載っていて、曰く香水は香りの持続時間ごとにパルファム・オードパルファム・オードトワレ・オーデコロンの四種に分かれるのだという。初めて知った。何なら1回付ければ1日持続するのだと思っていた。そんなわけないだろと言われたらそうなのだが……。
 ついでにリカーショップに行ってビールを購入。敷島てとらさんのVlogで見たオリオンビールヴァイツェンがあったので手に取り、ついでにDUVELも。伊勢角ビールを勧められたので探してみたのだが見つからず。そういえば今日はうちゅうブルーイングを見かけなかったが、淘汰されたのだろうか。
 ついでにラーメンも食べる。千円で食べられるお店にしてはちゃんとおいしく、おいしいな……おいしいな……と食べ続けていたらいつのまにかスープまで飲み切っていた。たまにはいいということにする。
 六花亭にふらっと寄ってマルセイバターサンドと羊羹を買い、母親へのプレゼントを見繕いに大丸へ。食器か高級タオルが良さそうだった。バスローブというアイデアもある。そういえばキャンドルホルダーを見に行くのを忘れていた……。

マルジェラ再訪

 ついでに知人の「マルジェラから黒いのが出て気になっている」という話を思い出し、マルジェラのポップアップを再訪。「黒いの」とはオードパルファムのことだった。サンプルから妙な匂いがして首を傾げていたのだが、曰くラストノートのサンプルで、トップノートは紙に吹き付けて試すものらしい。言われてみれば確かに。人生ずっと「言われてみれば確かに」しか言ってない気がする。
 気に入ったのは「ソウル オブ ザ フォレスト」と「ダンシング オン ザ ムーン」。オゾンの雲の香りをイメージしたという「フライング」はいい香りだと思ったが馴染みがなさすぎた。買うなら「ソウル オブ ザ フォレスト」かな。今年のボーナスは香水に使うことに決めた。

 11/30の日記ここまで。以下12/4の日記。

今日

 一日中頭がぼんやりしていた。昨日は2時まで起きていたから当たり前なのだが……。
 何をしていたかというと相互のスペースをずっと聞いていた。面白い人たちが面白い話をしていると……とても面白い。
 「興味深い系界隈の人(その時々のトレンドを紹介して「2024年の空気感を象徴しているようで興味深い」みたいなことを言う人)」という悪口は正直面白いが、そんなことを面と向かって言われたら手が出るかもしれない。

万引き

 ずっと万引きの話がTLを流れていた。公開の場でそんな話をするのは教育に悪すぎると思うのだが、それに対する批判ツイートがどれも言葉が刺々しかったり、悪意の塊のようなものばかりで滅入ってしまった。文章に対してすごく敵対的な読み取り方をしているように感じる。中高年の万引き話がみっともないのと同じように、20代の冷笑だって充分見苦しいものがある。モラルハイグラウンドを取った途端に人はこうなるのだな……と現Xの状況への学びがあった。
 こっちの方が大事なのだが、相互の方が上記の炎上に巻き込まれていた。先輩の悪ノリを無下に扱えずに言葉を選んでいたら外野からつつかれたという経緯で何とも理不尽だったが、相互への批判者と万引きツイートへの批判者で読解力に差があるようには思えないので片方だけの味方をするわけにもいかず、プラットフォームがもうダメなんだろうな……。

聴いたもの

Bill Evans Trio - Waltz For Debby

 定番なのでリンクなし。就職して以来初めてなので4年ぶりくらいになるのかもしれないが、こんなに美しいアルバムだったとは……。
 Bill Evansのロマンチックなピアノはもちろんのこと、投げられたボールをそっと受け止め、時に遊び心を加えて投げ返すようなベースも、繊細なスウィングによって音量こそひそやかなままにバンド全体に躍動感を与えるドラムも、全てが輝いて感じられた。たまにはこういったものを聴くのも悪くない。

11/29


できたこと

  • 洗濯

雑感

ちょい華金

 金曜の夜なので外に出てビールを一杯飲んだ。一人で飲むなら中ジョッキ1杯もあれば充分。

卒業発表

 日がな降っていた雪まみれになりながら帰宅し、ふとホロライブの沙花叉クロヱさんの重大発表があったのを思い出して配信をつけたら卒業発表で仰天した。理由は会社の方向性と自分のやりたいことが合わなくなってきたことに加えて、稼働の増えすぎで身体を壊したため。今後のことは未定とはいえ、自分の人生を考えての卒業という。
 この頃は配信は見ていなかったとはいえ、歌ってみた動画やオリジナル曲は欠かさずチェックしていた人だった。この歌声が当分聴けなくなることが本当に残念。
 公式からの発表によると卒業ではなく「配信活動終了」で、将来のイベントでスポットで顔出しできる機会を残しておくということらしい。アメリア・ワトソンさんに続いて二人目の例となるが、特にタレントに拘束を課すものではなく、ホロライブ側の希望として提案されたものであり、そうであるからには円満な話し合いができたのだろう。逆にこういった選択肢が提示された中で「卒業」する配信者が出てきた時には様々な憶測が生まれるようにも思う。

こうした検討の中で、新しい「卒業」の一つの形として辿り着いたのが「配信活動終了」です。
「配信活動終了」は原則として「卒業」の一つの形であることには変わりません。
タレントによるYoutubeSNSなどの配信活動やイベントへの参加などは終了します。

その上で、将来のプロジェクトにおけるプロダクションの思いと、タレントの意思の合意によって、偶然タイミングの合った卒業生が母校に顔を出すかのように、今後も限定的な形での活動をお届けする機会を願う取り組みとなります。

https://note.cover-corp.com/n/ne3a8b7a553c0

 その後に続く歌枠も聴いていたのだが、Prisoner of Love→だから僕は音楽をやめたという冒頭二曲に感情をやられてしまった。
 配信中でオリジナル曲のMVが告知された。いなくなると分かったからなのか普段響かない曲調なのに妙に良く聞こえる。三周年記念グッズも欲しい。

SNS中毒

 Twitterに時間を注ぎ込みすぎている自覚があったのでスマホアプリに時間制限を設けた。とりあえず二時間で設定して、減らせそうだったら一時間半、一時間……と徐々に抜けていければよかったのだが、このところ毎日のように二時間を使い切ってしまっている。それどころか日が変わって使用時間がリセットされた途端にまた触り始める始末。どうかしている。

サンタシーズン

 クリスマスが近いので親向けのクリスマスプレゼントを見繕っている。父親にはiPadを贈るとして母親には何にしようか……。手袋かキャンドル、もしくはキャンドルホルダーでも贈りたいところ。キャンドルホルダーと燭台が同じものなのかそうでないのかも分かっていないレベルなので、まずはリサーチから始めなければならない。
 この前家族仲の話になった時に私が頻繁に家族と会ったり贈り物をしていることについて驚かれてしまった。親がいつか死ぬということを考えていたら親孝行をしないではいられないのだが、そういう感覚は他の人にはないらしい。友達も少なければ交際相手も結婚の予定も何もなく、その上地元に残ることを自分で選んだ人間だから当然そうなるという話もある。

これが30年前の曲だなんて

 大沖活動が年一で再掲しては物議を醸す漫画がまた流れてきた。私は今まで年下の側に共感していたのだが、最近はちょっと考え方が変わってきている。なぜかというとシティポップリバイバルがあったから。
 シティポップやY2Kなどリバイバルムーブメントが発生するのは別にいいし、(Y2Kは苦手であるものの)シティポップから始まるジャパニーズニューエイジフュージョンの再発の流れについては私も楽しく聴いた。しかしこういった音楽が"最新のモード"としてもてはやされているのを見ると、流行の中心にいる二十代前半こそが「逆に新しい」というレトリックで実質的に「古さを感じない」と同じことを言っていそうな印象が生じてしまう。
 リバイバルムーブメントが明確にリバイバルつまり"過去の参照"として意識されているさなかでは、前述の漫画のような「古さ」だけに着目するやり取りはもはや生じ得ないように思うし、20年前の曲と今の曲の区別がぱっとつけられないということも起こりそう(年上側の「古さを感じない」発言は今も昔も明確にダメ)。何なら年上の側が年下の感性の"古さ"に気がつくことも増えつつあるだろうとすら思う。
 VTuberの歌ってみた動画や歌枠で、昔の名曲が全然好意的に受け入れられているのも付け加えてもいい。キリンジ『エイリアンズ』の発表は2000年で、『若者のすべて』も2008年。これらの発表は『ワールドイズマイン』『チルノのパーフェクトさんすう教室』といった"インターネット老人会"と評される楽曲以前である。月ノ美兎さん・周央サンゴさんが取り上げた青葉市子『いきのこり●ぼくら』でも2013年と10年以上前。リリース日だけ見れば古いも古いと言わざるをえないが、そこについていちいち指摘する人は観たことがない。これは実質的に古い楽曲であっても、"古い"という記号で認識されていないからだと思っている。
 "若者"が肌感で絶対的な"新しさ"を理解しているということ自体が幻想なのだろうけれど、なんかインターネットの威勢のいい人達がとかく上の世代を"老害"などと呼びつけては自分たちの感性のフレッシュさを称揚していたのを思い出し、何だったんだろうと思いながらだらだらと書いてしまった。

 個人的には古いものの中から現代的目線での面白さを取り出す営み自体は全然楽しいのだが、それはそれとして自分が「古さ」に手を染めていることを忘れたことはないし、その「古さ」を引き受けないことの方がよっぽど見苦しいのだとは肝に銘じておきたい。

 今年高く評価されていたGeordie Greepの作品なんか普通に古いというか、アーカイブを参照することに何の躊躇いもないところがある。このサウンドを「新しい」とか言い張っても仕方がない。つまりはそういうことを言いたい。

聴いたもの

mus.hiba - White Girl

 その筋では有名らしいボカロP、mus.hibaの作品(ただし使っているのはクリプトンの"ボーカロイド™"ではなくUTAU)。2014年に東京のレーベルnobleからリリースされ、のちにOrange Milkからカセットで再発された。
 00~10年代エレクトロニカ、トラップ、LAベース、グリッチといった多彩な要素が取り入れられ、各曲ごとに違う表情が見えてくる。ボーカロイド/soundcloudシーンのカジュアルさからなのか必ずしも"硬派"な音楽性にこだわらず、スーパーソーによる強烈な高揚感まで煽る展開もあって、チルからアッパーまでを包括する自在な音楽性がとても新鮮な作品だった。とは言っても風呂敷をやたらに広げるような感覚はなく、どの曲にも中心には柔らかくユーフォリックな情感と、雪歌ユフによる冷たく囁くような合成音声の歌声が据えられて、アルバムとしての統一感が保たれている。10年代のポップ~アンダーグラウンド電子音楽を違う角度から総括しつつ、ユーザーの少ないボーカロイドによる作家的な記名性が両立した作品でとても気に入った。

Astor Piazzolla & Su Quinteto - Concierto En El Philharmonic Hall De Nueva York

 邦題『ニューヨークのアストル・ピアソラ』。black midiのサードを聴き直していて「これはタンゴだ」と思い、もっとタンゴが聴きたいと思って勢いで買った。ピアソラが生涯をかけて探求したキンテート(五重奏団)構成によるニューヨークの録音で、多作で知られる(知らなかった)ピアソラの全ディスコグラフィーの中でも屈指の傑作らしい。
 タンゴにもピアソラにも明るくなく、ベスト盤を一枚聴いただけの自分にはこれがどの程度のグレードの作品なのか判定することはできないが、バンドネオンの決然としたメロディ、ストリングスの不協和音をためらわないポルタメントの緊張感、ピアノの優美なタッチといった楽曲を構成する要素の一つ一つの冴えは明らかに感じられる。背筋の伸びるようなエレガンスとアルゼンチンの都市の憂愁、そして何よりも濃厚なロマンティシズムが共存するサウンドは、未だ過去とならない新鮮な響きがある。  なお作品には関係のない話だが、ニューヨークがスペイン語で"Nueva York"になるのはかっこよすぎる。

読んだもの

今日は特になし。